UD Lab Magazine vol.254

 

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2017.06.30 vol. 254 彼方より続く足跡 Looking Back Over the Past. 東京大学 工学部都市工学科/ 工学系研究科都市工学専攻 都市デザイン研究室 http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/ 新企画「マガジン版―自著を語る」、始まる ! 特集‒研究室の系譜‒ Ⅰ. 都市デザイン研究室を辿る     Ⅱ. 学びの場の広がり         Ⅲ. 現在をつくる礎 - 各地の研究室から 号外 !  UDC コンペ国交大臣賞受賞 ! p.2 p.4 p.6 p.8 p.12 編集長:  松田季詩子 編集委員:神谷安里沙 田中雄大 中村慎吾       岡山紘明 但馬慎也 中戸翔太郎

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新企画『 マガジン版 - 自著を語る 』、始 ま る ! Looking Back on Prof.Nishimura's Lifetime with his Books  今年度いっぱいで退官される西村幸夫教授。我々マガジン編集部では西村先生の半生を今までの著作と共に振り返る連載企画『マガジン版 - 自著を語る』を始めます。今回は書籍についての話はありませんが、先生の人生で一番大きな転機である大学院生時代についてインタビュー しました。( 聞き手:M2 神谷・田中・松田 ,M1 但馬 / 編集:神谷 ) 写真 ―プレインタビュー 環境に馴染めなかった学部時代  小学校から高校の時はクラスのみんなを 知っている安定した人間関係の中で楽しい学 校生活を送っていたのですが、東大に入って からは知らない人ばかりで、教室で会う人も ばらばらでした。地方から出てきたこともあ り、大学の中に親しい友人ができる雰囲気で はありませんでしたね。東京の雰囲気そのも のに違和感があり、大学を楽しいと思えたこ とがなかったので、新しい人間関係と、東京 にどうやって慣れていくかが大変でした。 違和感を感じた都市工学専攻  僕は数学が出来たので何の疑問もなく理科 系に行ったけれど、文学青年でもあったので、 高3の時は理Ⅰに行くか文Ⅲに行くか悩みま した。結局、理科系に進んだのだけれど、社 会的関心が高かったから社会との接点がある ような分野に行きたいと思っていて、それが 都市工学でした。だから都市工へ進んだこと には満足して、本郷に楽しく通いました。た だ、都市工は大学の中でも特に大学紛争が激 しかったので僕らが講義を受けてた時はほと んどまともなカリキュラムじゃなかったし、 演習も放任主義でした。同時に、都市工学が 学問分野としてまだ確立されていなかったた め、どの講義もいつもエベネザー・ハワード ぐらいから始まって同じようなことを話して いる。ずっと都市に関する関心はあって、や りたいと思っていたのだけれど、「こういう のは違う」と感じて、そこでも馴染めません でした。僕は必要最低限しか都市工の講義に 出ていなかったから、当時の僕を知っている 同級生は印象が無いと思います。2度留年し て、その間に大学院入試も受けたのだけれど、 授業に出ていなかったから試験勉強もよくわ からなかった。  勉強したいという思いはあるんだけども、 やりたいことと今受けている教育が違ってい た。周りに仲間として話ができる人もいな かったから、まちを旅行したり色々な本を読 んでいた。そんな状態で学部生時代を6年間 過ごしました。そんな中で唯一話をしていた のは、指導教官の大谷先生 ( ※ 1) でした。 プロジェクトに没頭した修士生活  非常に違和感がある中で大学院に進むこと になり、大谷先生の所に行くことにしました。 大谷先生を選んだのは「一番信頼できる先生 につきたい」と、ただそれだけの理由でした。  僕らが研究室に入った年からプロジェクト かしはら が始まりました。奈良県橿原市今井町で伝建 地区 ( ★ ) の整備のあり方を考える国交省の 大きなプロジェクトで、様々な大学の人達が 参加していました。僕は同期の後藤哲男君 ( ※ 2) と大体ペアでいろいろな作業をやり、 他のメンバーと共に今の研究室のような雰囲 気でプロジェクトをやっていましたね。当時 はそれが唯一のプロジェクトでした。現場に 行って一緒に作業して、議論をして夜まで仕 事をしました。その中で、各々の得意分野や まちに対する見方が違うから、「一人一人で やるよりもはるかに先に進める」、「1 + 1 = 2 以上になるんだ」という実感がありました。  昔も今のジュリーみたいなものがあったの だけど、いつも後藤君と2人で2人分の時間 を使ってプロジェクトの発表をしていて、最 後の3か月間だけ自分の修論に取り組みまし た。修論も今井でやったんだけれど、みんな とやっていることと差別化するために、僕は このまちがどうして現在の形になったかとい う都市形成史を仮説を交えて論じました。い ずれにしても2年間ほとんど今井しかやって いないですね。 2

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現場では、人格全てをかけて動かないといけない 研究室プロジェクトの意味  プロジェクトのようなことが僕が今まで求 めていたものだと、これならずっと続けられ るんじゃないかと思いました。その時、僕は プロジェクトに救われたという感じがして、 この道に行こうと決心しました。  だから大学院へ進学したことは本当に大き かったです。プロジェクトがなくて大学院へ 通っても、論文は一人で書くものだから「そ れぞれ研究を勝手にやるように」と言われて いたら、現在の仕事はできていませんでした。 大学に残っていなかったと思うし、この道に 進もうとも思わなかったかもしれないです。  その代わりほとんど毎日 12 時過ぎの終電 まで残っていましたね。とにかく大みそかも 元旦もいて、365 日研究室の灯を消さない ということをやっていた。でも、それぐらい やっても全然苦じゃなかった。  僕はプロジェクトに救われたから、プロ ジェクトには絶対何か可能性があるというこ とを信じていました。だから僕が研究室を 持ったらプロジェクトはやろうと考えていた のです。学生にプロジェクトの中で育って いってほしいと思っていて、それを今まで続 けています。 新しい時代を拓く楽しさ  歴史的な町を研究するという選択肢は、当 初僕の中でそれほど意識的ではありませんで した。でもやってみると知らないことが非常 に多くて面白かった。  今井町に行って初めて思ったのは、町家っ てウナギの寝床みたいな形で、坪庭がありま すよね。僕は都市の郊外で育ったので、この ような都市の住宅と生活は非常に新鮮でし た。でもこういう形式を我々の時代はつくり だしていないんですよね。公団住宅ができ、 タワーマンションや戸建て住宅もそれなりに あるけれど、町家のような都市型住宅はつく り出していない。近代の我々がやってきたこ とは都市に対して、一体どれだけ貢献してき たのかと思うようになりました。  今井町のような歴史的な町から学ぶことが 多いと思ったので「しばらくはこういうこと をやろう」と決めました。また、伝建制度 が 75 年にできたので、当時は歴史的町並み に関する研究の初期でした。つまり日本中 で初めてこの分野の研究をやり始めたんで す。日々の作業の中で新しいアイディアが湧 いてくるわけです。先にやった人がいないの で、前例や先行研究は無いけれど、僕は何も 無いところを自分で模索しながら進むのが好 きだったので、フロンティアを開拓している 実感がありました。日本の中では、このよう な研究は京都大学のチームと歴史の先生方が 建物単体に関してやっていたくらいだったの で、ゼロから考えてきて本当に楽しかったで すね。  ただ将来に対する展望は全くありませんで した。僕はこのようなテーマの講義は受けて いないし、日本中のどこにもそんな講義は存 在しない。研究していてもポストが無いとい うことなのです。新しい時代や学問領域を拓 いていく感覚があり楽しかったけれど、将来 はどうなるのかわからなかったです。  同時に、大都市と小さい都市ではいろいろ 違っているということも学びました。僕は九 州の大きな都市育ちなので、もし小さい集落 の中で暮らしていたらこのような感覚なのだ と思いました。それも1つの転機になったか も知れませんね。 現場が一番の “ 先生 ”  プロジェクト参加時に一番頼りになり、学 ばせてもらったのは各地で頑張っている町並 み保存の人たちといった活動家でした。だか ら僕はそんな活動家の人たちが先生ですね。  今から 40 年前、ちょうど大学院に入った 時に「全国町並みゼミ」というのが始まって、 今まで試行錯誤していた各地の活動団体と行 政が、初めて全国から一ヶ所に集まって話を することになりました。2つ上で研究室でこ の分野のリーダー格だった福川裕一さん ( ※ 3) と他のメンバーで行きました。  僕らは学生として行っていたから、現地で は一番若い世代でした。「学生さんたちがこ んなことに関心を持ってやってくれている」 と大事にしてくださった。だから日本中の活 動家の人たちと知り合いになれたし、そこで 出会った人たちが僕にとって先生です。今年 で 40 回を迎えるけれど、今でもボランティ アでほぼ欠かさず行っています。  活動家の人たちは人間的にも非常に立派な 人が多かったです。何故かというと、都会で はあるテーマのもとに一時的にみんなが集ま り議論するのみだけれど、田舎でこういう問 題に取り組むときには、みんなこの人が人間 的に信用できるかということを日々の生活の 中で知っている。信用がなければ、どんなこ と言ったって無理なんですね。やらねばいけ ないことをサボっているとか、別のところで 遊びまわっているような人が「ここが大事 だ、守ろう」なんて言ったって全然だめ。つ まり活動は人格の全てをかけて行うものなの です。それが出来る人がおのずとリーダーに なっていく。現場では、人格全てをかけて動 かないといけないということを学びました。 最後に  研究のための研究ではなくて、現場の活動 や生活を支えるための知見が、普遍的な学問 価値を保つ研究はないかとずっと考えてきま した。その意味でも現場の人と付き合えてよ かったです。しかし、ここまで来られたのは 例外的ですね。将来の展望もなく、ポストも ない中で、ポストを探す作業もあまりやって いなかったので。本当に感謝しないといけな いと思います。■ ※ 1: 大谷幸夫 氏 (1964-1984 東京大学都市設計研究室 ) → pp.4-5『都市設計研究室、都市デザイン研究室を辿る』 ※ 2: 後藤哲男 氏 ( 現 長岡造形大学教授 ) ※ 3: 福川裕一 氏 ( 現 千葉大学名誉教授 ) ★ : 伝統的建造物群保存地区 1975 年、文化財保護法の改正により発足。全国に残る歴 史的な集落・町並みの保存に用いられる。また、市町村か らの申出を受けて,国が特に価値が高いと判断したもの は重要伝統的建造物群保存地区に選定される。今井町は 1993 年に全国 37 番目の重要伝統的建造物群保存地区に 選定された。 『マガジン版 - 自著を語る』 2017 年度新連載企画『マガジン版 - 自著を語る』では、合計4回にわたって西村先 生の寄稿文を掲載します。内容は、西村先生の転機となった出来事を先生の書籍執筆 と絡めた内容となる予定です。誌面で取り上げる書籍は記事掲載時に明らかになりま す。お楽しみに! ご多忙の中、インタビューを快くお引き受け いただきありがとうございました。プロジェ クト現場で活動することが多い現在の都市デ ザイン研究室ですが、それが西村先生の学生 時代から似たように続いているというのは感 慨深いです。まちの人に信頼してもらえるよ う、姿勢を正して現場に臨みたいと思います。 3

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都市デザイン研究室を辿る - 研究室の系譜 特集 1- The Genealogy of the Urban Design Lab.  1962 年 に 研 究 室 が 発 足 し て か ら 約 半 世 紀 、 55 年 の 月 日 が 流 れ た 。 そ の 間 、 多 く の 学 生 が 研 究 室 の 門 を 叩 き、 現 場 で の 実 践 と 研 究 活 動 に 打 ち 込 み、 去 っ て い っ た。 卒 業 生 の 中 に は、 研 究 室 を 離 れ た 後 に 他 の 大 学 へ 移 り、 研 究 室 を 持 つ 者 も 数 知 れ な い。   今 号 は、 現 在、 大 学 で 教 鞭 を と る 卒 業 生 に 焦 点 を 当 て る。 全 国 津 々 浦 々、 時 に は 海 を 越 え、 学 部 を 超 え、 都 市 を 学 問 す る フ ィ ー ル ド は 広 が っ て い る。 自 身 の 研 究 室 を 持 つ 彼 ら が、 ど の よ う な 環 境 で、 ど の よ う な フ ィ ー ル ド で 活 躍 し て い る か を 通 し て、 長 い 歴 史 を 持 つ 私 た ち の 研 究 室 の 広 がりを見ていきたい。 研 究 室 の 系 譜 - 継ぎ展べる場としての研究室 - 都市デザイン研究室を辿る – 研究室の系譜 特集 1– 系譜の広がり – 研究室の系譜 特集 2– 西村研究室から、津々浦々へ – 研究室の系譜 特集 3– ※背景の写真は、今年 3 月の研究室大掃除にて発掘された都市設計研究室時代のものです。 4 pp.4-5 pp.6-7 pp.8-11

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西学村び研のの場広のが広りがり—あ-—研究室の系譜 特集2- TSoheMaaanayaaAalauamanaauas,aSao Many Laboratories! ヨーロッパ France Mavoungou Tchapi-Mireille 2014 世界 Germany Christian Dimmer 2007 早稲田大学国際教養学部 助教 東アジア Nepal Bijaya SHRESTHA 1998 PROF, ASOC TEACH Electrical & Computer Engineer Bangladesh KHAN Tariq Mahbub 2011 China 張松 1996 韓 昊英 2007 浙江大学 教授 Korea 張 天新 2002 崔 宣珠 1992 傅 舒蘭 2012 李 政炯 1998 新潟県 後藤 哲男 1983 長岡造形大学建築・環境デザイン学科 教授 岡崎 篤行 2000 新潟大学工学部工学科 教授 松井 大輔 2012 新潟大学工学部工学科 助教 愛知県 松本 篤 1977 愛知産業大学 造形学部建築学科 教授 服部 敦 1991 中部大学工学部都市建設工学科 教授 浅野 純一郎 2000 豊橋技術科学大学建築・都市システム学系 教授 今村 洋一 2007 椙山女学園大学文化情報学部文化情報学科 准教授 東南アジア Thailand Yongtanit Pimonsathean 1993 Professor of Architecture,Thammasat Univ. Niramon Piadaeng 2005 Department of Urban and Regional Planning,Chulalongkorn Univ. ISSARA THUMNOON Wimonrart 2008 Department of Urban and Regional Planning,Chulalongkorn Univ. Tiamsoon Sirisrisak 2010 Mahidol University VICHIENPRADIT Pornsan 2012 Department of Urban and Regional Planning,Chulalongkorn Univ. PUNNOI Nattapong 2012 Department of Urban and Regional Planning,Chulalongkorn Univ. Malaysia Syed Zainl Abidina IDID 2006 Professor Vietnam Universiti Teknologi Malaysia Pham Thuy Loan 2002 Associate Professor, Hanoi Univ. of Civil Engineering TRAN Thi Lan Anh LE Quynh Chi 2004 2009 山岸 常人 1977 京都大学工学研究科建築学専攻 教授 阿部 大輔 2006 龍谷大学政策学部政策学科 准教授 京都府 丸茂 弘幸 1987 関西大学工学部建築学科 教授 ( 退官 ) 大阪府 木下 光 1999 関西大学環境都市工学部建築学科 教授 福岡県 秋本 福雄 1977 九州大学大学院工学府 都市環境システム工学専攻 名誉教授 黒瀬 武史 2014 九州大学人間環境学研究院・工学部建築学科建築学 准教授 江口 久美 2011 九州大学 持続可能な社会のための決断科学センター 助教 三島 伸雄 1995 佐賀大学大学院工学系研究科 教授 佐賀県 堀池 秀人 1980 (2015 年逝去 ) 熊本大学大学院自然科学研究科 教授 熊本県 鄭 一止 2012 熊本県立大学環境共生学部居住環境学科 准教授 静岡県 根本 敏行 1983 (2016 年逝去 ) 静岡文化芸術大学 名誉教授 花澤 信太郎 2005 静岡文化芸術大学大学院デザイン研究科 教授 宮脇 勝 1995 名古屋大学大学院環境学研究科都市環境学専攻 准教授 永瀬 節治 2009 和歌山大学観光学部観光学科 准教授 和歌山県 ※情報は 2017/6/30 現在のものです。情報収集の中でどの大学で教鞭をとっているかわからなかった方は抜けている場合があります。 6 ※海外で役職がある方は情報を得られた範囲で掲載しています。 ※都市設計研究室/ 都市デザイン研究室を出たタイミングのみを掲載しています。学部/ 修士/ 博士のいずれかを他大学で卒業している場合、その大学名と卒業年などは未掲載です。

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教鞭をとる卒業生が持つ研究室は日本と世界の各地に広がってい ます。そのフィールドは建築・都市に関する学科に留まらず、芸 術・観光・環境・経済・災害など様々な広がりを見せています。 ( 編集:M2 神谷 ,M1 中戸 ) 凡 例 氏名 [ 敬称略 ] 2017 大学名 , 学部学科 , 役職 学部卒業年 修士修了年 博士中退年 博士論文提出年 ※博士論文を出さ れていない方のみ 博士在籍年記述 山形県 高谷 時彦 1976 東北公益文科大学大学院 教授 小林 敬一 1991 東北芸術工科大学デザイン工学部 教授 宮城県 岩田 司 1988 東北大学災害科学国際研究所 教授 原田 栄二 2002 東北大学大学院工学研究科工学部 助教 文京区 坪原 紳二 1988 跡見学園女子大学 観光コミュニティ学部 准教授 窪田 亜矢 1999 東京大学工学部都市工学科 特任教授 樋野 公宏 1998 東京大学工学部都市工学科 准教授 後藤 智香子 2011 ※旧姓 : 鈴木 東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻 特任助教 新宿区 野澤 康 1993 工学院大学建築学部まちづくり学科 教授 遠藤 新 2004 工学院大学建築学部 教授 千代田区 大江 新 1974 法政大学工学部 名誉教授 埼玉県 鈴木 隆 1983 獨協大学外国語学部 フランス語学科 教授 千葉県 北沢 猛 1977 (2009 年逝去 ) 東京大学大学院新領域創成科学研究科 教授 出口 敦 1989 東京大学大学院新領域創成科学研究科 教授 北原 理雄 1977 千葉大学大学院工学研究科 名誉教授 福川 裕一 1978 千葉大学工学部デザイン工学科 名誉教授 東京都(市部) 吉川 仁 1975 首都大学東京都市環境学部 特任教授 ( 退官 ) 鳥海 基樹 -2001.9 首都大学東京都市環境学部 准教授 岡村 祐 2008 首都大学東京都市環境学部 准教授 菅野 博貢 1994 明治大学農学部農学科 准教授 神奈川県 鈴木 伸治 1999 横浜市立大学国際総合科学部 教授 野原 卓 2009 横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院 准教授 東京 23 区 港区 中野 恒明 1974 芝浦工業大学システム理工学部環境システム学科 名誉教授 八束 はじめ 1975 芝浦工業大学工学部建築工学科 名誉教授 篠崎 道彦 1990 芝浦工業大学デザイン工学科 教授 桑田 仁 1997 芝浦工業大学デザイン工学科・建築学科 教授 前田 英寿 2005 芝浦工業大学デザイン工学科・建築学科 教授 垣内 恵美子 2002 政策研究大学院大学 教授 世田谷区 小林 重敬 1966 東京都市大学都市生活学部 教授 中島 伸 2012 東京都市大学都市生活学部 講師 江東区 松田 達 1997 武蔵野大学工学部建築デザイン学科 講師 7

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現在をつくる礎 ―各地の研究室から― - 研究室の系譜 特集 3- So Many Labratories, So Much Interests! 卒業生が持つ研究室はどのような研究テーマに向き合っているのか。また、自身で研究室を持ち、学生を教える立場に立つにあたり、学生時 代の出来事は現在にどのような影響を与えているのか。他の大学で研究室を持つ 7 人の先生方から寄稿形式でお話を伺いました。 同時に、西村先生からはそんなかつての卒業生がいた頃の都市設計研究室 / 都市デザイン研究室と現在の研究室の違いや、これからのあり方 についてコメントをいただきました。 現在の都市デザイン研究室について - 西村先生から - 〈プロジェクトに見る研究室の変化〉  僕らがプロジェクトをやっていた時は全体で1~ 2 つぐらいだったけど今は随分多様になっていますね。最 初は僕のところに来る仕事の中で研究になりそうなもの だけをやっていましたが、今は同じようなことを中島君 や永野君もやっていますね。色々な人のつながりが広 がっているので、自然な変化なのかなと思います。色々 な意味で選択肢が増えたのはいいことですけど、僕らの 時代は 1 つのプロジェクトに集中してエネルギーをか け、様々な角度から攻めていた。君たちのこだわりがど こまであるのか僕にはわからないけど、数が多いと時間 も限られるので、プロジェクトへの取り組み方は違って きているのかもしれませんね。でもプロジェクトに完全 に縛り付けられる必要はないので否定的に見ているわけ ではないですが。 〈変わらないこと〉  共同作業があるからか、研究室内の仲がいいですよね。 やはり一人一人別のことをやっていてもその程度の付き合 いはあるけれど、プロジェクトにはお互い助け合うところ が必要ですから。あと女性が多いからか研究室内でカップ ルが誕生することが多い。今までの都市工の歴史の中で一 番多いのではないでしょうか。 〈これからの研究室〉  これからのことは次の人が決めることですが、研究室の 仲が良いのには僕自身が救われたので大事にしてほしいで す。修士の人はこれからどちらへ行くか決まる前だから可 能性が色々と広がっているわけですが、逆に言うと何処へ 進むか悩む不安定な時期でもあるので、メンタル面をサ ポートできるようなシステムは大事だと思います。 研究室大掃除で出てきた 昔の写真を見ながら 坪原 紳二 先生 跡見学園女子大学 観光コミュニティ学部 准教授 【経歴】 1996.4-1997.3 三重短期大学生活科学科専任講師 1997.4-1999.3 三重短期大学生活科学科助教授 1999.4-2005.3 熊本県立大学環境共生学部助教授 1988.3 学部卒 /1990.3 修士卒 /( 神戸大学博士課程修了 ) 都市設計研究室所属時の思い出 西村先生が東大に赴任されたのは、私が 4 年生で卒業計画を作っていた時だと思います。 ただこれはもう 4 年の後半に入っていたので、先生から本格的に指導を受けるように なったのは、修士に進んでからでした。建築学会の関東支部の会合にお誘いくださり、 そこで、その後心の支えとなってくださった早稲田大学の倉田直道先生や後藤秀昭先生 とお会いすることができました。この関東支部の会合での一番の思い出は、初めて出席 した時、西村先生ご自身が発表者で、イギリスのシビックトラストについて発表してく ださったことです。当時、都市計画における市民の役割のような問題は大学の講義では ほとんど扱われていなかったので、大学に入ってから初めて感激しながらノートを取っ ていたのを覚えています。 西村先生との思い出 私はかなり自己流でやる方で、あまり大学にも来ていなかったので、 修士になった当初、研究室会議にどうやって臨むべきかもよく分かっ ていませんでした。修士 1 年は研究テーマを発表するようにと先輩 から言われ、当日は、ノートに手書きの汚い字で自分の思いを書いて おいただけでした。都市デザインに住民が参加することが不可欠だと いったことや、そのための具体的な方法を研究テーマにしたいといっ たことが書いてありました。会議の直前に、全員にレジュメを配らな ければならないことを知って、慌ててその手書きのメモをコピーして 配りました。自分の番が回ってきて、怒られること覚悟で発表をして いて、ちょっと顔を上げて西村先生の様子を見て驚きました。その汚 い私のコピーを真剣なまなざしで読んでくれていたのです。発表が終 わると先生が真っ先に、「坪原君の言っていることは非常に大事だと 思う」というようなことを言ってくださいました。この鶴の一声(?) のおかげで資料の汚さは全く問題にならず、むしろ積極的な意見がた くさん出て、意気揚々で会議を終えることができました。この研究室 会議のことは今でもよく覚えていて、自分が教員になって学生のレ ジュメやレポートを見る時は、西村先生の当時の様子を思い浮かべな がら、ばかにせずに常に真剣に読むように心がけています。 ※坪原先生の研究室は現在所属している学生がいないため、当時の思い出を中心に原稿をいただきました。 8

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1988.3 学部卒 /1990.3 修士卒 /1995.5 博士論文提出 三島 伸雄 先生 佐賀大学大学院 工学系研究科 教授 【経歴】 1995.11-1998.11 佐賀大学 理工学部 講師 1998.12- 2007.3 佐賀大学 理工学部 助教授 2007.4- 2010.3 佐賀大学 理工学部 准教授 2010.4- 2013.1 佐賀大学大学院 工学系研究科 准教授 2013.2 佐賀大学大学院 工学系研究科 教授 環アジア国際セミナー 2016 in 肥前浜宿 現在の研究室について 土木と建築が融合する都市工学科の建 築系アーバンデザイン研究室です。地 域空間デザインに関心のある学生が、 地域性の発見、修理修景、ICT 防災、 都市史などの研究を行っています。市 町や住民との強い関係の中で依頼され るプロジェクトも多くあります。 【教員】三島伸雄教授(都市設計), 渕上貴由樹助教(歴史意匠【)D】2 人【D 研究生】1 人 【M2】6 人【M1】5 人【M 研究生】1 人【B4】7 人【B 短期留学】2 人 地域密着型アーバンデザイン 都市設計研究室所属時の思い出 渡邊定夫先生、山田学先生、西村先生の3先生に博士課程に主指導していただく結果になった唯一の学 生だったかもしれません。渡邊先生には幕張新都心住宅地のデザインガイドライン策定に取り組ませて いただき、山田先生にはウィーン留学中に景観分析を指導していただき、西村先生にはウィーンの保存 地区への視座を学びました。博士論文は、その3つの視点が合わさったものになりました。博士課程中 にウィーン工科大学に留学できたのは、本当に貴重な経験でした。1年間では語学だけで精一杯だった ため、無理をお願いして1年半伸ばしました。佐賀大学赴任後も、文科省在外研究員でウィーン工科大 学に留学し、学生も帯同して研究できました。今年も、派遣と受入で国際ワークショップを実施します。 ウィーンとの繋がりが今でも教育・研究の大きな礎になっています。 これからの 研究室 地方国立大学だからこそ、県内市 町と濃密な関係を持ち、継続した プロジェクトを持ち続け、それを 異分野融合研究に結びつけていま す。肥前浜宿では茅葺町家や公民 館に宿泊して国際ワークショップ も行っています。 1991.3 学部卒 /2008.10 博士学位授与 服部 敦 先生 中部大学工学部 都市建設工学科 教授 【経歴】 1991.4-2007.3 建設省 ( 現・国土交通省 ) 内閣官房 , 内閣府 学生が事務局となって活躍する 豊川市のまちづくり会議 【教員】服部敦教授 【D】1 人【M2】2 人【M1】1 人【B】8 人 現在の研究室について 土木系の学科の中にある計画分野の研 究室であり、8年前に都市デザインの 教育・研究をはじめて導入しました。 比較的幅広い関心を持った学生が所属 を希望します。大学院生を中心に、ま ちづくりの現場での事業の企画・マネ ジメントの活動を通じて、研究を進め ています。 Urban Activity Design 都市設計研究室所属時の思い出 西村先生に伝授いただいた “ 地酒 ” を活かした交流技術は、まちづくりの現場に根ざした研究活動の基 盤となり、継続的に関わる現場は、高蔵寺ニュータウン、豊川市、名古屋市、四日市市、沖縄の離島・ 北大東島などに広がっています。北大東島では学生時代のテーマである産業遺構の保存に取り組み、国 の史跡指定から重要文化的景観選定へと歩を進めています。 大学で学んだ最も大切な視点は、建築から都市、広域へと至る異なるスケールを自由に行き来する柔軟 性を持つことです。スケールの連続性に身を置き、眼前の空間・活動に埋没しないことが都市デザイナー の大切な資質です。国家公務員の経験を経て「システムは変えられる」「省庁の枠を超えて活用可能な 財源がある」と身をもって知りました。まちづくり現場ではシステム・財源の枠をはめがちですが、“ 限 界を設けない ” まちづくりの姿勢を貫いています。 これからの 研究室 日本では、都市計画・都市デザイ ンの専門人材の流動性が低いこと が人材育成の課題の一つです。研 究室の活動が産官学公のセクター 間の人材の流動性を高める一助に なることがこれからの目標です。 9

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木下 光 先生 2016 年教授昇進を 卒業生と在校生が祝ってくれました 関西大学 環境都市工学部 建築学科 教授 【経歴】 1996.4-2000.3 関西大学工学部建築学科助手 2000.4-2005.3 関西大学工学部建築学科専任講師 2005.4-2007.3 関西大学工学部建築学科助教授 2007.4-2016.3 関西大学環境都市工学部建築学科准教授 【教員】木下光教授 【M2】5 人【M1】6 人【B】6 人 1994.3 修士卒 /1999.9 博士論文提出 現在の研究室について 学生は各自の関心に応じ、国内やアジ アを対象にして身体を介したフィール ドサーベイを行い、空間や社会を理解 した後『①論文やブックレットにまと める』『②ワークショップやインスタ レーションを通し人々と交わる』『③ 設計競技等で形や空間を問う』のいず れかに取り組みます。 -Research as Design, Design through Research- 都市設計研究室所属時の思い出 私は 1992 年から大学院修士・博士課程の4年間、所属しました。当時から多彩な人々が先生の周りに 集っていましたが、先生が AIT から戻られた直後ということもあり、研究室はアジア研究の拠点とし ても評価されていました。先生や先輩に導かれ、私は香港研究を始めました。先生との縁がなければ、 アジア研究を志すことはなかったと思います。現在、香港研究は、シンガポール・大阪も事例に公設市 場やストリートマーケットを通した都市居住論や公共建築論へと展開しています。公共空間のデザイン とマネジメント研究である公共空間論では、都市政策の組織・制度と空間の関係性を論じます。近年、 瓦に着目し、素材から建築や都市の風景を再構築する研究を行っています。これらの研究を通して、ア ジアの都市像とは何かいう問いに応えたいと思っています。 これからの 研究室 建築や都市の概念を拡張し、モノ × ヒト=コトの観点から、都市と 建築、研究と設計を分けることな く、空間と共に時間を重んじ、土 木・ランドスケープ・都市計画・ 建築を包含する都市デザインを模 索しています。 2000.2 博士論文提出 岡崎 篤行 先生 新潟大学 工学部工学科 教授 【経歴】 1995.4-2000.9  東京都立大学工学部建築学科 助手 2000.10-2001.10 新潟大学工学部建設学科 講師 2001.11-2013.3 新潟大学工学部建設学科 准教授 現在の研究室について 新潟大学は戦前の医科大学を前身とす る国立6大学のひとつです。日本海ま で徒歩 10 分と恵まれた自然環境にあ り、砂浜で BBQ をやる「浜コン」は 新大 ( しんだい ) 文化と言われていま 古町芸妓を呼んで老舗料亭での追いコン す。 研 究 室 所 属 学 生 の 約 半 数 は、 同 じく OB の松井助教が指導する学生で す。 【教員】岡崎篤行教授、松井大輔助教 【D】1 人【M2】4 人、【M1】6 人【B4】8 人【研究生】1 人 新潟の町屋から海外の制度まで 都市設計研究室所属時の思い出 東工大の卒論生だった時に参加した「全国町並みゼミ角館大会」で西村先生や研究室メンバーに出会い ました。それが人生の転機でした。修士の時は、飛騨古川や今井町のプロジェクトに参加し、博士課程 から東大に移籍しました。先生の本籍があった(建て替え前の)先端研に居たのですが、中庭でヤギが 草を食んでいる長閑な風景でした。博士課程では、飛騨古川の景観基本計画と景観条例案の策定に、後 輩達と取り組みました。月に4回〆切が有るハードな生活でしたが、今の自分の基盤になっています。 当時は Mac が不安定で、すぐクラッシュするので、徹夜で復旧に当たることもしばしばでした。1年 で東京都立大高見沢研の助手になってからも、飛騨古川のデザイン・ガイドライン策定や街環事業、ア メリカの歴史的環境保全制度調査などで、西村先生とご一緒させて頂きました。海外を含めた制度研究 は、今も学生と一緒に続けています。 これからの 研究室 新潟で始めた町屋群の基礎的悉皆 調査や花街空間の全国共同研究を 形にしたいです。建築学会の優秀 卒論・修論賞を 9 回受賞してい る優秀な学生達と一緒に、知られ ざる歴史的湊町・新潟の魅力を発 信していきます。 ※松井大輔助教も都市デザイン研究室出身 (p.6 学びの場の広がり ) 10

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2005.3 博士論文提出 花澤 信太郎 先生 静岡文化芸術大学 大学院 デザイン研究科 教授 【経歴】 1992-2006 SHIN 建築設計事務所 1998-2006 壱岐坂アーキテクツ / 共同主宰 2009.4-2014.3 静岡文化芸術大学准教授 研究室レイアウトの様子 【教員】花澤信太郎教授【B】4 人 現在の研究室について デザイン学科 建築・環境領域の研究 室の一つです。教育の特色は最初の2 年でデザインについての基礎的な学習 を積んだ後に、デザインの各領域に進 路を進める点にあり、学生は総合的な デザインの観点から建築や都市につい てのデザインを学びます。 地 域 に 根 ざ し、 デ ザ イ ン を 楽 し む 都市デザイン研究室所属時の思い出 当時の指導教官は西村先生と北沢先生でした。お二人とも非常に多忙で授業以外でお会いできる時間は 限られていましたが、その時間の中で大変多くの事を教えて頂きました。今行っている研究も、そのビ ジョンは西村先生に、方法論は北沢先生に示して頂いたものです。助手(現在の助教)には遠藤さん、 野原さん、中島さんがおられ、大学院生も学部生もみな元気にあふれたメンバーでした。研究室会議や 博士課程在籍者の勉強会である D ゼミなどの場で、先生がたや仲間から色々な事を学ぶ事のできた日々 はかけがえのない財産です。 これからの 研究室 研究室のメンバーは、みな故郷を 想う気持ちとデザイン力を持ち、 学部在学中からリノベーションな どのデザインを実現し活躍してい る人もいます。このような気持ち と能力を将来のまちづくりに繋げ ていきたいと思います。 2000.4 修士卒 /2006.9 博士論文提出 阿部 大輔 先生 龍谷大学 政策学部政策学科 准教授 【経歴】 2006.9-2009.1  政策研究大学院大学 研究助手 2009.1-2011.3  東京大学都市持続再生研究センター                      特任助教 昨年の「都市アーキビスト会議」の様子 (近畿圏の建築系研究室との合同設計演習) 3 ヵ月強の長丁場、チーム一丸となって取り組みます 現在の研究室について 素直で熱心な学生が多いです。社会科 学系学部のため、学生たちは都市につ いての知識も経験もほぼゼロの状態で ゼミに入ってきます。泳ぎ方も知らぬ まま、ゼミ生たちは他大学建築系ゼミ との合同設計演習や各種まちづくりプ ロジェクトといった荒波に放り込まれ ます。結果、状況によっては週 7 も 【教員】阿部大輔准教授 厭わぬハードなゼミとなります。 【B4】11 人【B3】13 人【B2】13 人 ( ゼミは 2 年後期から。文系学部は大学院進学者が少ないのが悩み ) 何事にも果敢に挑戦する曲者ゼミ 都市デザイン研究室所属時の思い出 院生室で過ごした風景も懐かしいですが(研究室会議のたびに同期のみんなで徹夜したり ... 大変非効 率的でした(笑))、夜行バスに揺られながら何度も通った鞆での調査風景が脳裏に焼きついています。 都市がどうあるべきか、調査先での時には夜を徹して交わした数々の議論が、私の専門家としての基礎 をつくったといっても過言ではありません。思えば、西村先生、北沢先生の都市へ注ぐ愛情あふれる眼 差しの有りように憧れ、自分の可能性を少しでも広げようとした学生時代でした。先生方だけでなく、 多士済々な先輩後輩、助教で戻った時に過ごした学生のみなさんとの真剣勝負の中で、都市というフレー ムを通して社会を粘り強く変革していく技術が都市デザインである、ということを叩き込まれたように 思います。今度は京都で縁のあった学生たちにそのエッセンスの一部でも何とか還元できないかと試行 錯誤する日々です。 これからの 研究室 地縁をベースとしたまちづくりが 盛んな京都ですが、じつは都市デ ザインを専門的に研究する研究室 は限られています。都市デザイン の研究と実践の両者において京都 で着実な信頼を置かれる研究室を 目指したいです。 11

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都市デザイン研究室 国土交通大臣賞 第 受賞作 デ ザ イ ン セ ン |受 賞 作 品 タと ー の ホ ー ーペム 講 評 は 、( 公 ジ財 に) 掲 載 さ れ て い る 。 都 市 づ く り パブ リ ッ ク 品を を 楽 し ん だ と い う 。 背 付 き の ラ ー メ ン を 頼 み 、 さ さ や か な 贅 沢 に 笑「 天 下 一品 」 で 普 段 は 頼 ま な い ト ッ ピ ン グ 顔で た 表 彰 式 終 了 後 、 早 速 有 名 ラ ー メ ン 店 写 え た 。 と は 言 い な が ら も 、「 天 下 」 を 取 っ 真 撮 ど の 有 意 義 な 使 い 道 を 考 え て い る 」 と 答 影 に は 「、 ま だ 決 ま って い な い が 、 調 査 旅 行 な 応じ   賞 金 5万0 円 の 使 い 道 に いつ て メ ン バ ー ら る 研 究 室 卒 業 生 の 顔 ぶ れ が 揃 っ た 。 チームメンバー(左から よ る 基 調 講 ら に 、 空 間 頂 い た 野 原 ン 研 マ ガ ジ ン た 三 牧 浩 也 ロ ジ ェ ク ト の 演計卓 副 が 行 わ れ 、 都 市 デ ザ イ ン 画 研 究 室 の 出 口 敦 教 授 に 准 教 授 の 姿 も 見 え た 。 さ 特 集 号 で ご 協 力 し て セ ン タ ー 長 や 、 都 市 デ ザ イ 視 察 で お 世 話 に な っ UDCK UDCK vol.242 , 田中 づ く り 活 動 も 表 彰 さ れ 、 昨 年 度 三 国 プ , 都 市 計 画 研 究 室 の 携 わ る 石 巻 市 の ま ち 永 野( 助 教 行 わ れ )、 の柏 取の り葉 組ア み や 、 ー バン デ 横ザ 浜イ 国 立 大 ン セ ン タ 学ー , 三文字 全  国表 の彰 ま式 ちで づは く、 り設 活計 動競 の技 表だ 彰け も 同 時 に で は な く 、 , 抜 い た 案 で あ っ た 。 神谷 運 び 、 提 出 期 限 間 近 ま で 粘 り 強 く 考 え , 籔田)=16 調飯期 査田間 や橋で ミ ー テ ィ ン グ は 大 学 か ら 集 中 的 に 取 で近り 何か組 度 も 敷 地 に 足 を っ た こ と も あ り 、 ん だ 。 対 象 地 の 日午 年 の 年 末 か ら 今 年 の 1 月 中 旬 ま で の 短 い 後、すまい・るホール 都 と 向 風 橋  市そ上格駅本 デのにあを設 ザ運資る含計 イ ン 研 究 室 有 志 メ ン バ ー は 、 昨 営 の ア イ デ ィ ア を 広 く 募 っ た 。 す る 地 区 全 体 の 都 市 デ ザ イ ン ラ ン ド ス ケ ー プ と 地 域 の 回 遊 性 む 約 6㌶6 の 地 区 を 対 象 と し て 、 競 技 は 、 北 の 丸 公 園 か ら 飯 田 国 土 交 通 大 臣 賞 の 表 彰 が 行 わ れ た 。 19回 「 ま ち の 活 性 化 ・ 都 市 デ ザ イ ン 競 技 」 づの平本賞に く り 快 挙 成 設 計 と 景 観 を 考 え る 全 国 大 会 」 に て 、 。 1年4 6の 月第 4 16日 回 (以 木来 ) 開 1年5 催ぶ のり 「2 ま度 ち目 競 技 で の 国 土 交 通 大 臣 賞 受 賞 は 、 を 受 賞 し た 。 都 市 デ ザ イ ン 研 究 室 の て 、 最 優 秀 賞 で あ る 国 土 交 通 大 臣 1年5 ぶ り 2度 目 回リ実 「 ま ち の 活 性 化 ・ ッ ク デ ザ イ ン セ ン タ 行 委 員 会 、( 公 財 都 市 デ ザ イ ン 競 技 」 ー が 主 催 す る 第 19 ) 都 市 づ く り パ ブ 航 文 真  平字義東 が昌助京 、也教大 ま、、学 ち田修都 づ中士市 く り 月 間 全 国 的 雄 大 2年 、神 学谷 部安 4年 里 沙 デ ザ イ ン 研 究 室 の 行籔、永 事田三野 壇上で賞状を受け取る三文字(右) UDCK 副センター長の三牧氏(右) 会場に展示される各部門の受賞作品 これからの都市デザインについて講義を行う出口教授 Pickup 手 賀 沼 PJ Project Headlines -PJ 近況早わかり - Web 記事もご覧ください。http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/ja/blog/▶ - ピックアップ報告 A rc h i v e s - 6 月の web 記事 06.27 計画立案に向けてスパート。 Workshop of 富士吉田 PJ 研究生の Fan から、この地域の形成 や「御師」とは何か、を紹介し、現地 ワークショップについて報告する。 7 月上旬の基本計画完成に向けて励んでいます。 14 日に中間報告を柏市役所にて市職員、環境コン サルタント、edge haus の方々に行いました。 現地調査、週 1 でのエスキス、初めての飲み会など、 メンバーとも濃い付き合いです。(岡山) 06.29 手賀沼プロジェクト、始動! 作業の進む手賀沼プロジェクトの具体 的な課題と現地調査の様子を、ブログ 初投稿の M1 岡山がレポート。 0 6 . 3 0 coming soon 高島平 高 島 平 PJ 新フェーズを前に。 カトマンズ現地報告 3年目となるカトマンズ PJ の今年度 初の現地調査。地域研 M1 永門くんに 寄稿いただき、濃い行程を紹介。 いよいよ当プロジェクトは、調査段階から住民の 方を巻き込んでの実践段階に移行します。今月は、 その初回企画に向けて、関係者との打ち合わせや 各種資料の作成などの準備を進めました。(中村) 都市縮退シンポジウム 発表報告 アメリカと日本の様々な事例を濃度高 く紹介したシンポジウム。登壇された D3 矢吹さんにご報告いただく。 上野 手賀沼 カトマンズ 富士吉田 小高 浦安 三国 佐原 PJ 一覧 3 Ta Te UePickup Pickup Ut ( 内子 7 月の予定 7/8 高島平 PJ プレ WS 開催 7/11 研究室会議 7/26-28 夏期ジュリー 編集後記 いくに先方こ今く集最 ま依は生調の回つ号後 し頼本方べ研卒あ。の たを当へご究業る卒主 。受にのと室生の業担 こけご原にののだ生当 のて迷稿時歴先ろのと 場下惑依間史生う先い を 借 り て 御 礼 申 し 上 げ ま す 。 神 谷 ) さ っ た 先 生 方 、 本 当 に あ り が と う ご ざ を お か け し ま し た 。 大 変 ご 多 忙 の 所 快 頼 は 〆 切 直 前 に な っ て し ま い 、 皆 さ ま が か か っ た 結 果 、 各 地 に 研 究 室 を 持 つ の 深 さ に は 改 め て 圧 倒 さ れ ま し た 。 一 方 の 足 取 り を 中 心 に 追 い か け て み て 、 、と 軽 く 思 っ た こ と か ら 始 ま り ま し た 。 生 方 が 持 っ て い る 研 究 室 っ て ど こ に い う 事 で 気 合 を 入 れ て 取 り 組 ん だ こ の 特

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