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2015.08.31 vol. 232 キ ャ ン パ ス を 訪 ね よ う L E T ' S V I S I T T H E C A M P U S キャンパス計画室インタビュー   p.2 明治産業革命遺産記事 p.10 p.12 東京大学 工学部都市工学科/ 工学系研究科都市工学専攻 都市デザイン研究室 コンペ特集 今月の編集担当:王 誠凱 黒本 剛史 編集長: 今川 高嶺 編集委員:中島 健太郎 高橋 舜 中井 雄太 黒本 剛史 砂塚 大河 富田 晃史 王 誠凱 http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/

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東京大学 キャンパス計画室に迫る!!

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  キャンパス計画の特徴は、それぞれの部局が独立して意思決定す ること。見えない線が引かれている。工学部は、工学部の敷地を自 分のものだと思っている。管理上の責任の範囲でもある。独立した 部局をいかにコントロールするかが難しくユニークである。   一方、地権者のばらばらな普通の都市計画に比べると、1 敷地で やれて自由。接道義務なしに建物を建てられる。ばらばらといえど 所有者は東大として一つなので、たとえばスクラッチタイルのよう な雰囲気で全体をつくろう、といえば従ってくれる。それは大学な らではのもの。 キャンパスを計画する とはどういことか? そしてそのやりがいと 面白さとは?   ルールのない時に安田講堂より高い建物が建ってしまったが、今 後そういうことをやめようといえば、大変だがみんな守る努力をし            てくれる。                   ( 西村キャンパス計画室室長)

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「大学」のプランニング、キャンパス計画室 Planning of the "University", Campus Planning Office  今月号は大学の空間をデザイン・計画するキャンパス計画室の仕事についてご紹介します。西村先生が室長を務めているということ でお話を伺いました。非常に内容の濃いインタビューとなり、どれもこれも面白い話ばかりです。キャンパス計画という仕事の奥深さ に感心する一方で、あらためて空間を対象とする計画・デザイン学の魅力を実感しました。( 編集:王) 受 け 継 が れ る プ ロ ジ ェ ク ト、 そして仲間と自分の居場所 ー学生時代のキャンパスライフを振 り返り、先生の思い出とはー 王:先生が学生時代に東大で一番好きだった 場所、思い入れのある場所はありますか? 西村:当時は駒場キャンパスが苦手で、空間 がダメだったというよりも、僕は九州から出 てきたからほとんど友人がいなくて、大学の 雰囲気に馴染めなかったね。東京の学生が多 いからそういう雰囲気が漂っていて、田舎者 だと疎外されてついていけない印象を受けた ね。その記憶が大学のキャンパスの印象と重 なっていて、今でも駒場に行くとあんまりい い感じがしないね。  それと比べると本郷に来てからは、皆さん のように色々なプロジェクトをやり始めて、 仲間ができた。すると自分の居場所が実感で きて、非常に居心地がよくなった。どこが好 きかと言われても、僕らの時は工学部 8 号 館 ( ② ) にいたので・・・。今都市工のある 工学部 14 号館 ( ③ ) の場所は、当時テニス コートがあったんだよね。だから状況は全然 違うんだけど、一号館の前に広場があるじゃ ない?あそこは常に通っていたから印象に 残ってるね。そこは昔から大分変わったけど ね。前は通路の周りが全部つつじに覆われて たからどこにも行けなくて、変えたいと思っ ていたら、今は開けた感じに変わって良く なったね。  工学部 1 号館が真ん中にあって、それに 突き当たる軸があって、その雰囲気は変わっ てない。学生は変わるけど、空間としては変 わってないところがある。こうして空間にい ろんな時代の人が思い出を持っていて、そし て蓄積されていくんだろうと思うね。 黒本:やはり工学部前広場に一番思い入れが あるということですか? 西村:毎日通っていたからね。 た。  ところが、そこから少しずつ教育にお金を 投資しないといけないということになって、 建物が少しずつ建ち始めて、少し上向きに なったわけだ。  2004 年に大学が独立行政法人化すると、 それまでは土地も国有地で我々も国家公務員 だったものが、土地は大学のもので、我々の 身分も国立大学法人に所属しているというこ とになった。  そこで大学をもっと活性化させたいという ので、それまで国立としてはやれなかったこ とをやっていくことになった。例えば工学部 だと、企業とのジョイントとかが自由になっ て、東大にとって競争力アップにつながった が、一つ問題が起きた。お金を寄付とか共同 研究とかから持って来れば、自分たちの建物 が自由に建てられるようになって、色んな建 物が新しく建ったわけだ。それがあんまりコ ントロールなく建ってしまい、これではまず いとバブル以後から言われるようになった。 それでキャンパス計画をきちんとやって、お 金さえあれば自由に建てられる事態を阻止し ようということになったんですね。その方針 は前の代の内藤廣先生の時からはっきり打ち 出されて、今ではクオリティやデザインも厳 しくチェックすることになったわけだ。キャ ンパス計画のための組織を持ってる国立大学 はそれなりにあると思うけど、これだけきち んとやっている所は東大が一番だと思う。 キャンパス計画室とは、精密 な空間計画を練り上げるため の実務者集団 ーキャンパス計画室の経緯と現在 王:キャンパス計画室が大学の一部署として 設立された経緯についてご存知ですか? 西村:僕も歴史そのものはよく知らないね。 ただ、僕の先生だった渡邊定夫先生もキャン パス計画室だった。キャンパス計画室には助 手や助教授のポストがあったりして、その助 手ポストを今、森さんがやっているわけだけ ども。昔はそこで設計などの具体的な作業も やっていて、実際にキャンパスを作っていく 実務者集団というのが最初だと思う。  今では具体的な計画が出来上がった後に、 どういう形でマネジメントするのか考えた り、新しく建つものをチェックしたりする。 全部デザインしていた以前からは性格が変 わってきたと思う。  1960 年代後半に東大紛争があって、その 頃の大学は自治を主張して、政治的にリベラ ルで活発だったので、時の政権は大学にあん まりお金を入れてなかったですね。だって、 執政者に反対する所にわざわざお金いれない でしょ。だから、大学にお金のない時代が 80 年代ごろまで、 結構長く続いていた。キャ ンパスにお金が投資されなくなって、すごく 疲弊していたんですね。その分あんまり建物 が建たなかったので、昔のものが残っていた 良さもあるんだけど、設備的には良くなかっ 本郷-5 ▲ キャンパス計画総覧のマスタープラン図    (東京大学キャンパス計画総覧より)   これが『キャンパス計画総覧』 。いろんなプ ランが描かれているルール集で、私の担当に なってからまとめ直した。マスタープランと か、ゾーニングとかが書いてある。キャンパ スも柏に駒場、本郷を網羅していて、それぞ ▲ お馴染みの工学部 1 号館 ( ① ) 前の広場 4

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図中の数字が示す地点の一覧 1 :工学部 1 号館 2 :工学部 8 号館 4 :総合図書館 3 :工学部 14 号館 5 :総合図書館前の広場・噴水 6 :医学部 2 号館 7 :南北の緑の軸 8 :法文 1・2 号館 10:医学部 1 号館 12:懐徳館 9 :言問通り(ドーバー海峡) 11:医 1 号館と理 2 号館の間の道 13:安田講堂 14:本郷第二食堂(二食) 15:理学部 1 号館 16:本郷第二食堂裏の門 17:浅野キャンパス入口 19:三角形のスペース 20:南側からの軸線 21:三四郎池 18:安田講堂裏の ATM コーナー 22:御殿下から三四郎池への入口 ▲ 本郷キャンパスマップ  (図中の数字は本文に対応している)   (東京大学 HP より作成) れのキャンパスに合わせた計画作りをきちん とやっている。どういう空間をつくったらい いのかをそれぞれ考えて、一番重要なところ から順番にゾーニングしたんだね。  プロジェクトの構想段階や事業段階ごと に、何をどこまでチェックするのかも考えて いる。一番重要なものは総長がチェックする んだけど、誰が見るかのレベルをきめて、手 続きをきめて、この総覧にのっとって実行す る。いろんなことを精密にやっているんだ。 けど大変だ。 王:キャンパス計画室のチェック機能が最も 重要だとすると、例えば、発注や施工などが すでに実施されている案件で、このままだと まずいと気づいた時に、ストップをかけるよ うな仕事もしますか? 西村:それは日々やっているね。ただ、具体 的に事業が契約されて動き出すと、事業者と 細かいやりとりするようになって、それはそ れで担当の先生がいて役割分担している。今 は野城副学長なんだけれども。キャンパス計 画室は、 計画段階を主に管理、 担当している。 その距離にどうも耐えられなくて、本が近く ないといけない。本は一番大事なソースだか ら。そうすると、本郷キャンパスの中で図書 館を作れるのかとういうと、増築がなかなか 難しい。いまの図書館はすでにずっと増築し てきたもので、これ以上は建てるスペースが なくなっているわけだ。  内藤先生の時代に、この図書館の前の広場 ( ⑤ ) を掘って、地下に 300 万冊入れられる じゃないかという計画が作られた。実現すれ ば、それぞれの研究室の本をそこに収容でき るので、スペースが生まれて、もっといろん な活動ができるということでスタートした。 つまり組織の大きな変更も含めた、文系の研 究環境の改善ということでスタートした。地 下に書庫をつくるとすごくお金がかかるのだ けど、地上で大きな物をつくるのも難しいと いうことで、そういう決断をした。 ーキャンパス計画の仕事内容、チェッ クと提言からなる審査機能 黒本:個別の事案が出てきた時に、いちど全 部キャンパス計画室が受けて、どこまで上に 話を持っていくか決めていく形ですか? 西村:うん、重要性によって決めていく。し かも、構想段階と具体的なデザイン段階に分 けて、二段階でやっている。 黒本:そうなると、扱う案件がかなり多いの では? 西村:すごく多いよ、毎月一回キャンパス計 画室会議を開いていて、その準備は毎週一回 位ある。今日の午前中にも、その準備があっ た。大きな計画案件や将来的な案件から、細 かい案件までたくさんある。例えば、安田講 堂周りに建物の案内サインがあるんだけど、 公的なものがなくて、みな立て看板みたいな んだよね。ちょっとあれは汚らしいじゃない かということで、案内サインを統一しようと いう話になった。 デザインをどうするかとか、 そういう細かい案件までやっている。面白い 東大の歴史を紡いできた総合 図書館に新たな空間演出を! ー増え続ける図書に対して空間を再 構築し、巨大な地下書庫が誕生?! 黒本:総合図書館 ( ④ ) で工事をやっている と思うんですが、地下を掘って大きな書庫を つくるという結構な大工事だと思いますが、 キャンパス計画室として苦労したことはあり ますか?調整が大変だったとか。 西村:いくつかあるが、そもそも無限に増え どこの大学にとっても大問題だよね。現状は 文系の図書が部屋中に溢れかえっている状況 で、スペースがどんどんなくなってしまう。  ところで、いま理系の本は全部柏の自動化 書庫にあるのね。だから柏から取り出して本 郷まで送っているわけで、でも文系の先生は ていく図書をどういう風に扱っていくのか、 ー施工段階の問題解決、歴史保存と 空間創出  まず、溢れる本をどうするのか、本郷キャ ンパス内で合意形成するのがすごく難しかっ たよね。もう一つは、計画を立てて実際に工 事を始めると、いろんな問題がおきてくるわ けだよね。例えば、図書館前の噴水脇に2本 の大きなクスノキがあって、愛されていたの で、保存の意見が強く出てきたわけです。ク スノキがペアであるのが安田講堂前とここに しかないんだよね。でも書庫を作るには、図 書館前の地下を掘ってクスノキを移植するし かない。 5

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 どこに移植したかというと、赤門から入っ た突き当たりで、医学部の本館と言われてい る医学部 2 号館 ( ⑥ ) の両側に移植したわけ だ。ペアで置ける場所が他になくてここに置 いたら、すごい反対があった。図書館前にあ るクスノキを含めて風景なのに、なんでそん なことをやるのかとか。特に文学部の先生方 の反対が強かった。やはり変化をしようとす ると、反対もあるわけだよね。 状に明かりが取れて、その上に水が流れる感 じになるのです。  図書館前の地下一階は、アカデミック・コ モンズという勉強スペースになる。いまの図 書館の中では、議論するような、声を出すス ペースがなくて、静かにしないといけないで しょ。静かに勉強する人は図書館の中でいい んだけど。だから地下一階にはテーブルをお いて、学生が自由にいろんな議論できるよう にした。両側にちょっとしたサンクンガーデ ンがあったでしょ、そのサンクンガーデンか ら地下に入る。だから地下一階は、学生が大 勢溜まっていつでも議論できて、なおかつそ の明かりが上からきて、その下に三層の書庫 があるという構造。  デザインのことでなかなか苦労もしたし、 ここ全体が埋蔵文化財の包蔵地なので、こう いう工事をやるときは埋蔵文化財の調査をや 各キャンパスを繋ぎとめる基 本軸、フレームワークから読 み解く計画意図 ー「緑の軸」を根幹とした長期計画、 キャンパスをつなぐデザインとは 今川:南北軸 ( ⑦ ) に道がずっと通っていま すが、これを弥生キャンパスまで一本で通れ るように整備しようとしていると聞きまし た。どんな理念に基づいて両キャンパスをつ なげるのですか? 西村:緑の大きな軸が通っていて、そこに大 きなオープンスペースがくっつくというのが 現在の計画の根幹。それを受け継ごうという ことで法文1・2号館 ( ⑧ ) をアーケードに している。言問通り ( ⑨ ) の所でも、以前は 門を出てまっすぐ行けた。言問通りが拡幅し た時に坂道の勾配を変えたもんだから、緑の 軸上の言問通り・キャンパス間に高低差がで きてしまった。しかも本郷キャンパス側に水 槽ができたので、それを越えるためにブリッ ジをかけた。将来的には本郷側の建物を壊し て大きなオープンスペースにして、ゆるやか なスロープで弥生までずっとつながってい く。それが長期計画。 今川:そのへんの計画は動いて、生きていま すか? 西村:プランには書いてあるんだよね。その 意味では長期計画として生きている。その計 画は岸田日出刀案だし、内田先生の頃からの プランでもある。だから計画を尊重して、そ のまま実行することになっている。 今川:今年農学部からきた森下くんは本郷 キャンパスをあまり知らなくて、ローソンが あることすら知りませんでした。弥生キャン パスとつなぐ計画が動くと、状況が変わって くると思います。 黒本:確かに、授業で農学部に行くことには 遠くて少し抵抗があります。 西村:スロープにして、自転車や車椅子でも 弥生キャンパスに移動できるようにしておく と、防災上もよい。担架で行き来できること が重要じゃないか。本郷キャンパスは防災拠 点でもあるので、集まった時にスペースが必 要。 人を流すときに今の階段だと危ないので、 スロープ化したいと思っている。まあ、もう 少し先の話だけどね。 黒本:医学部1号館 ( ⑩ ) も軸が通っていま すが? 西村:もともとは、医学部1号館を壊すとい う計画になっているわけ。ただ、それを壊す ▲ 施工前の図書館前 ( 新図書館計画より)   らないといけない。そうすると、なんと前の 図書館の土台がでてきたんだよね。明治 30 年の土台で、それがすごく話題になった。防 火水槽をつくった時も、これを壊さないよう につくっていた。ここら辺全部そうなんで す、 ちょっと掘ると、 もう赤煉瓦だらけです。 前震災で壊れた瓦礫を埋めてあるから。出て きた土台をある程度生かしながら、噴水を つくって、ちょっと高くして、その周りにベ ンチを置こうと。そうすると、この前にこう いう建物があったことがわかる。歴史がこう やって重なる。 黒本:この図書館の完成はいつ頃になるで しょうか? 西村:地下書庫は 2 年後に完成する予定。 予算が毎年決まるので、図書館はすこしずつ 耐震改修をやっていて、いつ終わるの読めな いところはあるよね。今は二期目が始まると ころで、一期 2 年ずつかかるとすると、あ と三期残ってるから 6 年はかかるでしょう。 皆さんが卒業したあとになるね。中もすごく 良くなる予定です。図書館に入ると正面に中 央階段があるじゃない?その奥の閉架書庫を 今後開架書庫にするので、中に自由に入れる ようになります。あとは、閲覧室周りにある 開架書庫を移して、正面の窓側から両側のウ イングにかけて全部閲覧室にしようと。だか ら閲覧室がコの字型にあって、大きな階段が あって、内側が全部開架書庫というようにな る。閲覧室からすっと開架書庫へ行けて、す ごく開放的な感じになると思う。 図書館前にあった噴水も、どうするのかを議 論した。図書館前には全然違う形で広場をつ くる原案があったんだけど、噴水をもとに 戻すように計画を変更した。噴水のまわり に水が溜まっていたでしょ。実はあれは深 さ 10m 位の巨大な水槽だったの。なぜかと いうと、関東大震災の時に図書館が焼けたの で、防火水槽が必要ということになった。こ れは図書館を守るための水槽なんだよね。単 なるデザインじゃないわけ。ものすごく大き な防火水槽だから、残す案も考えていたんだ けど、スペースが全然足りなくなるので断念 した。ただ、ここに水があったのはやはりひ とつの歴史だから、薄い水を張ろうというこ とになった。 以前と同じような水煙の相輪 (写 真を参照)の形をした塔から水がでて、アク リル板の上に水を流すことにした。それを地 下一階から見ると、アクリル板からドーナツ ▲ アカデミック・コモンズと地下のパース ( 新図書館計画公式ウェブサイトより ) 6

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のが良いかどうか、 クエスチョンになってる。  僕としては、間にある道 ( ⑪ ) も実は重要 だと思う。東大になる以前には前田の伯爵邸 の洋館があって、そこに至るメインアプロー チの両側を形成していた。だからこのまま、 以前のメインアプローチを生かす方針で行き たいと考えている。緑の軸からは少しずれて いるが、懐徳館 ( ⑫ ) が重要文化財になって いるので、それを生かすためには軸から曲 がって入るのが大事だと思う。最初の計画と は変わって軸が曲がってもいいかどうか、今 後の議論だね。 大周辺でもあり得ない話ではないだろう。東 大内の景観だけだというとエゴといわれるん だけど、東京全体の景観価値の一要素として 考えられたら、いえないこともないと思うん だけど。ルールをつくって背景を守ることは 都市デザインのレベルで都とか区ができるこ とだよね。ただ東大が外に対して言うのは難 しい。  でも、少なくとも東大の中の建物くらいや らなければいけないね。すぐ後ろに理学部 1 号館 ( ⑭ ) が建っているけども、安田講堂よ り高いのを建てちゃいかんよねえ。あれも、 大学民営化のときにフリーになった頃の現 れ。自由に建てられてしまった反省から、こ れからはキャンパス計画をやらなきゃいけな いってこと。 黒本:その当時のキャンパス計画室は、もの をいう力がなかったということですか? 西村:残念ながら、そういうこと。 だったが、 たいへん色々とやっていただいた。  たとえば、サッシやタイルをどうするか、 プランや天井のリデザインとか。いろいろ工 夫された。責任者が担当して、その要所要所 でキャンパス計画室が報告を受けて、議論す るという体制でしたね。細い事案がたくさん あるから、誰かが本気にならないとできない 仕事なんだよね。  この改修は『新建築』の巻頭に載ったけど も、新建築の巻頭にリノベーション、保存プ ロジェクトが載ったのは東京駅以来らしいん だよね。 「新」 建築というくらいだから (笑) 、 リノベーションはなかなか載らない。それく らいの評価をしてくれたってことだね。重要 文化財でもないのに。 ちなみに今安田講堂は、 重要文化財指定に向けて動いている。 黒本:重要文化財になると、維持管理で補助 金が得られるといったメリットがあるのです か? 西村:維持管理ではないが、修理に補助があ る。そのかわり変更の許可が必要になる。 しいという話があった。 黒本:卒業式のときに、光の取り入れ方が新 西村:内田先生か岸田先生かの発案で、自 然光を入れることが大きなテーマになってい る。卒業式の時に安田講堂については話した が、実は図書館もそう。3階の階段上にある 広いロビーには、上のトップライトから光が 入ることになっているが、今はふさいで部屋 にしてしまっている。こんどの改修では部屋 をとって、 もう一度光を入れようとしている。 今暗い3階が明るくなって、そうすると雰囲 安田講堂からみる東京大学の 景観問題 ー背景の景観問題、東京全体の景観 価値から東大内部の背景問題まで 王:安田講堂 ( ⑬ ) の大きな改修工事が終わ りましたが、安田講堂の風景は正門から入っ たときのシンボルです。後ろに立っている大 学外のビルに関しては、景観としてよくあり ませんが、大学の一部署としてのキャンパス 計画室は、建てて欲しくないといった助言や ストップをかけることはできますか? 西村:学外でストップをかけるのは大学でな 視点場から見た背景の保全は、丸の内からの 東京駅や青山通りからの絵画館で実際にやっ ている。内堀通りから迎賓館をみた後ろ、国 会議事堂の前から見た後ろなど。だから、東 く、 区や都の仕事なんだよね。都にとっては、 ー伝統を守りつつも新たな創造を! 安田講堂改修に求めるものとそのこ だわり 王:安田講堂の中の改修工事について、キャ ンパス計画室はどのように関わりましたか? 西村:キャンパス計画室の中で、建築学科の 千葉学先生に担当になってもらい、細かくみ ていただくことになった。千葉先生は(安田 講堂の改修計画の実務を担当した)香山寿夫 先生のお弟子さんなので、自分の先生の事務 所の仕事に文句をつけるという難しい立場 ▲ マガジン編集部が西村先生にキャンパス計画のお仕事について伺う 7

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気が変わってくる。このように、自然光をい かに入れるかがデザインの要になっている。  光といえば、安田講堂内部の両側にライト ウェルがある。平面図をよく見ないとわから ないが、円形になっている舞台袖に2つのラ イトウェルがある。安田講堂はユニークで、 表のグランドレベルは後ろからみると3階な んだよね。その下の階は事務室になってい て、ライトウェルがちょうど下の階の会議室 の明かりになっている。なおかつ、プロセニ アムアーチと演台があって、演台の両脇に縦 長の窓があって、それがライトウェルからの 明かり窓になっている。舞台の横から自然光 が入ってくるという、 なかなかないデザイン。 改修前はダクトになっていて、室外機などが 塞いで暗くなっていたが、今回の改修で室外 機を屋上に持って行ってきれいにした。それ がけっこう大きな変更。  あと安田講堂ですごく面白いと思ったの は、演台にあがる階段だね。普通のホールだ とステージの脇から上がっていく。ところが 安田講堂ではステージ脇だけでなくもう一 組、演台のすぐ横に階段があるわけ。前から 不思議だと思ってたのね。今年の卒業式が久 しぶりで安田講堂で行われ、私も先端研所長 として壇上に居たので、ああなるほど、こう 使うんだ!とわかった。総長が卒業証書を渡 すときに、演台前の広いオープンスペースで 学生が順番待ちをして、演台脇の階段を上 がって卒業証書を受け取って、また演台脇の 階段で下りていく。これが作り付けになって るんだから、完全に卒業式をスムーズにやる ための空間になっていて、それ以外はあまり 考えていないということがわかった。今年壇 上から眺めて初めて、なるほどこう使うのか とわかった。僕のときは入学式も卒業式もな く、倉庫になっていたくらいだから。  それまで東大には、集まってセレモニーを やるスペースがなかった。図書館の中で卒業 式などをやってたんだよね。安田善次郎が大 講堂を寄付してくれたが、寄付をお願いする 際の殺し文句は卒業式ができるように、また 天皇陛下が卒業式にきて休むところもないか ら欲しい、ということだった。4階に天皇の お休みになる便殿(びんでん)というところ がある。それが大きな寄付の目的だった。 黒本:実際に天皇が来たことはありますか? 西村:戦前にはあったと聞いている。 黒 本: 改 修 に よ っ て 席 が 減 ら さ れ て い て せんが? 西村:改修前でも 1700 で、もともと足り ▲ 改修後の安田講堂(東京大学基金より) ていなかった。だから卒業式には早く行かな いと入れない。 低くて緑の多い方から変えていくと色々でき そうでしょ。まあどうなるかわかりません。 面白いでしょう?夢は広がる!  浅野キャンパスの中に職員宿舎がある。こ こは教職員住宅として働く女性向けにでもし たほうがいいと思う。子育てしやすくなる。 もっとも近く、ここに保育園でもつくれば、 大学全体としてはいいと思う。浅野の中心部 は建て込んでいるので、どうすればいいかは 課題。原子炉もある。 黒 本: 「 新 建 築 」 に よ る と、 安 田講 堂 裏 の 西村:できれば ATM を二食周辺改善の際に ATM 周辺 ( ⑱ ) の改善も検討されてますね。 移したいが、安田講堂裏をきれいにするため には行き先が必要だ。いま、理学部1号館の 建設工事 3 期部分が更地で、もうすぐ建つ。 その南には、化学東館との間に三角形のス ペース ( ⑲ ) があって、ここを生かしたいと 思ってるのね。  なぜ三角形の変なスペースがあるかという と、南側からの軸線 ( ⑳ ) が東大のもともと の軸なの。もともとのメインのエントランス は竜岡門の近くだった。その軸を伸ばして病 院ができて、徐々に広がっていった。ある時 期に正門ができて、本郷通りから入るように なったのね。理学部1号館 ( ⑭ ) はこちらの 軸でつくられている。このふたつの軸のずれ を解消するための三角形なんですね。この三 角形ができると軸がずれて、この軸のずれを 受けるために二食を円形にして、ウィングを 少しずらした。ウィングの中心は、この軸と 完全に一致している。すごくうまい。軸がず れているときに、円を使って回収した。  クリストファー・レンという建築家が、ロ ンドンのハイドパークからの道とオックス 残された問題、 これからのキャ ンパス計画 ー浅野地区と二食周辺の空間改善 黒本 : 現在キャンパスの中で問題視していて、 変えようとしているところはありますか?先 ほど、 農学部の話がありましたが、 ほかには? 西村:まずドーバー海峡(言問通り ) のデッ キのほかに、やりたいなあと思ってやれてい ないのが、本郷第二食堂(二食)( ⑮ ) 周辺 の改善。二食は片側のウィングしかできあ がっていない。それを完成させ、裏まで改善 する。今プレハブなどが建っているので。現 在の環境安全研究センターのところに今は使 われていない門 ( ⑯ ) があって、これを使う と根津の駅まで弥生門から行くよりも断然、 100m ほど近くなる。これは必ず使われる よね。このへんに学生の色々なユーティリ ティースペースをつくるとすごく良くなるの よ。安田講堂もすぐ近いし。こういうのが計 画としては出ているが、申請金がない状態。 せっかく夢を広げてるんだけどねえ。 王:これは、駅が近くなるから使われそう。 西村:途中には浅野キャンパスの東からの入 り口 ( ⑰ ) もある。現在人通りの少ない通り で静かなところなんだ。現在は、ごちゃご ちゃっとして、 つながっている感じがしない。 二食裏に門をつくれば、 まっすぐつながって、 使い勝手がよくなるよね。  浅野地区をどう変えていくか。南側から考 えるとなかなか思いつかないが、東側から、 1100 になっていて、卒業式には足りていま 8

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フォード通りと交差させるのに、両者の軸線 のずれを吸収するために、オールソールズ教 会っていう円形の教会を建てた。クリスト ファー・レンがつくった教会なんだけど、違 う軸をうまくすりつけるために円弧で結んだ んだよね。二食の所でも似た解決方法を使っ てて、大したもんだなと思う。  二食の建物もよく見るといいもんで、階段 室の先の3階は音楽室になってて、昔はコン サートホール、ダンスホールだったかな。今 はオーケストラの稽古場所になってるね。地 下はプールになっている。ああいうところを 改善すると面白いと思っている。それが夢で すね。たぶんだめだろうけど。 (笑)  二食周辺の改善が実現して門をつくると、 不忍池まですぐになる。こういうのは都市デ ザイン的で、夢が広がる。この三角形も、実 はそういう歴史的な意味を持っている。 王:基本的に軸に沿っている建物はその方向 にそって作られていますが、二食にきて隙間 は大きくなっていると同時に、二つの軸が交 差する場所が二食になっています。円形のデ ザインはうまいと思いました。 西村:クリストファー・レンの反転版をやっ たのだとわかって、この場所が大切だと気付 いた。今後の整備方針としては、片方のウィ ングをつくる。今バス停があるが、再開発す れば他の場所にバスをおけるわけだから、今 ある大きいロータリーを改善できる。 ーキャンパス周辺環境の整備問題 砂塚:北大のキャンパスに憧れて北海道に行 きました。北大キャンパスは軸が強く、メイ ンストリートに沿って学部の建物がくっつい ています。北大では、周辺のグリッド都市と 軸をあわせて作り、市民が入りやすくなる動 線を考えています。本郷キャンパスは、外部 動線との関わりを考えていますか? 西村:東大に限らず、江戸の広大な大名屋敷 が数多く公有化された。たとえば前田家の場 合は、上屋敷を一括で公有化したので、周辺 との関係よりは大きな敷地をどう使うかとい うことを考えていたと思う。周りはすでに江 戸時代に市街地ができあがっていた。北大が 札幌の都市と大学を同時に作ったのと違うん だね。東京は高低差もできているし、中だけ の論理でつくられてる。これだけ広い敷地を どう統一的に作るかというのに苦労したん じゃないかな。 今川:結果的には休日など、工学部広場など で周辺の方がこどもを連れて遊んでいる。 西村:これだけのオープンスペースがあれば 地元にとっては利用できるだろう。最初から どう考えたかというと、本郷通りをはさんで 東大側の軸と本郷5, 6丁目側の道路パター ンは全然関係ないからね。  正門から安田講堂へむかう軸をなぜとった かというと、東下がりの斜面に細かな尾根が あって、どれだけ正門から距離がとれるかと 考えて、一番スパンがとれるのがここだった ということだと思う。北側はお雇い外国人の 住宅だったが、北側に伸ばすときにどこだと 一番引きが取れるか、と考えた。当時、最初 は正門まわりに広場があって周辺にたてもの があって、理科、法文、図書館があって、ス クエアを囲む、という計画だった。■  キャンパス全体の計画から細々な空間まで の話が聞けて大変勉強になりました。デザイ ンや計画の中にある思想や考え方を読み解い ていく中で、さらに多くのものが見えてきた のが非常に面白く感じました。( 王 )   ( 表紙に飾る写真の一部は東京帝国大学 (1900) により引用 ) ー三四郎池周辺の回遊性向上と眺望 景観の創出 西村:あとは、三四郎池 ( ㉑ ) をもっと回遊 できるように活性化したい。今はこんもりし すぎて怖いね。もう少し木を減らして明るく したいと思うんだけど、植物の先生が反対す るのでどこまで手を入れて良いか、議論を始 めているところ。池のなかには加賀藩の屋敷 時代からの原型をとどめている部分があっ て、あと昔は築山があって、そこから眺める 景色が代表的だった。 富田:三四郎池のメインのゲートはあります か? 西村:御殿下のところ。( ㉒ ) なかなか、ど こから入っていいかわからない感じで、裏の 雰囲気になってるね。たまたま、図書館前の 合格通り ( ⑩ ) で工事をしていて、 仮設があっ て端っこに通路が来ているので、三四郎池が 近くに感じられている。前は通りから遠く、 実感がなかった。いま整備すれば人が行きそ うに思うね。 ▲ 図面を存分に使ってキャンパス計画を説明してくださいました 9

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明治の技術を現世に語る産業革命遺産 Industrial Revolution Heritage which Talks about the Meiji era of Technology in this World 2015 年 7 月 5 日、ユネスコ世界遺産委員会において、 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」の世界遺産登録が決定 されました。日本イコモス ( 国際記念物遺跡会議)国内委員会委員長でもあり、世界遺産登録に携わった西村先生にお話を伺いました。                                                          世界遺産登録に至るまでの道 のり、重ねる議論と実践 王:今回「明治日本の産業革命遺産」が新 たに世界遺産登録となりましたが、世界遺 産になるまでの努力というものはどんなも のでしょうか?また、我々「都市」という 分野で学んでいる人にとって、どういう風 に考え、関わればいいでしょうか? 西村:今度の「明治日本の産業革命遺産」 に関しては、初期の段階からもう 10 年以 上関わっている。まず明治産業革命の遺跡 などが世界遺産になりえるという思いが あって、議論を始めた。鹿児島県が中心と なって一緒に議論を行い、その中で専門家 の会議を立ち上げた。九州知事会のもとに 専門家組織をおいて、各県から専門家にで てもらい、どういう資産に可能性があるか ということを議論する会を作って、それか らずっとやり取りを続けていた。  さらに、日本だけではなくて、産業遺産 というと、特に産業考古学の発祥の地であ るイギリス、アジア太平洋地域で文化遺産 の理論的研究と実践が進んでいるオースト ラリアなどの先進国に参加してもらって、 これらの人と日本の専門家と一緒に、実際 に出てきたものの中で、どういうストー リーをつくって、世界遺産にするのかを考 える。そのためにも、そのストーリーのも とにどういう候補の構成でいいのかを絞り 込むことを 10 年以上やっていました。  ちょうど僕は文化庁の世界文化遺産特別 委員会の委員長をやっているので、産業遺 産はかなり特別な案件で八幡の新日鉄、大 牟田の三井とか、三菱重工の長崎造船所の ように大企業がもっているものが入ってい る。だから、これを文化財ではなくて、も う少し生きたものとして守れるような仕組 みを作りたいというオーナーたちの願いが あり、内閣府の中に一応仕組みをつくった わけだ。僕は文化庁側の委員だったから、 その議論からは少しだけ一線画していまし たけど、話はずっと聞いていた。長いこと やってきたからね。  これが当初ノミネーションの原本、これ に関してほとんどの人は知らないけど。 ▲ 明治産業革命遺産ノミネーションの原本 とか、あとは製鉄、紡績など、部分的に残っ ていて、反射炉とかも遺跡として残っている わけだけど、そこはある意味で日本の産業の 出発点なので、鹿児島の人たちはこれをなん とかしたいと思っていたわけ。  その頃の日本は海外からのインフォメー ションが出島しかないので、オランダの本を 訳して、そこに乗っている図や解説などを真 似して機械とかを作っていたが、それで失敗 を何回も重ねながら、やろうとしたわけ。の ちに機械そのもの、例えば工作機械とかはイ ギリスから輸入したりしていたが、結局西洋 の技術は非常に重要だと、 みんな感じていた。  なぜかというと、やっぱり西洋の力が強い ということはアヘン戦争をみてわかった。ア ヘン戦争が 1840 年から 1842 年で、それ を見て、あんなすごい大国・清が負けること があり得るということがわかった。日本もそ うなると考えた。特に南の藩というのは、大 体船は全部南から来るので、そういう脅威に 晒されているわけだからね。情報的にも長崎 があり、出島があり、それから対馬は朝鮮に 対して開いていたし、琉球もそうだし、外に 対する窓が九州にあったわけだ。  産業力をつけないと、ここは産業というよ り国防だよね、大砲、それから軍艦、動力と しての蒸気機関、あと動力源の石炭など、こ ういうものをちゃんと自前で賄えるようにし ないと、日本は植民地になってしまうという すごく大きな危機感があった。幕府もやった けど、基本は各藩でそれぞれ努力するという 風になっていたわけで、だから、西南の雄藩 と言われている外様の藩には軍事技術志向が 多かった。そういうとこに知識が溜まって いったわけだ。  それまでの産業革命というと、先進国の技 術を他の国に移植して、先進国の人がきて、 ここに工場を作って、そして人に教えて、そ のヨーロッパの技術が広がったという風に歴 史としてヨーロッパの人たちが考える。日本 の場合は、向こうから移植されたというより も、いろんな情報を求めて自力でいろいろ工 夫していた。もちろんそれだけでは結果は出 ないので、欧米人たちに来てもらうと思うん だけれども、作り上げていったのは地元の人 たちだ。大工だったり、鍛冶屋だったり。だ 黒本:あまり公開されていない本ですか? 西村:そうだね、すごい綺麗でしょ、これ やっぱり時間かかるわけで、マスコミの人も 知らないし、国内だと本当に数少ない人しか 知らない。 黒本:これの編纂も西村先生が担当している んですか? 西村:これのベースとなるストーリーを作る ところは私も関わったが申請書の執筆作業自 体はイギリスの方がやっていた。もう一冊厚 いのがあって、これが本編で、一個一個の資 産 ( 全部で 23 ある ) がちゃんと保存されて ないといけないから、そのために、保存のた めの保存管理計画を作らなければならないよ ね、これがその保存管理計画。ここにあるの が日本語版だが、これを全部英語にしたバー ションもある。これはものすごく大変。 くらいのものを作らなければならないから、 歴史のストーリーから織りな す世界遺産の物語、そして日 本の技術力へ 黒本:ここまでして世界遺産に登録するとい か? 西村:明治産業革命遺産の場合だと、もとも と鹿児島の人たちが始めたけど、鹿児島には 集成館という幕末の工場群があって、ここは 日本の最初の工業コンビナートで、機械工場 うのは一番のメリットはどこにあるんです 10

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▲ 登録に至るまでは 10 年間の作業が積み上げられ、分厚い原本が出来上がった。その重みはその中にある歴史と文化に由来すると実感した。ちなみに、 日本語と英語の二つのバーションがあるらしい。 。オランダ人技師ムルドルの指導のもと、港湾施設と付近の道 ▲ 8 月に都市デザイン研究室の M1 が訪れた、熊本県三角西港の築堤(左)と排水路(右) 路、水路までが 1884 年に建設された。日本で唯一、明治時代の港湾施設が完全に現存している。産業革命遺産は複合遺産で、北九州市八幡、大牟田市三池、 長崎市、佐賀市三重津、熊本県三池、三角西港、鹿児島市集成館、萩市、岩手県釜石市、静岡県韮山からなる。 からそれは非常にユニークで、ヨーロッパと 違う形の産業革命であって、ヨーロッパより もすごい早いスピードで進んだ。50 年間か ら 60 年間でヨーロッパに追いついたと言わ れている。それはヨーロッパにないわけだ。 産業革命というと、200 年位かかるんだけ れども、それを 50 年位で成し遂げた。  産業革命は、いくつのものと地域の努力に よって成り立っていた。最初は鹿児島だけ だったが、集成館だけじゃなくて、技術革命 のようなことはほかでも起きていたわけだ よ。蒸気機関の佐賀藩、船を作り始めた長崎 だし、製鉄にしても、萩で実験的な反射炉が でき、集成館ができ、韮山の反射炉で本当 に鉄が生み出された。釜石で高炉のやり方 へと変わり、当時は高炉の中に鉄鉱石と木 炭を入れて熱するんだが、木炭が還元剤に なって製鉄できるけど、木炭だと限りある ので、今度は木炭ではなくて、八幡では石 炭から作るコークスを使うことになった。 やはり技術というのが日本の中でこうやっ て進化して、あるところで、経営的にも成 り立つようになり、船の性能としても世界 のレベルに達するというのが 1910 年位 で、そこまでのストーリーを作り上げた。 黒本:そういった歴史ストーリーの仕立て にしたほうが、より普遍的な価値などをいい やすかったりするということですか? 西村:そうだね、産業も造船、鉄鋼、石炭の は国防からちょっと外れるので構成要素から 外すなど、そういう絞り込むこともやってい た。今回の産業革命遺産の場合は、日本の国 防を巡るストーリーとして組み立てた。  今月号のマガジンでは、キャンパス計画か ら世界遺産に至るまで、たいへん興味深い話 を詳しく聞かせていただきました。西村先生、 お忙しい中ありがとうございました。 ( 王 ) 三つに絞っていた。例えば、当初あった灯台 11

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コンペ特集 設計の志願兵たち The Record of Challengers on Competitions コンペ(設計競技) 【Competition】   巷では、実にたくさんのコンペが開催 される。提示された設計課題に対して、 作品を制作して応募し、優秀な作品には 賞が与えられる。  都市デザイン研究室からも、たびたび コンペ挑戦者が現れる。応募者は、課題 を読み込み、時にはぶつかりながら議論 を重ね、もしくは脳内で案を戦わせ、最 適解をさぐる。図面を描き、ダイヤグラ ムを描き、 模型を組み立て、 作品をつくる。 満を持して、もしくは後悔を抱えながら、 作品を送る。あとは結果発表を待つ。  コンペは、まさに戦いである。どこま で考えを突き詰めるか、どこまで作品を 作り込むか、 自分との戦いである。 同時に、 Competition 14 号館 1 階にて 造園学会コンペ優秀作品の展示 賞をめぐって、他の挑戦者との戦いでも ある。  この記事は、2015 年夏学期の間、果敢 にもコンペに挑戦していった都市デザイ ン研究室生の戦いを讃え、後世に語りつ ぐものである。( 編集:黒本 ) 2015 年 公益社団法人日本造園学会 90 周年記念全国大会 2105 年、公園のない / ある未来 Our Future With/Without Parks 2105 「未来の東京に、公園はあるのだろうか」  衝撃的なポスターに、目を惹かれた読者の方も多いだろう。1925 年に設立された日本 造園学会が、設立 90 周年を記念して開催したコンペである。90 年後の 2105 年の東京 における公園の未来像を考え、公園は存在するのか、あるならばどのような空間になるか、 具体的な空間デザインを問うコンペである。  都市デザイン研究室からは、B4 生が個人で 2 作品、また M1 年代を中心とする 5 名グ ループによる 1 作品が応募された。   B4 生による 2 作品は偶然にも、ともに「墓地」をテーマとした作品に。M1 年代によ る作品は、公園のもつ目的に着目したものとなった。惜しくも入賞作はなかったが、90 年後という遥か遠い未来の都市を構想する、壮大な思考実験となった。 「百年後には公園は無くなる」  これは、 20世紀初頭、 東京市公園課長として公園行政に辣腕を振るった井下清 (いのしたきよし) が書いたエッセイのタイトルだ。井下は日本の公園史に名を刻む、偉大なるランドスケープ・プロ デューサーである。1928 年、東京の都市化が急速に進む中、東京市の公園課長となって5年、お そらく当時の日本で公園の創出に最も寄与していた人物だった。公園は本来、上下水道網等と並ん で、都市の公衆衛生改善のための手段のひとつである。井下は、そうした公園の本来的な役割に着 目しつつ、 「公園は目的ではなく手段」との立場より、公衆衛生をはじめ、公園を必要とするよう ▲ コンペポスター(日本造園学会 HP より) ▲ 主旨文(日本造園学会 HP より) な都市問題が解決すれば、自ずと公園は消滅すると考えた。 12

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This is a not dystopia. 小林 里瑳 (B4) 首都の墓地 三文字 昌也 (B4)   公園の未来と聞いて、アスプルンドを連想し、 墓地と公園が都市の中で結びつかないかなと思っ たところが始まりです。孤独死の増加や寺と檀家 の減少など、墓のあり方の様々な変容を、死にゆ く都市インフラの再生を通じて受け止めることは できないのか、という提案に なりました。  結局、廃止された首都高な ど、都市更新の結果廃止され たインフラの再生として墓地 があったらどうなるだろうと 考えてみたのですが、風呂敷 を適当に広げた結果、満足が ゆく具体的な空間提案まで落 とし込むことができず、ただ 緻密なスケジューリングの重 要性を噛みしめる結果となり ました。反省しています。 13

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2105 年、目的のある / ない公園 濵田 (B4)/ 黒本、越野、竹内、深町 (M1)  公園が担ってきた役割は他の施設で代替可能であるため、公園の本質はむしろ、想 定しない多種多様な活動を受容する「非有用な空間」である。情報技術の進化により 都市構造は職住近接型へと激変する。公園行政は情報化・遠隔交流の社会における公 園の役割を「直接的な交流」と設定して整備するが、実際には行政の意図しない柔軟 な利用を受け入れ、多様な利用形態をもつ「公園的空間」として存続する。  2105 年東京の公園像を以上のように考え、郊外住宅地の公園を提案しました。  しかし、この論に至るまでには大変な紆余曲折がありました。頻繁に議論がヒート アップし、 一回の MTG でまるまる「交流とは何か」を考えていたこともありました。 議論で時間を使いすぎ、最終的に作業する時間が不足しましたが、都市に関する根源 的な問いをたて、将来を構想する、良い経験になったと感じています。 (黒本) もう一つのまち・もう一つの建築 Another City, Another Architecture  一般社団法人日本建築学会は、毎年様々なテーマでコン ペを開催している。本年度課題は「もう一つのまち・もう 一つの建築」であった。与えられた課題は。まちの在り方 や建築を通じて豊かな生活を実現すること、しかも現在の 街の再開発ではなく、50 年前に遡って計画をし直し、現在 あるべき「もう一つのまち・もう一つの建築」を提案する ことである。  都市デザイン研究室からは、プロジェクトでも扱われて いる渋谷を対象敷地とした 1 作品が応募された。地形とい う渋谷固有の文脈を活用し、界隈やストリートごとの個性 を打ち出す観点から、現在の再開発計画を再考した。また、 東日本大震災時の帰宅困難者を問題視し、災害に対しても 頑健な都市構造への変容を提案している。  現在から 50 年程前に遡って見よう。1964 年の東京オリンピックでは、 戦後復興から我が国の高度経済成長期に重なり、新幹線や首都高速道路の 建設など交通インフラと関連する施設建設が未曾有の速さで整備され、こ れを機に首都圏へ人口の一極集中が始まった。一方、経済成長に伴い地方 都市では経済優先の都市開発が行われ、鉄道駅を中心とした均質化した商 業地域、中心市街地、行政地域を核としたまちの骨格が形づくられ、住宅 地は宅地開発により都市周辺にスプロールしていった。経済的合理性、効 率性や利便性を求めたこの半世紀の歩みのなかで私たちは失ったものも多 い。地方のまちの中心市街地は海や山、川など自然の豊かな環境が身近に あり、また歴史が培った文化やコンパクトな交通インフラも備わっている。 地方都市には小ささゆえの良さがある。  (中略)  まちの在り方や建築を通して、豊かな生活とはなにかを改めて問うてみ たい。現在のまちを再開発するのではなく、 50 年前に遡ってリセットして、 現在あるべき「もう一つのまち・もう一つの建築」を構想してください。 ▲ 主旨文 (日本建築学会 設計競技事業委員会より) 2015 年度 日本建築学会設計競技 14

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再び、大地と共に生きる。 中島(健)(M2)、澁谷 (M1)、窪田特任教授、遠藤准教授(工学院大学)  今回のコンペでは、50 年前に遡ってリセットして、現在ある べき「もう一つのまち・もう一つの建築」を構想することが求め られました。  渋谷については、学部 4 年時より継続して関わってきた地域 であり、特徴的なスリバチ地形や歴史についてはよく理解してい るつもりでいましたが、もう一度 50 年間の歴史を振り返ること で、繁華街・渋谷の発展の道筋と現在の駅前街区を中心とする再 開発に存在する文脈の違いが明確になりました。また、調査の中 で渋谷の地形を活かした戦災復興区画整理についても知ることが でき、大変興奮したことをよく覚えています。  提案では、渋谷の地形に即した界隈・ストリートを尊重した一 連の空間計画により、災害に対しても頑健な都市構造へと変容さ せることを目論みました。ここで言う「界隈・ストリートを尊重 した空間計画」は、 渋谷の発展の歴史から見いだされるものです。 プロジェクトでは、災害に対して「生き延びる」ことのできる都 市を模索しているのですが、今回過去に遡ることで、微かですが そのヒントを掴めたような気がしています。 (中島) ▼ 渋谷の都市構造にも時代ごとの特徴が見て取れる ▶  ヒ カ リ エ と マ ー ク シ テ ィ が あ る 場 所 が、 大 規 模 な オ ー プンスペースになるプラン ▶  渋 谷 の 避 難 行 動 を 変 え う る 都市空間とは何かを構想した 広島県廿日市市主催 宮島口 まちづくり国際コンペ 8月のウェブ記事  夜のまちを彩る、帯のまち流し  神田で日々インタビュー中 ▲ HP トップページのロゴ(宮島口まちづくり国際コンペ HP より) 9 月の予定 是非ご覧下さい:http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/ja/blog/  年間 400 万人の観光客が訪れる世界遺産・宮島。その玄関口 にあたる廿日市市宮島口は交通結節点としてほとんどの宮島訪 問客が通行するが、景観は宮島の玄関口にふさわしくなく、素 通りする客が多く、また繁忙期には混雑が発生する。こういっ た課題を克服するために、陸地を約 1ha 拡張する埋め立て工事 が計画されている。これに合わせ、 宮島口における問題を解決し、 魅力を増進するような都市デザインのアイデアを募集するコン ペである。  結果発表を控えているため作品の公開はできないが、都市デ ザイン研究室の学生 3 名と建築家 1 名のグループ、また都市デ ザイン研究室の助教を含む、地域デザイン研究室を中心とした グループが応募した。  9 月 4 日〜 6 日 建築学会大会   9 月 1 4 日 〜 1 6 日   2 0 世 紀 都 市 遺 産 PJ   松 本 現 地 調 査  9 月 24 日 講義・2 年演習スタート 最近は 8 月だというのにすっかり涼しくなりました。このまま夏も終 わりなのでしょうか。皆さん、夏はいかが過ごされたでしょうか。 夏の一番の思い出は、山口県で 2 週間開かれたボーイスカウトの世界 大会で、サイト全体のゴミ管理を任されたことです。世界中から 4 万 人が 500ha くらいの土地に集まって生活します。 都市が一瞬で生まれ、 営み、撤退します。20 箇所あるごみステーションの建設管理、収集業 者との交渉、各場所の運営者に分別を依頼するなどしました。汚水が あふれたとなれば部総出で現場に急行し、夜中に土のうを積むことも ありました。 こうして、 都市の静脈を支えるインフラを管理する地道さ、 苦労の一端を学ぶことができました。 編集後記 黒本 剛史 15

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