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紫友再刊第5号

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  同志社校友会北海道支部総会が盛大 に開催されますことを、心からお慶び 申しあげます。平素は、本学に対しま してご厚情、ご支援を賜わり、誠にあ りがとうございます。教職員を代表い たしまして厚くお礼申しあげます。   さて、この度、2020年3月末ま での4年間の任期で、同志社大学長に 就任いたしました。2025年の創立 切な時期に、学長職として同志社大学 の歴史形成に参画できることは、喜び 粛に受け止めています。みなさまのご づいて、個を尊重した自由な環境で教 組んでまいります。また、新町キャン 育と研究を実践し、社会のさまざまな パスの学習環境についても更なる充実 分野で活躍する人物を輩出していると 在価値があると考えています。 にむけて検討を進めてまいります。 ころに、時代を超えた同志社大学の存   2 0 2 5 年 に は 同 志 社 大 学 は 創 立 150周年を迎えます。それまでに優   そして、より個性的で特色ある私学 先 的 に 取 り 組 む べ く「 同 志 社 大 学 ビ であり続けるために、引き続き時代に いる所存です。 ジョン2025」を2015年度にま 即応した様々な取り組みに注力してま とめあげ、そのビジョン達成に向けて の中期行動計画を策定しました。今後 150周年という節目に向けたこの大   国 際 主 義 を 建 学 の 精 神 と し て い る 着手する課題の内容の精査も含め、よ 本 学 に と っ て、 グ ロ ー バ ル 化 は 重 要 り具体的な中期行動計画に練り直し、 な 課 題 の 一 つ で す。 文 部 科 学 省 事 業 一つひとつ実現に向けて取り組んでま および 「 Go Global Japan」 いります。 であるとともに、その責任の重さを厳 「 Global30」 に お い て 積 み 重 ね て き た 実 績 に 基 づ   「 ALL DOSHISHA」 の 精 神、 教 職 同志社大学  学長 松岡 敬 協力によりまして、この重責を果たし たいと念願しております。   今から141年前の1875年に、 創立者新島襄は「智識あり品行あり、 自ら立ち自ら治むるの人民、いわゆる 一国の良心とも謂う可き人々」の育成 を目指して、同志社英学校を設立しま し た。 い か に 学 術 技 芸 に 優 れ て い て も、それだけでは人間として十分では ない、真に人間といえる人は、教育が あり、知識があり、品行がある人であ 物になりうると考えたのです。 この 「良 心教育」を建学の精神とし、同志社は 3つの教育理念を掲げています。私は この教育理念をそれぞれ「キリスト教 主 義 」 は 人 を 敬 い 愛 す る 心、 「自由主 義 」 は 個 人 を 大 切 に す る 心、 「国際主 義」は広い視野で世界を見つめ理解す る心と表現しています。この理念に基 き、事業内容の発展に取り組みます。 協働体制で躍動する同志社大学を発展 2016年4月にはアーモスト大学に させていきたいと考えています。卒業 校友会北海道支部総会の開催を祝して 学んだ新島の伝統を継承し、グローバ 生のみなさまには、飛躍・発展を続け ル教育センターを開設、グローバル・ る本学の新たな活動に、引き続きご注 リベラルアーツ副専攻を設置いたしま 目とお力添えをいただきたく存じま した。また、今後国際主義をより具現 す。 化していくために、全学共通外国語教   最後になりましたが、本日の総会に 育の質を保証し、学生の外国語運用能 ご列席のみなさまが、この場を通じて 力を向上させるといった教育のグロー す。 14 り、そういう人こそが一国を支える人   また、今や同志社大学は 学部・ 相互の親睦をより一層深められますと バル化を戦略的に取り組んでまいりま ともに、今後ますますご活躍されます ことを心より祈念いたしまして、私の 16 挨拶とさせていただきます。 研究科を擁するまでとなり、教育と研 究 の 領 域 に 広 が り を 見 せ て い ま す。 2013年度には今出川整備事業が完 了し、新たな教学体制を展開している キャンパスが開校 30 ところです。2016年度には京田辺 周年を迎えます。 ラーネッド記念図書館をはじめ京田辺 キャンパスの学習環境の整備にも取り 1

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再刊5号に寄せて 支部長 草野 賀文(1984年 法学部卒) 10 「同志社ゆかりの地に集う」 に参加して 直前支部長 山川 寛之(1969年 経済学部卒)   平成7年に初刊が発行され平成 年の   昨年から支部長を仰せつかり、 大変な   同志社創立140周年記念事業の最 第4号を以て休刊していた紫友が、 再刊 名誉と責任を痛感しております。 先般2 年に一度の名簿編纂、 つまり広告協賛募 長の偉大さと、 校友諸氏の校友会活動に 対する深い理解を再認識しました。 ご存 知の通り当会は年会費を頂かず名簿広告 収入を活動費としております。 会の運営 そのものが先輩諸氏のご厚意で成り立っ 会本部から支援金が拠出されており、 よ り幅広い活動が展開できる様になりまし た。 昨年の道内クラブブロック会議にそ の成果が表れております。 高田元支部長 や山川前支部長が敷いてくださったレー ルを新幹線の様に走り抜けるだけでは大 第5号の発刊に漕ぎ着けることが出来ま した。 初刊時は武谷洋三さん (当時の事務 局長) が殆ど一人で紙面作りに勤しんで くれており、 その完成度の高さは北海道 支部の誇りでした。 再刊後も武谷さんの 指導を仰ぎ、 現在の武田泰一事務局長が 原稿依頼から紙面の構成、 イラスト選定 ・ 挿入まで全てを担ってくれております。   紫友はその時々の支部活動を色濃く反 映しており、 再刊第4号では道内各クラ ブから原稿を頂いております。 編纂者の 編集意図に敬意を表するものです。 再刊 第5号では、 道内で活躍中或いは活躍さ れた教育関係者の皆様から原稿を頂きま した。 今までにはない紙面作りに新鮮な 驚きを覚えております。   斯様な機関誌は全国の校友会組織に於 す。 毎年名古屋同志社人クラブ会報 (現在 10 第 号発刊) を事務局の山田靖典さんか ら頂いており、 当会ホームページの掲示 板に掲載させて頂いております。 このよ うな機関誌の相互やり取りは、 全国の校 友の絆を深めると同時に貴重な情報交換 手段にもなりうると考えます。 全国的な 活動の広がりを期待しております。 加をさせて頂いた。 28 30 年 月 1 放感に浸ったものであった。 後を飾る同志社フェア・イン熊本に参   ところで り気にも懸けず、勉強もしなかった自 集活動を終えました。 改めて山川前支部   平 成 日( 土 ) 、同志社の 分が卒業後半世紀を経た今、同志社ゆ 精神、実学的ルーツとも言える熊本バ かりの地を巡り、母校の建学精神や校 ンド結盟140周年記念早天祈祷会が 祖新島襄の思想・信条に触れ再認識を 熊本市花岡山山頂の「奉教之碑」前で する。これは帝大出身者には絶対味わ 挙行され、クリスチャンでもないのに 50 えないことなのだろう。私学同志社に 祈り賛美歌を唄う自分がそこに居た。 学んだ、就中、校祖新島襄とその強い ている訳です。 加えて5年程前から校友   まるで 年前の在学中のチャペルア 感化を受けた教え子達に支えられた同 ワーにタイムスリップしたかのような 志社大学にご縁を頂き学んだことを感 懐かしい思いがして不思議な感じを覚 であったが、 4 謝し誇らしく思うところである。この えた。当日は、ここのところ毎年雨中 際良い機会なので熊本バンドの由来と 年振りと言われる晴天 つ厳粛な空気に包まれていた。 彼等の「奉教の趣意書」を日本語翻訳 下、真に穏やかで、多少緊張も感じつ 文にて掲載するので是非その心に触れ て 頂 き た い( 次 頁 ) 。明治の気骨ある 変申し訳なく、 何とか 「支部おこし」「クラ   同 志 社 OB が 院 長 の 九 州 学 院 女 子 — — — 9 — — — ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 良心の充満したる先輩達に絶大なる敬 — ・ ブおこし」 に繋げたいと思っております。 校生が聖書朗読や賛美歌を唄う。極め 4 3 意を表するものである。 付けは村田同志社大学長の「寛容と忍 元支部長が咽喉ガンの為ご逝去されまし 10 た。 平成 年から 年間支部長をされ、 関 7 西六大学ゴルフ対抗戦 ・ ファミリー会 ・ ク リスマスパーティ等を立案実行、 ほぼ現 在の形を作って下さいました。 毎年、 クリ 30 スマスパーティにはポケットマネーで 数名の子供達にお菓子を下さっておりま した。 心からご冥福をお祈り致します。 いて数刊発刊されていることと思いま   本年 月 日午前 時半頃  高田稀代 耐」というスピーチ。早朝しかも九州 とは言え厳寒の中のお話しはスピード と歯切れの良さ、解り易さから学長の 独断場。その場にピッタリの内容だっ た気がする。その余韻と満足感に酔っ 50 年前の大学在学中には余 ている頃には辺りもすっかり明るくな り、集った350人それぞれの顔も識 別出来る様になり九州各支部から参加 の支部長さんに目礼も出来、笑顔と解 2 紫友 再刊第 5 号

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「奉教趣意書」 口語訳    キリスト教を信じる宣言文  我々が、 キリスト教を学んだところ、 大変教えられるところがあった。 以後、 これを学べば学ぶ ほど喜びが得られる。 そこで、 このキリスト教を日本の国中に伝道し、 文明を知り文化を得てほし いと考えるに到った。  しかしながら、 キリスト教の深い真理を知らずして、 古い伝統と習慣にしばられている人々が 少なくない。 我ら新しい真理を知った者として、 この真理を知らない人々の現状を見るに、 いたた まれないもどかしさを感じる。 この際、 我ら、 新しい大きな使命をになう青年は、 一大決心をし生 命がけでキリスト教が公明正大な宗教であることを、 明確にしてゆかねばならない。 この決意の 実行に、 我々はもっとも力を尽くすつもりである。  そこで志を同じくするものが、 花岡山に登り、 一致協力してキリスト教の信仰を守ってゆくた めに、 次の約束をする次第である。 一. キリスト教を信じる者は、 お互いに兄弟としての交わりをもち、 生活全般にわたって、 互いに 戒めあい忠告しあいながら、 良い行いを実行しなければならない。 一. いったん、 キリスト教の信仰を持ちながら、 信仰にふさわしい生活ができない者は、 神をあざ むくことになる。 また、 自分自身の心をもあざむくことになる。 こうした者は、 必ずや神の罰を 受けることを知らなければならない。 一. 今日、 我が国の多くは、 キリスト教を拒否している。 それ故に我らの内、 たとえ一人でもキリス ト教をすてる者は、 世間の物笑いになるだけでなく、 我らのせっかくの決意をもふみにじり、 実行不可能にしてしまう。 ともども、 努力しようではないか。 一八七六年一月三十日 日曜日 記す この後に次の人々の署名がある。 (署名順) 宮川経輝、 古荘三郎、 岡田松生、 林治定、 不破唯次郎、 由布武三郎、 大島徳四郎、 蔵原惟郭、 金森通倫、 吉田萬熊、 辻豊吉、 亀山昇、 海老名喜三郎 (海老名弾正) 、 浦本武 雄、 大屋武雄、 両角政之、 野田武雄、 下村孝太郎、 北野要一郎、 加藤勇次郎、 原井淳太、 柴藤章、 松尾敬吾、 金子富吉、 古閑義明、 上原方立、 *悪冨豬弐 郒 (徳富蘇峰) 、 森田久萬人、 伊勢時雄、 浮田和民、 阪井楨甫、 市原盛宏、 川上虎雄、 鈴木萬、 今村愼始 下線の人々は削除の印がある人。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・       出典 : 『Doshisha Spirit Week講演集 2010 秋学期』pp.69 ~ 72       発行 : 同志社大学キリスト教文化センター  2012年12月26日発行 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・   *複製の奉教趣意書には、 この様な表記になっている。 徳富猪一郎が本名。 (多田直彦) いいちろう 3

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日本国憲法の平和主義は 「権力 け、 田畑 忍 先生や岡倉古志郎先生、 岡田良   また、 同志社での出会い 酪農学園大学名誉教授 ・ (福) 神愛園理事長 太田 一男   1955年の春、 入学式の前日、 同志 ギューリック夫妻からオープンハウス での生活が始まりました。 いという家庭の事情もあり、 私は、 自活 することを前提に同志社の門をくぐっ たという事情もあり、 当時の私には、 日 曜の礼拝に出ることや月曜日のギュー リック先生宅でのバイブルスタディー に出席することも、 時間の配分の上では 大変なことでしたが、 同志社での生活で は、 なぜかこの二つの時間が最優先とな 12 り、 その年の 月、 私は同志社教会で、 茂 義太郎 牧師から洗礼を受けてキリスト 教徒に加えて頂きました。 年 生 の 夏、 九州 ・ 熊 本 ・阿 蘇 山 麓 で 日 本YMCAが 主 催 す し、 世界各国から集まった学生や日本 の他大学の学生達と熱くもまた濃い交 流の時を与えられました。 2 社大学の下見に出かけた。 正門をくぐっ てすぐ、 本部前の石碑を前に、 何と書か れているのかと目を凝らして見ている   父が高校の教師をしていて、 兄弟が多 と、 横から声がして、「この碑には、〝良心 の全身に充満したる丈夫の起り来たら んことを〟 と書かれている。 これは、 新島 先生が、 この大学をお建てになった時の 「祈りの言葉」 なのですよ と教えてくだ さる方がおられた。 その方は、 田中さん と云う方で、 本部事務局の職員であった ということを後で知るのですが、 その時 は、 その声が、 私の耳元で大きく響き、 こ の学び舎には、「創立者の祈りがある」 と いうことを知らされたのでした。 り」 に胸打たれ、 感動したことを今も鮮 明に覚えているのです。   県立津山高校卒の私には、 新島先生の 「建学の祈り」 が新鮮で、 感動的なもので あったのです。 田中さんが、 そばから声を い会話をしている時、 偶然にも、 その場を 通りかかられたのがギューリック宣教師 ご夫妻でなかったら、 私の人生は全く別 のものとなっていたと思われます。   田 中 さ ん か ら、「 「同志社に来たの 夫先生 (京都大学) 、 田畑茂二郎先生 (京都 の非武装」 制を規定する 「権力非武装平 大学) 、 恒藤 恭 先生 (京都大学) 、 黒田了一 和主義」 と説く私の憲法論の立ち場から 先生 (大阪市立大学) 、 篠田一人先生 ・ 和田 も、 ユーゴスラヴィアの非同盟中立主義 ・ 笠原芳光先生 ・ 川崎洋子先生な (1959年 法学部卒) 洋一先生 平和政策も、 私の関心事であり、 ユーゴ ど多くの先生方に個人的ご指導を得て、 スラヴィア研究に導かれたものでした。 豊かな学校生活を送らせて頂きました。   田畑先生を中心とする憲法政治学研 「労働者自治」 と の お 誘 い を 頂 い て、 わ た く し の 同 志 社   大学院での研究課題を 究会で、「労働者自治論」 の研究発表をさ 云う、 当時としては、 極めて特異な課題に せて頂いたとき、 黒田了一先生が大阪か 置いていましたので、 先行研究が極めて ら、 重い風呂敷包みの中に、 関係書を入 少なく、 ユーゴスラヴィアでの検討実例 れてお持ちいただいたこと、 恒藤 恭先生 私一人の為に講義の時を作ってくだ の資料入手に苦労をしていたのですが、 が、 京都での世界宗教者平和会議に出席され さっていたこと、 また大学院に進んだ時、 たマルコヴィチ書記官 (チトー ・ ユーゴス 岡田良夫先生が、 進学祝にと、 基本的文献 ラヴィア大統領の甥) やスモーレ駐日本 の数々を下宿にお運びくださったこと 大使 (チトー大統領の元秘書をされてい など忘れられない大切な思い出です。 た方) との出会いなども、 私の大きな出会   同志社時代に大山郁夫記念集会を開 いの一つでした。 そのご縁で、1974 いたり、 羽仁五郎先生の参議院議員の選 年には、 ユーゴスラヴィア ・ ベオグラード 挙に関わって、 直接羽仁先生とお話しさ 大学へ研修に出かけることも可能と成 せて頂いたり、 京都宗教者世界平和会議 り、 当時、 ユーゴスラヴィアが追及してい のご縁で、 日本山妙法寺の藤井日達師や   こ の 時、 私は新島先生の 「 建 学 の 祈   受 洗 後 は、 大学 た非同盟政策や、 労働者自治体制の研究 佐藤行通師、 京都清水寺の大西良慶師、 にも関わることが許されたのでした。 日蓮宗立本寺の細井友晉師、 湯川絹代夫 る 「国際学生ワークキャンプ」 に 参 加   また、 当時、 ドヴローニックのツァアフ (東京大学 ・ 早稲田大学教 人、 堀 豊彦先生 タットで、 毎年開かれていた 「世界社会主 授) 、 飯島宗崇先生 (東洋大学教授) 等など 義国際円卓会議」 に研究者の一人として、 日本を代表する精神界の指導者の方々 数回出席させて頂き、 世界各国の理論家 にも親しくさせて頂いた恵の時でした。 の かけてくださらなかったら、 またあの短   「同志社学生キリスト者平和の会」 会」 の メ ン バ ー に も 加 え て 頂 き、「 第 1 キリスト者の群れに との交流の時を得ることが出来ました。   同 志 社 に 進 み、 再建に関わり、「京都キリスト者平和の   私 は、 どの政党にも加わることも無 回京都世界宗教者平和会議」 の事務局 担当 (理事) など様々な役割を与えられ 育てて頂きました。 加えて頂き、「神を愛し、 人を愛し、 土を く、 党 派 性 を 持 た ず、 個の人格を重ん 愛する」 三愛の精神で 「自立した自勞作 じ、 自由 ・ 自立 ・ 自律 ・ 自治を重んずる民 農の自治」 社会を追求しようとする酪 主社会の在り様を考えていましたの 討は実に刺激的なものでした。 農学園大学の教育 ・ 研究の場に、 人生の で、 ユーゴスラヴィアの社会主義の検 岡本清一教授のご指導を受 だ か ら、 教会に来なさい」 と 言 わ れ、   大学では、 場 を 与 え ら れ た と い う こ と は、 本当に 幸せなことでした。 4 紫友 再刊第 5 号

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の終わ ンとして映像的にしばしば現れる)を あの夏の日の夜光虫 道新 「道内文学」 欄担当 (元静修高校教諭) 妹尾雄太郎(1977年 文学部卒)   学生時代を思い出すとき、決まって 浮かんでくるのが夜の浜辺に打ち寄せ られて漂う無数の夜光虫の青白い輝き である。   ぼ く は 1972 年 に 文 学 部 文 化 学 科 国 文 学 専 攻 に 入 学 し た。 一 乗 寺 に あった三畳一間の下宿で暮らし始め た。その頃、国文学科には学生の自主 的な文学研究組織があった。上古、中 古、中世、近世、近現代、国語学、児 童文学の研究グループがあり、それぞ れのグループが例会と称したレポート 発表と討議をほぼ週2回行っていた。   レンガ造りの建物の、今思えば歴史 を刻んだ風格のある空間に常時たむろ していた。当初、中世文学研究会に所 属したが、ぼくはこの学生研究グルー プの先輩や同級生メンバーに強烈な刺 激を受けたのだった。ものの考え方や 文章もそこで鍛えられた、ガリ版刷り の学生同人誌が何誌も競合して競い あっていた。鉄筆、 やすり、 ろう原紙、 修正液、謄写版の日々。あの学生のこ ろのアナログ時代がその後のぼくの人 生の土台を形成したことは疑いない。   授業はさぼるにいいだけさぼった が、この研究会の例会には律儀に出席 茶 店 で あ っ た。 神 学 部 の 建 物 の 横 で キャッチボールなどしていたこともあ る。コンパもたいがい乱痴気、狼籍、 修 羅、 喧 嘩 と 収 拾 不 能 な 騒 ぎ に な っ て、最後はだれかの下宿に転がり込ん で寝込むのであった。ぼくの下宿の部 屋の前の廊下で糞をたれて寝ていた奴 もいた。だれが言い出したか、飢えを 体験しなければ文学というものは分か らぬ、という言葉に同調して、暮れか ら正月三が日を断食したことがあっ た。 実 際 は、 ただみんな金がなかった だ け で は あ る。 当 時 の 愚 行 を 書 き 出 せ ば き り が な い し、 とうていここには 書 け な い こ と も い っ ぱ い あ る。 そ の 後、札幌で車を運転しながらの通勤途 上、脈絡もなくそれらが思い出されて ギ ャ ー、 と 何 回 叫 ん だ か。 井 筒 和 幸 監 督の映画『パッチギ』はほぼあの時代 の鴨川と高野川が合流する三角のでっ ぱりあたりで乱闘するシーンを共感的 に 観 た が、 そこで一升瓶を持って友達 と飲んだくれた記憶もよみがえる。 した。メンバーの溜まり場は今出川校   さ て、 研 究 会 の 話 で あ る。 毎 年、 夏 向かいにあった「わびすけ」という喫 あったクラーク館の8番教室や、西門 舎東側つきあたりの国文科の書庫が ご本人 奥様 りにそ 通って、砂浜に出ると、群れ戯れて花 の研究 火に興じる一群。遠くで抱き合うカッ 会メン プルの仄かなシルエット。急に泣き出 バー全 す女の子。突然、着衣のまま海に歩き 員で福 出す女の子。それを懸命に止めに行く 井県、 奴。砂の上で前方転回を狂ったように 若狭和 繰り返す男。数年間の夏合宿の友人た 田の海 ちの複合映像の一部であるが、青春で 辺の半 ありました。 農半漁   その青春の乱痴気の中の波打ち際の 風の大 闇に打ち寄せる潮騒の音。そしてその きな民宿を借り切って研究会合宿とい 波の満ち引きに漂いながら仄かに光る う の を 行 っ て い た。 総 勢6、 70人は 青白い夜光虫の群れ。あの同じ時間を いたであろうか。午前、午後の時間は 共有した仲間たちは、その後どんな人 各研究会グループに分かれ、それぞれ 生の時間をくぐったのであろうか。も が書いたレポートをガリ版刷りしたレ うみんな還暦を越えた。 ジュメをもとに真面目に討議するので   おーい、あの夏の夜光虫はまだ心の りに腰を下ろしてギターの弾き 語りで吉田拓郎の「旅の宿」を 歌っていた友人の歌声がよみが える。今思えば、そんな義務も ないのに京都から車でやってき てぼくらと一緒に庭先で卓球に 興じてくださった中世文学の里 井陸郎教授には本当に感謝の気 持ちがあふれることである。 あ る。 夕 暮 れ 時、 民 宿 の 二 階 の 手 す どこかで光っているかい。 の京都を背景としており、出町柳近く   学生のこととて、夜になると 毎夜大宴会である。昼間の論議 の蒸し返しの喧嘩、馬鹿騒ぎや 色恋沙汰。そして民宿から海辺 への砂地の道(この道はいまだ に脈絡のない夢の中の導入シー 5

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n 京都人   i   北海道 (大学評価 ・ 産学官連携等担当) 小樽商科大学 副学長 場製作所、ローム、任天堂など日本を う。京風懐石ではなく石狩鍋、お寺さ 代表するハイテク企業の本拠地になっ きたのが京都だと言えるでしょう。 ん巡りではなくラフティング、昆布取 て い ま す。 「伝統と革新」を追求して り体験や搾乳体験などは、 まさに 「ザ ・ 大学院商学研究科アントレプレナーシップ専攻教授 北海道」でしょう。それこそが日本の 近藤 公彦(1984年 商学部卒)   翻って、北海道はどうあるべきなの   私 は 生 ま れ も 育 ち も 京 都 市( 左 京 区 ) で す。1984 年、 同 志 社 大 学 都」と聞くと、例外なく、日本人はテ ンションが上がります。ただ、そのテ ンションの中身は、まさに対極です。 そのスケールの大きさは日本の他の地 域では決して味わうことができませ ん。 一 方、 京 都 の 魅 力 は 1200 年 の歴史から生まれる文化と伝統でしょ う。   世界遺産で言えば、北海道には大自 然の「知床」があり、京都は「古都京 都の文化財」として登録されているの は象徴的です。   さて、このように北海道と京都が対 極にあるとすると、未来に向けて目指 すべき方向も違ってくるでしょう。 年 前 に 放 映 さ れ た NHK 大 河 ド ラ マ 「八重の桜」では、 明治維新当時、 「都 が東京に移ってしもて、京都はこれか らどないなるんやろ」と京都人は大変   この冊子を読まれている方は、北海 道 で 生 ま れ、 京 都 で 学 び、 北 海 道 に U タ ー ン、 と い う 方 が 多 い の で は な いでしょうか。北海道と京都はいろん な点で対極にあり、比較すると、いろ いろおもしろいことが見えてきます。 北海道、 京都はいずれも、 日本人にとっ な危機感を持ったことが描かれていま した。その危機感をバネに、京都は疎 水をつくり、水力発電を行い、市電を 通 し、 ( 京 都 ) 帝 国 大 学 を 誘 致 し、 ま た同志社、立命館という関西私学の雄 が産声を上げています。さらに今では 京セラ、島津製作所、村田製作所、堀 3 商学部を卒業後、マーケティング研究 者になるべく、神戸大学大学院経営学 課 程 修 了 後、 岡 山 商 科 大 学 を 経 て、 1997 年 に 小 樽 商 科 大 学 に 赴 任 し 20 ました。早いもので、北海道は になります。 年目 研究科に進みました。大学院博士後期   北海道には雄大な自然があります。 て 憧 れ の 地 で し ょ う。 「北海道」 、 「京 北海道、アジアの、そして世界の北海 か。私は北海道の特長を最大限に生か 道の目指すべき未来だと思います。 し、競争優位をつくり出すことだと思   京都、 道外、 さらには外国も含めて、 います。京都を追いかける必要はあり 北海道以外で生活を経験した者からは ません。京料理の真似をしようとして も、それは無理なことですし、京都の よく見えてくる本当の北海道らしさが あ り ま す。 「 京 都 人 in 北 海 道 」 も おもてなしを取り込んでも意味があり そんな北海道の未来に少しでもお役に ません。そうではなく、北海道ならで 立てればと、 日々、 仕事をしています。 はの自然、文化、北海道でしかできな い体験、 経験を 「売り」 にすべきでしょ 6 紫友 再刊第 5 号

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けに、子どもの専門家である医療、療 う 機 会 同志社の風を受けて 育、 教 育 等 の 専 門 家 は、 「お母さん   や、ハン 家でも○○頑張ってね」と言及しがち セン病療 北星学園大学短期大学部 教授 です。○○は、リハビリであったり、 藤原 里佐(1986年 文学部卒) 生活動作であったり、排泄自立であっ   1982 年、 地 方 試 験 で 同 志 社 大 学 道立の養護学校教員として勤務してい る時に、北大の大学院に社会人として 籍を置くことになりました。そのきっ かけは、障害児教育の実践の場で、子 ど も と そ の 家 族、 特 に お 母 さ ん と 出 文学部社会学科社会福祉学専攻を受験 し入学しました。   社会福祉学専攻では、同志社生え抜 きの先生方による、文字通り、熱い講 私 は 高 校 ま で を 札 幌 で 過 ご し、 業後に保育士として就職し、その後、 養所岡山 愛生園を たりしますが、母親が、ある時は介護 視察する 士、ある時は看護師、またある時には 機会があ 家庭教師としての役割を果たしている り ま し こ と に 対 し、 「障害児の母親である以 た。大学 上、それは当然である」という見方を を卒業し していることを自分自身の現場での反 て 省 も 含 め て、 再 考 し た い と 思 い ま し 経とうと 義が展開されていました。私は後に副 会ったことに依ります。 学長として活躍される、黒木保博先生   1990年代、障害児教育の制度、 の ゼ ミ で 学 び、 そ の 時 の ゼ ミ 仲 間 と は、今も親しい交流が続いています。 障害を持つ子どもへの福祉サービスは 充足してきますが、子どものケアラー として、代弁者として、あるいは権利 擁護者として、母親の役割が肥大化し ていることを目の当たりにしました。   障 害 を も つ 子 ど も の 権 利、QOL を保障する上では、母親の頑張りや献 身性が暗黙の裡に期待され、子どもの 学 校 教 育 も 社 会 参 加 も、 母 親 が コ ー 一人の当事者になっているという実態 がありました。障害をもつ子どものた めに、一生という単位で子どもの支援   専門性の高い先生方と、良い仲間に 恵 ま れ、 学 ぶ と い う 環 境 に 不 足 は な かったのですが、あまり勉強もせず、 楽しい、そしてあっという間の 年間 4 を過ごしました。在学中に保育所での アルバイトを経験し、その仕事に魅了 され、保育士資格を取得しました。卒 者として生きる母親の心身の健康、家 族との関係性、きょうだいの育児など において、特別な困難があるのではな いかという疑問が私の研究の出発点で す。養護学校のお母さんたちはいつも の要望などを表出することが少ないだ た。障害者家族が、地域社会で「あた している りまえの生活」を営むことは、制度や 今、改め サービスの発展によって可能になった て、同志社の理念と精神を思い起こし 面もありますが、家族に大きく依存し ます。 30 年が 回生の講義に「社会問題」と た介護態勢や、障害者とその家族の高 いう科目がありました。同志社が社会 齢化の問題は、より深刻化していると 福祉学に求めることは、社会の底辺に も言えます。私自身の将来の希望とし ある人たちと共にあることであり、同 て、子どもの入所先を訪問したり、休 志社の存在理由そのものがそこにある 暇を一緒に過ごすなど、家族の高齢期 わりたいと思っています。 というメッセージだったと記憶してい をサポートできる拠点を作ることに関 ます。社会問題は、その数も規模も広 1 がる一方で、DV、児童虐待など、 ディネートし、付き添い、母親ももう   私が現在勤務する学校法人「北星学 年代以降に深刻化した問題も少なくあ 園」は、中学・高校・短大・大学を有 り ま せ ん。 「社会問題とは何か」もう するミッションスクールであり、アメ 一度、原点に返り、自分は何をすべき リカ人女性宣教師が札幌の地で女学校 なのか問うてみる時期であると感じて を開学して以来、130年の歴史があ います。 ります。本学には、同志社とかかわり   母校では春爛漫の中で入学式が行わ のある教職員も多く、札幌に居ながら る環境はとても恵まれています。 れていることを想いつつ、私自身も新 にして同志社の風を感じることができ 入生との出会い、在校生、卒業生との 繋がりを丁寧に結び、共に考え、一緒 明るく前向きで、養育の負担感や自身   昨 年 度、 私 は 熊 本 県 水 俣 市 を 訪 問 に動く一人でありたいと願う 月で し、胎児性水俣病患者の方のお話を伺 す。 4 90 水俣の海 7

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れ、定期的な交流の場で親交を深めて 同志社社長)が布教に赴いた土地とし 同志社校友会を頼って 29 います。この会があって、苫小牧市と て今治が出てきますが、由緒正しき今 室蘭工業大学の間の結びつきもできつ 治教会の上島牧師にもお会いして、同 室蘭工業大学 准教授 つあります。平成 年度の地域再生シ 永井 真也(1994年 経済学部卒) ステム論は苫小牧市を舞台に開催しま す。 24   平成 4 業大学に赴任して えています。現代民主主義論、地方自 治論以外にも、小樽商科大学との連携 授業として地域再生システム論、学生 に身近な胆振学入門といった科目が加 わっています。地域に密着した授業を 展開するための地域の人脈作りは重要 で、今後は校友会の皆様の協力を仰ぐ 機会もあるかと思いますが、その節は よろしくお願いします。 任した最初の正月に校友会徳島県支部 長(当時)の連絡先が書いてありまし た。先輩から連絡するようにとあるの で、素直に山川会長に連絡をして、校 友会北海道支部に参加させていただく ようになりました。   また苫小牧のほうでも、最初は知り 合 い も い な か っ た の で す が、 「苫人」 という雑誌に市議の金澤俊さんが同大 卒とあったのを見て、苫小牧在住の同 志社大学卒なのでお会いしましょうと 気軽にお話ししていますが、いい年を して、同じ大学ならツテができるだろ   大学では行政学のポストで採用とな りましたが、最近は地方活性化など本 うと思っておりました。苫小牧の校友 4   初めての北海道暮らしにもかかわら ず、人生で最も濃厚な時間を過ごせて いるのは、同志社大学の同窓の皆さん の支えあってのものです。   同志社大学では経済学部で学び、一 度は地元の銀行に数年勤めましたが、 新しくできた大学院総合政策科学研究 科に進学し、後に大学教員になりまし 国 大 学 で、 そ ち ら も よ か っ た の で す が、一度は国立大学でという私の想い と、北海道に行ってみたいという妻の 想いがあわさった結果、北海道に参っ た次第です。 年が過ぎました。 年 月に国立大学法人室蘭工 たことがあります。昨年 志社の話をしてきました。明徳館の地 下食堂は美味しくなかったという話が 頭に残っていますが、たわいもない話 3 来とは異なる分野での教育の機会が増   研究のほうでも校友にお世話になっ ができるのは同窓の楽しさです。上島 月末に地域 牧師は以前に北海道の恵庭教会にい 活性化の調査で愛媛県今治市に調査に さん、B級グルメ 飯、 2 3 らっしゃったそうで、北海道の話もい 行きました。ゆるキャラ王者のバリィ たしました。 位の今治焼き豚卵   その後、 月、 つとも全国的に有名なマチは他 に な い こ と、 今 治 タ オ ル の ブ ラ ン ド 化、日本一の今治造船、しまなみ海道 のサイクリング、地域活性化のフロン トランナーの今治市のことを知りた の収穫もありませんでした。 12 月 に は 今 治 商 工 会 議 所 の 会 員 3, 050社にアンケート(回収320) を実施することができました。調査内 容 は、 今 も 続 い て い る 無 尽 に つ い て で、今治の無尽が割賦販売のルーツで た。前任校は生まれ育った徳島県の四   校友会北海道支部との出会いは、赴 かったのですが、いきなり行っても何 す。調査結果のダイジェストは 10 月と調査に訪れ、 7 月 5 た。 5 日の愛媛新聞に掲載していただいてい の先輩から年賀状をいただき、山川会   ところが、今治からの帰り道に徳島 ます。 月に学会に投稿しますが、こ に立ち寄り、校友会徳島県支部の事務 の研究は今治校友会の支え以外の何物 局長の岡南徳島市議会議員の事務所で でもありません。今治事務局長の藤原 「サッパリあかんかった」とボヤいて さんをはじめ多くの友人ができたこと みたところ、その場で校友会愛媛県支 も収穫でした。 部の石川事務局長に電話を入れてくれ   母校も遠く、実家も遠く、不慣れな ました。そのまま愛媛県支部の事務局 北海道の地で、これからも「頼ってな 長から今治校友会の藤原事務局長に連 んぼの校友会」 でいきたいと思います。 絡がはいり、今治校友会で調査を応援 しますとの有り難い連絡を受けまし 一方的にメールを送りました。今では   5 月末に再び今治を訪れ、行きたい ただきました。夜も 7 胆振学入門 5 3 ところはすべて阿部会長に案内してい 名の校友と楽し 会 の メ ン バ ー は 温 か く 受 け 入 れ て く   八重の桜にも横井時雄先生( いひと時を過ごすことができました。 代目 8 紫友 再刊第 5 号

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取引時点での価格が、その時点で情報 式に投資をしていれば、平均的な利益 株式投資で儲けることはできる?   ~ファイナンスの学び~ を全て反映した適正な価格ということ になります。 2 は稼げるようです。社会は発展してい る、また社会が発展していくとするの 北海学園大学 教授   つめはランダムウォーク仮説。ラ 赤石 篤紀(1997年 商学部卒) ンダムウォークとは、英語で、酔っぱ   北海学園大学経営学部で「ファイナ ンス」と「コーポレート・ファイナン ス」を担当。研究は、企業の評価を中 心的なテーマとし、最近ではその対象 をベンチャー企業や成長企業に狭めな がら、これらの企業の資本調達行動、 投資行動について考察しています。 て検証されています。   1 つめは効率的市場仮説。株式市場 が入手可能な全ての情報を株価に反映 しているという仮説です。この仮説に 従うと、株価に影響を及ぼす情報は瞬 通常の平均的な利益しか得ることがで きません。つまり、株価にプラスの情 報を得て、今後の値上がりを見越して 株式を買おうとしても、そのときには その情報により、株価は適正な水準ま で 上 昇 し て お り、 (平均以上の)特別 な利益を得ることはできないというこ とになります。 の、様々な市場の、様々な期間のデー   さて、大学でファイナンスを教えて い る と い う と、 「 ど う や っ た ら、 株 で 儲 か る の で す か?」 と よ く 聞 か れ ま す。素人的な疑問のようにも思われま すが、なかなかどうして。ファイナン タを使って、この仮説の有効性を検証 し て き ま し た。 一 部 例 外 は あ り ま す が、おおよそ「過去の情報、公開情報 の全てが株価に織り込まれている」と た。このテーマについては、 2 ることができるのか」というテーマ つの有 のか」 、 「株式投資で、平均よりも儲け うにして決まるのか、どう動いていく ス の 領 域 で は、 「株式の価格はどのよ であれば、それを下支えする企業も入 れ替わりはあるものの、集合的な経済 らいの千鳥足 (ちどりあし) 。つまり、 体 と し て 発 展・ 成 長 し て い く で し ょ 酩酊した人間が次に右に動くのか、左 う。ですから、中長期的な、多くの企 に動くのかがわからないのと同じよう 業に対する分散的な株式投資によって に、次に株価が上がるのか、下がるの 平均的な利益は期待できるのです。 かは誰もわからないというものです。   こうした当たり前のことを知るとい は、重大なテーマであり続けてきまし   先の効率的市場仮説との関連でいえ 名な仮説があり、多くの研究者によっ うことも、また実りのある人生を考え ば、現時点での全ての公開情報が株価 る礎のような気がします。少しでも多 に織り込まれており、次に株価がどう くの果実を得るためには、粛々と投資 動くのかは、次に出てくる情報に依存 を行う一方で、一生懸命働き、社会に することになります。そして、いかな 適正に評価されるよう自身の腕を磨く る情報が次に出てくるのかが未知であ いということになります。 しかないことが明らかになったのです る以上、株価がどう動くかもわからな から。 時に価格に反映されるので、投資家は   とはいえ、効率的市場を出し抜く方 法もあります。効率的市場とはいえ、 非公開の、内部情報までは取引に反映 するほどの力はもっていません。です から、この非公開の内部情報を用いる ことで、確実に利益を獲得することは で き ま す。 も ち ろ ん、 こ う し た ア ン フェアな取引は、インサイダー取引と して、 法律で厳しく罰せられています。   多くの研究者が、これまで様々な国   結局のところ、十数年、ファイナン ス に つ い て、 勉 強 し て き ま し た が、 「株式投資で、平均以上に儲かること はない」ことが十二分に理解できたと となりました。 いう、何とも言えないオチを得ること いう帰結が得られています。つまり、   ただ、中長期的に、様々な企業の株 9

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被災地・被災者の皆様に、 心よりお見舞い申し上げます この度 4 月の、 「平成 28 年熊本地震」において、 お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、 被災者の皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。 被災地においては一日も早い復旧と、皆さまのご無事を、 お祈り申し上げます。 表紙写真:平成 28 年 1 月 30 日 熊本バンド結盟 140 周年記念早天祈祷祭 (熊本市花岡山山頂)

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