0105_magazine236

 

Embed or link this publication

Description

revised

Popular Pages


p. 1

W H A T ’ S G O I N G O N I N T H A T T O W N N O W ?

[close]

p. 2

まちに残したものとは 〜プロジェクトの「終え方」を考える旅〜   都 市 デ ザイ ン 研 究 室 の 大 きな 特 色 の 一 つに、 プ ロ ジ ェク トが あ る。 プ ロ ジ ェ ク ト に 所 属 し、 ま ち に ど っ ぷ り と 入 り 込 ん で、 都市デザインの実践を日々積み重ねている。   だ が 、 プ ロ ジ ェ ク ト に は 宿 命 が あ る。 現 場 か ら 離 れ た 大 学 と いう 性格 上、 恒久 的に まちに 関 わ るこ とは 困 難で、 いつ かは 終 わり が 来 る。そ の 時、 報告 書が 棚に 収 めら れ る だけ で 終 わっ て しまう の か、そ れ とも プロジ ェク トの 関与を きっ かけに 現場が 活動を 引 き継いで 継続 していく の か。まち が 本 当に 良く な っ て いくためには、プロジェクトの「終え方」を避けては通れない。   では 一 体、 どうや っ て プ ロジ ェク トを 終 わら せ るべ き か。 プ ロ ジ ェ ク ト が 作 り 上 げ た も の は、 ど の よ う に ま ち に 残 っ て い る のだろうか。     どうしても気になった我々の足は、足助に向かっていた。 2

[close]

p. 3

足助 PJ とは What is the ASUKE Project? 3

[close]

p. 4

足助取材旅行記 —重伝建の町並みを味わう— The Trip to ASUKE - Fascinated by Town View of Historical District- 宗恩寺 町を一望できる寺院です。斜 面を畑に使い、針葉樹を植林 した歴史を語ってくださいま した。 焼肉屋くらまえ 初日の夕食をいただいた焼肉 屋です。隣のテーブルには知 り合いの住民の方がいらっし ゃいました。 改修・活用が 行われている 趣のある建物 巴橋 香嵐渓といえばこの橋からの 眺めが有名です。皆が不安そ うに見守る中、欄干にカメラ を置いて撮影しました。 目新しく、 にぎやかな声の聞こえる 公民館・図書館 川にせり出す 座敷や、住民のつくる庭 川とともに暮らし、街道と は別の景観がある 伝統的な 「しころぶき」でできた 旅館 足助八幡宮 足を助ける神様として旅人や 足腰の弱い人が訪れます。奥 にある本殿は、 の重要文化財です。 年再建 本当に仕事を ここでやっている 驚き! 香嵐渓・香積寺 年に香積寺の和尚が境 内に、大正 に住民の手で 山じゅうにカエデを植え、紅 葉の名所になりました。 三州足助屋敷 まちづくりのカリスマ小澤氏 の尽力で 年に完成、山 里の暮らしや職人技を生身の 人 展示する施設です。 うなぎ川安 足助 時代にも愛用された、 大人気のうなぎ料理店です。 時間近く並び、そのぶん絶 品でした。 塩の道づれ屋 年に町家を修復した施 設で、お世話になった雑貨屋 「足助まいど商店」の店主に 後の足助を伺いました。 4

[close]

p. 5

コラム マンリン書店 ギャラリー・カフェのついた 、洒落た本屋です。自力で伝 統的な建物を守ってきた努力 を語ってくださいました。 田口邸 観光協会会長の田口氏の商家 です。自転車イベントが行わ れており、蔵の甕には 年 前の茶葉が入っていました。 山城屋旅館 明治 年建造の旅館で、 の定宿でした。今回も利用し 、女将さんが大変歓迎してく ださいました。 が当時作成 足助、そして都市に ついて語り合う夜 宿帳、最新ページの 数ページ手前。一番左 の列に注目 し忘れてきたパネルが玄関に 展示してありました。 移動販売車 が停まり賑わう 生活のニーズが 観光地にもあった 宿帳に記された多く のPJメンバーの名前に 研究室と足助のつな がりを感じる 日月もなか主人 当時まちづくり部会に参加 陣屋跡 かつての中心の道 暖色の街灯と 思い思いに飾られた ショーウィンドウの灯り 夜の町並みを堪能 した方と話し、現在の部会に 新たな担い手が現れ、活発に 動く様子を伺いました。 手の込んだ からくり人形 ファンも多く 愛されている 両口屋 饅頭「重伝建」等を扱う和菓 子屋で、朝食もとれます。店 昔の住まい 方を感じる空間 建物を残す 意味を考える 朝、山から顔を出 した太陽に温まりながら散歩 路を歩く。自然と共存する暮 らし・光景を五感で感じる の奥の吹き抜けや箱階段を見 せて頂きました。 紙屋邸 旧鈴木家 の土地に棟の建物が並 ぶ大商家の旧宅です。主屋が 年に建造され、 年 重要文化財に指定、当時の暮 らしぶりを伝える公開施設と して 年完成目標とした 瓦を下ろしての作業 主屋の瓦を全て下ろし、傷ん でいるものを取り替えます。 瓦の下の土が見えています。 修理工事が進行中です。向か いの両口屋さん、文化財課の 方のご厚意により修理現場を 見学することができました。 足助のかじやさん 足助屋敷で会った鍛冶屋さ んの本拠地で、 階は刃物屋 階は 年前からレストラン 兼ライブハウスを営業。 川沿いの遊歩道 年に「足助の川を守る 会」が発足し、汚かった足助 川沿いを掃除し、住宅の裏口 や遊歩道を整備しました。 現場に展示されている梁 主屋、座敷など、大部分の建 物は躯体を残して壁などを再 建する「半解体」という手法 で修理されています。 広大な敷地には数々の蔵が 並び、鈴木家の繁栄ぶりを伝 えます。川に近く広い敷地を 生かすべく、足助 が改修・ 活用の提案を行いました。 5

[close]

p. 6

行政担当者インタビュー −あれから足助はどう変わったか− ted by To Interview of Hiroyuki AMANO from Administrative Officer at The Time. Is There Any Change on ASUKE From Then ?  足助での2日間の町歩きでは、 足助 PJ が町にもたらした変化を 直接見ることはできませんでし た。 そ こ で PJ が 足 助 に 残 し た 影 響 や、PJ 活 動 後 の 足 助 の 歩 み を 知るために、当時の行政担当者で あり現在も足助で活動する、天野 博之さんのもとを尋ねました。そ して、現在勤務する豊田市役所猿 投 支 所 に て お 時 間 を 頂 き、 元 PJ メンバーの D1 矢吹、他 M1 三名 でお話を伺いました。 ( ※記事中の一部写真は天野さん よりご提供いただきました。) ( 編集:M1 中井 ) 愛知県豊田市出身 現・豊田市役所猿投支所 地域振興担当副主幹 ( 元・足助支所地域振興担当係長 →足助 PJ 活動期の担当者 ) 地域人文化学研究所代表理事 とよた五平餅学会学芸員 天 野 博之 さ ん あまの   ひろゆき i n t e r v i e w e e PJ 活動後の足助の動き ー東大が残した影響について考えるため に、まず PJ の活動が終了した後の足助の 動きについて、伺いたいと思います。天野 さんはいつから現在の猿投支所に移り、ど のような仕事をしているのでしょううか  猿投に移って三年目になる。異動したの は東大とのプロジェクトが終わって、翌年 くらいかな。おそらく、まちづくり交付金 事業などの目処がついたので、調整の役割 が一段落ついたということでだと思う。  足助支所のころは地域振興課の観光担当 で、町並みの重伝建の調整も担っていた。 猿投では同じ地域振興担当だが、旧豊田市 内の支所には観光の役割がないので、今は 観光関連の仕事は担当していない。自治区 という自治組織がまち単位であって、各区 長からの要望を受けて地域課題の解決をし ている。とくに豊田市には地域自治システ ムという特徴的なシステムがあって、中学 校区単位にある地域会議で、地域の課題を 解決していく。そのように、市と住民の共 働で課題解決するシステムの運用をやって いる。 ーどのような課題がありますか?  猿投支所の管轄に五つの地域自治区が あって、保見という地区を担当している。 6 ここは全国的にみても、ブラジル人が集住 している。保見団地だけなら、日本人より もブラジル人の方が多いくらい。一方、新 興住宅地に隣接して旧来の集落もあり、新 旧どうし、また集落の中でも住民同士のコ ミュニケーションが薄くなっている。あと は、人口の多少にかかわらず地域の担い手 を確保する必要があるし、豊田市で急速に 進む少子高齢化の問題もある。そういった ところが地域の課題として住民から出て来 れば、どうするかを相談して考えている。  あとは道路修理などの要望が出てくるの で、整理しながら担当部署をつなぐ窓口に もなっている。足助では係長だったが今は 副主幹という管理職になってしまった。と はいえ、 支所では一担当の役割もあるので、 本庁の管理職とは違って、現場で動いてい くという感じはする。 ー足助で地域人文化学研究所をやられてい ますが、これは何ですか?  一言で言うと、 まちづくり団体。 地域、 人、 生活から生まれる文化。その「ヒト、 モノ、 コト」に化学反応をおこす触媒として、面 白いという新しい価値観を作るタクラミを している。  足助支所にいたころから色々な人とのつ ながりがあって、様々な方面で活動してい ると、一人より団体の方が各種の活動がし p r o f i l e やすいと考えて、団体を立ち上げた。ひと つはまず、寿ゞ家再生プロジェクト ( 写真 ① )。寿ゞ家という、空き家になっている 料亭の再生をしている。 あと、 足助よりもっ と長野県側の稲武地区(旧稲武町、2005 年豊田市に編入)にある8戸しかない自治 区のまちづくりの相談を受けて、支援して いる。あとは宇都宮三郎という日本で最初 の化学技術者の顕彰活動。そして、とよた 世間遺産。世界遺産じゃなくて。面白いも のを「とよた世間遺産」に認定して、今度 は 「世界」 に発信する活動を始めようと思っ ている。ざっといえばこんな感じ。  研究所を立ち上げたのは、足助支所から 異動した年。なぜなら、足助にいて寿ゞ家 の活動をすると利害関係者になってしまう から、抑えていた。猿投に異動して利害関 係がなくなり、足助から離れても一緒に伝 建を進めてきた足助の人や町に対する義理 と人情も立てなければと思っていたので、 団体を立ち上げた。  足助のころから構想は考えていた。東大 OB の永野くんたちが寿ゞ家横の地蔵小路 の景観整備をやりたいと言っていて、その 時に寿ゞ家の建物の所有者とのつながりが できた。そうしたご縁が重なって、自分が 活動するために寿ゞ家を借りることになっ た。むちゃくちゃ足助らしい建物だし、丁 度良かった。

[close]

p. 7

ー 2015 年 の 報 告 書「 豊 田 市 足 助 地 区 に おける内発的観光の可能性」でも、天野さ んは大学の方とコラボしていますが、それ は研究所の活動の一環なのでしょうか?  あれは愛知大学だね ( 写真② )。たまた ま足助で行われた豊田市の「山里暮らし」 イベントで町並みを案内していたら、その 案内を聞いていた大学の先生に捕まって、 メンバーに引っ張られた。愛知大学にはも ともと近代化遺産のつながりでお世話に なったご縁もあった。あと、寿々家の改修 のときに愛知大学の学生を呼んで、重労働 させたら2度と来なくなっちゃった(笑) 。 あとは足助中学校の総合学習で町並みこと をやるというので、 出向いて講師をしたり、 夏休みに手伝ってもらったりした。寿ゞ家 の HP を見るとわかるけど、最初はぼろぼ ろで入れなくて汚かったのを、なんとかし てきた。足助中の生徒は地蔵小路の植栽の 手伝いもしてくれたし、去年も花を植えた り掃除したりして頑張っている。 ー中学生との活動も天野さんから提案され たのですか?  そう。それはたまたま、お互いの思惑が 合致した。いろいろな場所への挨拶ついで に、こういう面白い建物を使ってみません か?というような営業もしている。それで 去年中学校に使ってもらえた。今年は学校 に行けていないが、昨日稲武の観光協会か ら、町並み案内の依頼があって打ち合わせ してきた。その前日には二つ打ち合わせが あって、一つは足助ゴエンナーレの打ち合 わせ。 もう一つは中馬のおひなさんの時に、 障害者のお子さんの作品展会場にしたいと いう相談が来ていて、部屋をひとつ提供す ることにしている。  この例のように、寿ゞ家を「舞台」とし てどう活用するか考えていて、そのような 方向性で使うように仕向けている。空き家 も再生しただけでは仕方ないので、いかに 活用するかが肝になる。建物はやっぱり使 わにゃいけない。寿ゞ家に関しては、こう いう活動をやっている。 ー様々な使い方が実際になされているよう ですが、寿ゞ家を今後どう使っていきたい 方針ですか?   寿 ゞ 家 は、 ま ち づ く り の 拠 点 と し た い ( 写 真 ③ )。 ど ん な 拠 点 か と い う と、 地 域 の人、我々みたいな半分外の人間、そして 外部の人間が混じり合って新たな価値観が 生まれるような場にしたい。このような事 を実現するにはやっぱり場がいる。そうし た場所として寿ゞ家は最適だ。なんでもあ りな建物で、様式はばらばらだがなんとな くまとまりがあり、変な建物というほどで もないし質がいいところもある。とても足 助らしい。この場で、皆さんと共に新しい 価値観・オモシロさを作りたい。ただし、 その明確な形はまだなくて、動きながら形 を作っていきたい。 ー寿ゞ家は重伝建の特定物件なのでしょう か。その場合は修繕などの制限があると思 いますが、寿ゞ家はどのように修繕してい るのでしょうか?   本 館( 大 正 13 年 ) 、地蔵小路に面して いる新館(昭和 32 年)のうち、本館だけ が特定物件。もう 50 年経っているから申 請すれば新館も通りそうだが、もう少し直 してからの方が申請しやすいと思ってい る。初めは躯体が腐ってぐずぐずになって いて、これを土台から直すと軽く一億かか る。でもそんな資金はないから、文化庁の 方に「姑息な手段」と評価していただいた が、骨組みを補強してこれ以上崩れないよ うに留めて使っている。この先どう変形し ていくかはわからない。少しずつ直してど んどん改善はしていくけど、どう転がって いくか、 むしろ完成形がないかもしれない。 ー寿ゞ家の修繕やイベントにかかる資金はど うしているのですか?  去年、文化庁の委託事業をこの研究所が 受 け た。 「NPO 等 に よ る 文 化 財 建 造 物 の 管理活用事業」というもので、たまたま申 請をしたら採択していただけた。窪田先生 も委員に入っていらして、報告会で上京し た際先生に会えるかと思ったら、ご都合が 悪くて会えずに残念だったけどね。その事 業では、改修ではなく活用主体なので、建 物を活用する催事の実施や、バイトを一人 雇って開放してみて、その成果や課題はど うだったかを実証した。  足助ゴエンナーレ (寿ゞ家を舞台にした、 ご縁でつながるアートイベント)は、豊田 市文化振興課の「でかすプロジェクト」と いうアート系のイベントに対する懸賞事業 があり、その賞金で回している。一年目に 応募したら大賞をいただき、二年度は活動 の拡充に対して賞金をいただいた。来年度 も賞金をもらいながら、将来的には自立で きるように回そうと考えている。  そもそも団体を立ち上げた一つの意義 は、色々な助成金などの資金を調達しやす くなること。寿ゞ家の修繕に関しては、地 域自治システムのひとつで豊田市のわくわ く事業という、住民等が行う地域の課題解 決のための活動に対する補助金を利用させ てもらっている。それで補強をしている。 足助の地域会議に事業を認めていただいた が、何故取れたかというと、町並みの中に も空き家が一杯あり、高齢世帯で本格修理 まではできないという家もある。そこで簡 易修繕のカタログを作りたくて、その実験 の場の意味を持たせて寿ゞ家の修繕をやっ ている。寿ゞ家が倒れてないからこうすれ ばいいかな、というように建物を次世代に つなげることができる。そして、補強しな 足助で過ごす中で生まれた、いろいろな方との繋がり 足助を離れてからこそ、この「ご縁」を活かして深く関われたことも ▲① 中通りと地蔵小路に面した寿ゞ家 ※写真①、③は天野さん提供 ▲② 愛知大学中部地方産業研究所「豊田 市足助地区における内発的観光の可能性」 ▲③ 寿ゞ家再生プロジェクト 7

[close]

p. 8

が ら 使 う 活 動 の 実 例・ 形 を 地 域 に 見 せ る と、また次の展開が生まれると考えた。そ の提案が地域協議会で認められたと思う。 今年で三年目、毎年 80 万円ぐらい頂いて 助かっている。 (ただし、わくわく事業で は3年をめどに自立を目指す制度であるた め、来年度は寿ゞ家の修繕を同事業で申請 することはせず、わくわく事業へは、別に 地蔵小路の景観整備事業を申請する予定。 ) ー 足 助 の 町 並 み 芸 術 さ ん ぽ( ま ち じ ゅ う の建物や路地に作品を展示するイベン ト ,2011 年) はその後どうなりましたか?  足助支所時代に仕掛けて観光協会に主催 してもらったが、自分が異動した後、観光 協会の判断でやめてしまった。やっぱり催 事もマネジメントできる人間がいないと。  ゴエンナーレはそのリベンジの意味もあ る。 お か げ さ ま で 人 気 が あ っ て、 初 年 度 (2014 年)は 600 人くらいが来た。あの 寿ゞ家に一日 100 人も入った。名古屋か らも、これまで足助に来たことがない人も 来 た り し て。 二 年 目 (2015 年 ) は 1,000 人を超えた。 おかげで寿ゞ家の床が傷んで、 修繕のお金がかかってしまった。  足助ゴエンナーレでは、展示作品とコラ ボして地元の和菓子屋さん(初年度は両口 屋と加東屋)にオリジナルのお菓子を作っ てもらい販売した ( 写真④ )。こういうこ とやると、自分たちの儲けは無いが、地域 経済を少しでも動かせるので、こういう活 動が広がればいい。  その他にも建物を修繕しながら、ワーク ショップしたり、 補強したりしている。 ホー ムページに活動の概略を紹介している。中 学生が花を植えたり、花火の鑑賞会をやっ たり。花火は桟敷きみたいなところがあっ て、町並みの屋根越しに花火を見られる特 等席。あとは月見大会もやっていろいろな 人が交流した。大広間が 30 畳あって広い から、そうした会場としても使える。 ー他に地元の方と連携はしていますか?  去年の足助ゴエンナーレ1回目はオリジ ナル和菓子づくり、2回目となる今年は、 「玉田屋旅館」の丸根さんたちのグループ に 1 コ ー ナ ー を 担 当 し て も ら っ て、 飲 食 を提供したりした。地元の皆さんに参加し てもらって、また地元との連携が一段と深 まったかなと思っている。  実は寿ゞ家のほかに、寿ゞ家と地蔵小路 でつながっている、地蔵堂の奥の庫裏も契 約して管理を任されている。寿ゞ家に隣接 しているので、別館として使わせてもらっ ている。つまり、寿ゞ家と地蔵堂庫裏とで 地蔵小路の片側半分は自分が管理すること に な っ て い る の で、 路 地 の 景 観 を コ ン ト ロールできるというか、うまく作れる。  地蔵堂は修理の必要があったが、修理の 時にお庫裏を壊す動きもあった。それは困 るというので、観光協会の田口さんが強く 動いてくれて、庫裏も助かった。皆さんに 助けられている。独特の景観を維持するた めに、地蔵堂を直すなら庫裏も壊さず残そ うということ。伝建のおかげでそういう道 筋ができてきて、一つの効果かなと思う。 かを知っているから、できないだろう、と 思っちゃう。これできるんじゃない?と自 由な発想をするのがみなさんの得意なとこ ろ。そこが面白い。できるできないの判断 はさせてもらうけど。紙屋邸を遊び場や映 画館に使おうという発想もあったよね ( 前 項写真⑥ )。あれは、まあちょっと違うか なって思ったけど(笑) 、それを出してく れるってのがいいかな。行政側にはないも のを補ってくれる発想は期待できる。 ー 足助 PJ の「あすけうちめぐり」が現在 も続いていると聞きました。観光協会は、 どのように引き継いでいるのでしょうか?  東大の皆さんと地元の皆さんと一緒に やって、 「 うちめぐり」 、 なかなか反応良かっ たので、続けようと思って観光協会に引き 続きお願いした。東大の PJ の意図したこ とは、観光客と、受け入れる家主のプライ ベートのどこに境界線を引くか、という実 験だったんですよ。それは報告書の通り一 定の成果を出していて、もう一歩深めてシ ステマチックにやれたらよかった。  プロジェクト後の引き継ぎとしては、個 人的にはまちづくり推進協議会のまちづ くり部会と観光協会が引き継いだらいいと 思ったが、なかなか人手が足りず調整が難 しかった。特に、人が来てくれる 11 月だ と、人員が他に取られちゃってできない。 なので、観光協会が中学生のボランティア を募って、開けてくれる各家に中学生を配 置して、 来てくれた人に案内してもらった。 ガイドがつくことによって内と外の境界を コントロールするという形でやっていた。 しかしそれはお金が動かないよね。お客さ んから料金を取れずに観光協会が持ち出す のみだと、ただ労力がかかってしまう。   な の で、 今 は ツ ア ー に な っ て し ま っ た ( 写真⑤ )。足助交流館に何時に集合して、 中学生ボランティアが町並みを案内して、 お宅に上がって見るという形式。今年寿ゞ 足助 PJ が残した影響 ー足助 PJ が残した影響について知りたい です。まず、豊田市の都市整備課は何を期 待して東大に声をかけたのでしょうか?  実は市役所の考え方はあまりわからない が、 一 般 的 に は 大 学 を 招 く 意 義 と し て は まず、研究室の権威を味方につけるという のが一つ。それから、行政だと住民が構え てしまって素直に会話ができない場合が多 い。お互いの垣根をするっと越えられる人 ばかりだといいが、そうはいかない。学生 はふらっと入れてニュートラルなので、地 元の要求や隠れている困りごとを引き出せ る可能性を期待されていると思う。あとも う一個あった。柔軟な発想。役所は規制と 変化するまちのなかで、かたちを変えながらも引き継がれたもの ▲④ 足助ゴエンナーレの準備の様子 8 ※写真④、⑤は天野さん提供 ▲⑤ 足助中高の生徒らによるあすけうちめぐり ▲⑥ 足助 PJ が行った紙屋邸活用提案

[close]

p. 9

家では、中学生が連れてきて、案内は自分 がやった。 なので内容は変質してしまった。 ー PJ で作成した報告書やプランは、行政 の方に引き継がれているのでしょうか。  みなさんが作ってくれた報告書がどう引 き 継 が れ て い る か と い う と、 足 助 支 所 の 地域振興担当の職員がかなり変わってお り、当時を知る担当は今いない。成果とし ての冊子は引き継がれているが、精神の引 き継ぎはないかな。まちづくり交付金事業 や重伝建の推進などガチャガチャした雰囲 気や、調整の煩雑さを知っている人はいな いので。特に、今年は香嵐渓のもみじ祭り 60 周年記念事業で観光担当が忙しかった のもあって、足助の町並みをどうするかの 意識は、支所内で相対的に低くなったかな と思う。  これも結局人だと思う。担当に誰がいる か。住民であっても、支所の立場であって も、それぞれに難しいことがある。そこの バランス感覚が大切だと思う。地元との距 離感は絶妙な所にいたい。ゼロ地点に。行 政の人間としては行政の限界も見えてき て、住民の皆さんと付き合っているとその 限界も感じている。だからその隙間は、当 研究所みたいな形や、やれる人が関わって いけばいいと思っている。 ー行政の方はなぜ、まちに入り込み過ぎず に、 「 ゼロ地点」 にいるべきなのでしょうか。  お祭りやいろんなお付き合いがあって、 町の中の上下関係も当然ながらある。地元 の人間なら筋は通さなければいけないとこ ろも、 外の人間なら上でも下でも関係なく、 自由に動けるから、縛られないし、コトを 動かすにはその気楽さは大事。学生さんた ちに PJ 頼むのは、役所としてはそこが一 番の面白みだと思っている。遠慮なくガン ガン行っても、期間限定の PJ だから、後 腐れが残んない(笑) 。行政としても、あ いつらのやったことですから、と言える。  自分自身は自由に動けることで、あっち と接してこっちと接して、とできる。中に は勿論、誤解があって気まずくなった方も いるが、住んでなければ気にならない。ゼ ロ地点に立つというのは便利がいい。 でも、 そのバランス感覚は個性だね。人によって 感じ方が違うし、 そこにうまくいることが、 できる人もできない人もいる。特殊な能力 だと感じている。  行政の人といえば、文化財課の分室の職 員の一人が重伝建の枠の中で、文化財保護 の面でまちづくりを頑張ってくれている。 これも、伝建やってよかったと思う。たと え ば 石 垣 に 下 水 通 す の で も、 伝 建 が な い と石垣を壊すことになりかねないが、今は 環境物件になっているので簡単にいじれな い。その代わり工夫がいる。地元の話だと、 業者が少なくて工事が高額になりやすく、 地元への負担はあるけど、価値を守れてい るのでいいかなと思う。  伝建では、支所のもつ景観相談会の委員 が、住民と伝建側の調整役になって頑張っ ている。しかし、 委員の交代などによって、 少しずつ検討されている内容の雰囲気が変 わっていく傾向があるのを聞いて、それは 残念だなと思う。修繕や建て替えを相談す る景観相談会は、まちづくり推進協議会の 伝建部会、まちづくり部会両方と建築士か ら構成されていて、景観条例で位置づけら れているシステム。システムとしては良く できているから、 あとは運用する人による。 た ( 写真⑦ )。景色が変わったというのは、 歩けば如実に感じる。街道沿いに電柱がな くて道路がきれいだ。 特に、 空が明るくなっ たので、 山並みが良く見えるようになった。 山並みが見られるのは足助の特徴的なとこ ろで、地中化でその良さがより出ている。   統 計 は な い が、 こ の 2-3 年、 紅 葉 の 時 期に香嵐渓から町並みに流れる人が多く なったような印象を受ける ( 写真⑧ )。町 が変わって来たというのも要因かも。年に 5件ぐらいは伝建の修理・修景をやるので、 選定から3年経って、キチンとした建物が 少しずつ増えてきている ( 写真⑨ )。新し い建物でもしっかりしている。町並みが少 しずつ変わってきていて、ざっと列で揃っ て来たらすごい事になると思う。  そうなると、足助の価値を残して、本質 性を担保してやっていく事に伝建の意義は 有ると思う。まちづくり交付金事業で、お 金のかかる都市基盤整備はできた。あとは 住民が伝建制度をうまく利用してやってい く、 ということだと思う。伝建制度は正直、 住民が苦に感じればすごく苦になるもの。 うまく使えば、唯一無二の足助ができて、 生活が楽しくなる制度だ。 ー住民の声としては、助かるという声と、 大変だという声がありました。  先ほどの下水の話でも、見積もりをする と、ちょっとした工事だけで 30 万とかい うことになっていて、それは負担をかけて しまっている。あとは、自分の建物をいじ れないという先入観があると、手続きなど を面倒と感じてしまう。実際は手続きさえ すれば内側は自由にできる。寿ゞ家も適当 に色々やっているが、景観相談会で趣旨を 説明し、理解を得ていけばいいので、そこ まで大したことではない。伝建は足かせで はなく、まちづくりの道具だと考えてほし い。 伝建制度と足助 ープロジェクトの活動後、豊田市による都 市再生整備事業が行われました。舗装や電 線地中化等で足助がどう変わりましたか?  電線類の地中化で劇的に景観は変わっ この制度を「まちづくりの道具」としてどう活かしていくべきか 重伝建指定により守られ、訪れる人も増えた足助 ▲⑦ 電線地中化等により趣の生まれた町並み ▲⑧ 平日にもまちなかを巡る自転車と観光客 ▲⑨ 改修中の紙屋邸 ( 平成 34 年度完了予定 ) 9

[close]

p. 10

ーかつて、足助はまちづくりの先進地とし ての地位があって、50年前重伝建を選ば ず、自主規制の町並み整備を行ってきまし た。合併後に選ぶという判断をした豊田市 としての考えはあるのでしょうか?  豊田市での政策的意図としては、当初伝 建 と い う 選 択 は な か っ た。 合 併 協 議 の と きにも重伝建の言葉が出ていない。足助町 時代から商業振興として中心地の活性化を 図っていたようだ。足助は商売で町を成り 立たせようとしていて、だから最初にまち かん(まちづくり環境整備事業)による景 観 整 備 が 行 わ れ た。 次 に 見 つ け た 補 助 金 が、まちづくり交付金事業。合併協議の際 には、交付金による足助の景観整備は都市 整備課が担当になっていた。豊田市として は景観整備の政策は勿論あったが、あくま でも都市整備のための政策で、重伝建はな かった。重伝建に向けた準備の際に印象的 な話があって、文化財課が伝建の話を報告 した際に、 「いつこんな話になったんだ?」 という発言があったと聞いた。  文化財課が後に作った報告書では、組織 的 に 動 い た よ う に 読 め る が、 最 初 は 積 極 的に動く人が少なかった。その当時自分は 別の担当で何の権限もなかったが、豊田市 と合併する足助に守るべき町並みがあるの に、 都 市 整 備 的 な 手 法 で 町 並 み の 価 値 を 失ってしまう恐れがある、文化財課職員と して何かしないといかんだろ、と思った。 はじめに足助の自治会長さんたちに提案し て、強く反対する考えがないのを確認した 後で、伝建を考えませんかと住民説明会で 提案した。守るべき価値を守りたいという 思いがはじめにあった。 ー何もなかったところに天野さんが提示し たということですか?  そう。後から出て行ったので、最初はか なり都市整備課に叱られたけど。提案した のが平成 19 年ぐらい。そこから重伝建に な る ま で は 4 年、 早 か っ た。 幸 い だ っ た の は、 前 回 の 時 の 重 伝 建 ア レ ル ギ ー が 無 かった事。昭和 50 年代に伝建の話が持ち 上がってなくなったので、おそるおそる提 案したら、意外に反対が少なかった。 ー町並みが変貌する危機を伝建が救った?  町並みが映画のセットに変質してしまう 所を、 重伝建によって防いだと思っている。 都市整備的な景観ルールでの「景観整備」 は、 画一的な民芸調の町を作りそうだった。 例えば下水道が整備され、それに接続する ために水回りを直す場合、基礎を打ちなお すくらいなら古い家を壊して新しく建てた 方がいいかもしれない。そこで、景観ルー ルに従ったぺたっとした家を新築して補助 金が貰えるなら、自分だってそうしてしま う。それでも景観が整えばいいじゃないか と言うのが、 景観整備の考え方。それより、 今あるもののがなぜそうなってるのか、本 質的な価値を大事にして、それを守ってい きましょうというのが伝建。それは本当に 手間がかかることだが、足助が町並みを武 器にして、これから長い目で見て生き残る には、伝建が必要ではないか、という強い 思いがあった。伝建の補助は国がつぶれな い限り担保される。いずれにしろ、まだ始 まったばかりだから、形が見えてこないと まだまだ賛否両論ある。10 年ぐらい経て ば変わってくるだろう。その時まで寿ゞ家 を持っていられるかはわからないどね。  建物は少し綺麗にすると、生き返る部分 と 甘 え ち ゃ う 部 分 が あ る。 寿 ゞ 家 も 土 足 で踏んだ畳を掃除して水拭きするとふわっ と弾力が出てきて気持ちいい。だけど、歪 んだ部分につっかい棒してもまた沈んでく る。いつかは改修しなきゃいけないけど、 一億かかるから、それをどう工面するかが 大きな課題。その負債を抱えながらまちづ くりを進めなければならない。ただし、何 とかなると楽観的に考えている。そんなバ カじゃないとやっとれん。 ー 伝 建 で 難 し い と 感 じ る の が、 自 費 で 何 千万をかけて頑張っていた方が損をする問 題。あとは、小改修に伝建のシステムでは 融通が利かないと話を聞きました。運用方 法の改善も今後可能なのでしょうか?  運用の改善を考えていくというのは、そ の通り。過去に自費で修繕した人でも将来 的に補助をもらうこともできるので、損を するということはない。また補助金を得る ためには本格修繕しなきゃいけないと思っ ちゃうが、寿ゞ家のようにちょこちょこ修 繕でも建物を持たせることもできるので、 何でもかんでも補助金を貰わなくてもいい し、 少しの修繕をダメというわけではない。 まだ事例が蓄積されていなくて、きちんと した説明がないので、単に伝建で苦労した との噂がよく広まる。そういう噂が解消し ていくともっと良くなる。ここはこういう やり方でやりました、とか。住民の生活と 伝建等のルールのバランスをとるのが景観 相談会なので、景観相談会でちゃんと相談 してくれれば大丈夫なはず。寿ゞ家で修繕 カタログをつくる構想も、修繕のノウハウ を地域で蓄積して、事例を作っていきたい という理由がある。  大半の人は、どうなんだろうという不安 と 期 待 で 入 り 混 じ っ て い る。 だ か ら、 こ ういう筋道ですよ、としっかり説明すれば 賛成が増えてくると思う。大勢が賛成にな れば、反対派の人たちも気が変わってくる と信じている。自分の活動も、言葉では伝 わらない部分を、形で見せるのが大事だと 思っている。口で言うと、できるのか?本 当か?と言われるが、やってしまえばやれ るということを示せる。行政の立場ではこ ういう事はできないだろうけどね。 *  経営的センス、実行力を持ちながら精力 的にまちづくりを進める天野さんに圧倒さ れ、足助の推進力を実感した取材となりま した。ご協力ありがとうございました。■ ▲ / ▲▶ 天野さんより、書籍だけでなくタブレット端末を使いつつ、足助の今について説明を頂きました

[close]

p. 11

足助視察で見えてきたもの A Conclusion from the ASUKE Tour Yabuki Kenichi 12 月のウェブ記事 矢吹 剣一(D1)  修士卒業以来、三年半ぶりの足助訪問 でした。  今回の訪問では、修士の皆と歩きなが ら、お世話になった方々にお会いする事 ができ、プロジェクトのその後の状況や、 足助の現状について伺うことが出来まし た。都市デザイン研究室が実施した「あ すけうちめぐり」は観光協会が主体とな り、少なからず変更はあるものの、継続 して頂いていました。また、保存修理工 事 が進む重要文化財「旧紙屋鈴木邸」 の利用方法も検討が始まるそうです(朝 食に立ち寄った両口屋さんには市の文化 財課に掛け合って頂き、なんと現場を見 せて頂きました!) 。観光協会会長になら れた田口さんにもお宅を見せて頂くなど、 大変お世話になりました。  プロジェクト(自分が関わった年度) では、地元のまちづくり部会(まちづく り推進協議会の部会)のサポートという 形で、回遊性向上や拠点形成、空き家活 用等の課題を検討しましたが、現在足助 では特定物件の改修に伴うデザインの変 更の必要性や、修復に係る資金負担等の 悩み等の重伝建地区選定以後直面してい る課題を(数人ですが)住民の方から伺 いました。  やはり、まち(都市)はその都度直面 する課題が異なり、まちづくりには終わ りはないということを痛感するとともに、 それらにしっかり向き合い続けること (続けられる体制づくり等)の重要性を感 じました(足助でも今まさに、足助町並 み景観相談会の皆さんが尽力されていま す) 。  一方で、重伝建地区制度が創設されて 40 年が経ちますが、かつて「まちづく りの先進地」であった足助をリードし続 けた小澤庄一さんが妻籠宿などから学ん でいたように、全国各地の重伝建地区と、 その地のまちづくり活動の中にある「知」 を共有することで乗り越えていける部分 も少なからずあるだろうとも感じます。 今後も足助のまちづくりは続きますが、 自分としてもしっかり足助を見続けてい きたいです。 はどう映ったのでしょうか ◀三年半振りの目に、足助 さわ 佐 ら ぼ 活 用 ア イ デ ア 会 議 12/30 12/30 12/31 12月20日に佐原プロジェクトが開催した、さわらぼ 活用のためのアイデア会議です。佐原の現状を知ること、 佐原に必要なものを考えることを目標にした3部構成の ワークショップとなりました。 超多 神 町 パ ー テ ィ 、 開 催 ! 12月19日、神田プロジェクトで「超多町パーティ」 を開催しました。地域のつながりづくりのきっかけ作り のため、住民の方をお招きし、多町かるた作成ゲーム、 ワークショップ、懇親会などを行いました。 研 図 解  都 市 空 間 の 構 想 力  出 版 記 念 イ ベ ン ト 念し、本郷キャンパス周辺のまちあるき、著者の先生方 によるトークイベント、懇親会が行われました。 12月20日、 『図解 都市空間の構想力』の出版を記 Kuromoto Takeshi 黒本 剛史(M1)  今回の訪問は、ある意味ショッキング な結果となりました。 PJ が当時関わった 行政の方やまちづくり部会の人々は別の 場所に移り、重伝建選定・修景事業の影 響が圧倒的に大きく働いていました。足 助 PJ が、まちの中心的な動きから取り残 されていくように感じました。  しかし、足助 PJ が生き続けていると期 待させる場面もありました。2010年 の社会実験「あすけうちめぐり」が引き 継がれていること、新たにまちづくり部 会に加わった方が報告書を読んでくださ ったこと、関わっていた寿々家が天野さ ん方によって活用されていくこと、この ように地元の尽力があって初めて活動が 引き継がれていきます。うちめぐり以来 家を開いてきた家主は、PJ をきっかけに 観光客へのまなざしを変化させたかもし れません。こう見ていくと、まちづくり 部会のサポートやまちづくり交付金の検 討といった「本来の目的」から広がった、 活動の「広がりの部分」に、PJ の遺産が 残っていると言えそうです。  折角身を粉にして取り組む PJ が、いか に地域を良くし続けるかと考えるに、各 PJ で状況は違うのですが、PJ の去った 後も町を担う「同志」を発掘することが 重要ではないでしょうか。地元に残りな がら、理想に共感し、力を持って動かし ていく人です。その初動のきっかけを生 み、方向づけることが、最後まで関われ ない「よそ者」の役目かもしれません。  最後に、足助は美しく、活動が豊かで、 お気に入りの町となりました。住民の皆 様は、町を愛していました。町は今過渡 期にありますが、将来も足助が愛される 町であり続けることを願ってやみません。  今回のツアーでご協力いただいた足助 の皆様、ありがとうございました。■ 1 2 月、 三 国 に て 現 地 調 査 を 行 い ま し た! を、ヒアリングや状態調査などによって調査しました。 三 12/31 三国プロジェクトは、空き家の活用を軸にしたまちづく りビジョン提案のため、空き家の実態や流通の課題など 是非ご覧下さい:http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/ja/blog/ 1 月の予定 1/7,8: 研究室会議 1/15: 神田 PJ 区役所小藤田さん勉強会 1/18: 設計特論第一 最終回 編集後記 黒本 剛史 マガジンが月末発行なので、12月号の発行は大晦日 となりました。例年は親の実家の石川に帰っているの で、今年は東京で年越しになります。紅白と「ゆく年 くる年」をぼんやりと眺め、年が明けたら仏壇と神棚 にお参りして寝るという年越しを22回行ってきまし たが、今年は神社でも見に行って、首都東京の新年の 賑わいを見届けてみたいと思います。一年の計は元旦 にありということで、 2016年の抱負は、 「頭を使っ どうぞ良いお年をお迎えください。来年も都市デザイ ン研究室マガジンをよろしくお願いします。 て、少しでも改善」でいきたいと思います。皆様も、 11

[close]

p. 12



[close]

Comments

no comments yet