magazine230

 

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6月号

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2015.06.30 vol. 230 師 の 軌 跡 を 辿 っ て L O O K I N G B A C K O N T H E T E A C H E R    北沢猛先生特集 第1弾         鈴 木 伸 治 先生を訪ねて p . 4 優 秀 論 文 賞 受 賞 ! 黒 瀬 助 教 イ ンタビュー p . 8 東京大学 工学部都市工学科/ 工学系研究科都市工学専攻 都市デザイン研究室 今月の編集担当:高橋舜 富田晃史 編集長: 今川高嶺 編集委員:中島健太郎 高橋舜 中井雄太 黒本剛史 砂塚大河 富田晃史 王誠凱 http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/

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U rb a n D esigner KITA ZAWA T a k eru 2 (1953-2009)

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師の軌跡を辿って —北沢猛先生特集 第1弾 —     都市デザイン研マガジン230 号。小さな節目を 迎 え た マ ガ ジ ン で は、 初 の 試 み と な る リ レ ー 形 式 の イ ン タ ビ ュ ー 特 集 に 挑 み ま す。 特 集 の テ ー マ は、 故 北沢猛先生。北沢先生が亡くなられてから6 年が経 ちますが、研究室にいると日々いろいろな人が「北 沢先生はね、 ・ ・ ・ 」と、北沢先生のことを口にします。 一 体 ど ん な 方 だ っ た の か、 編 集 部 で は 先 生 の 7 回 忌 に あ た る 今 年、 改 め て 北 沢 先 生 に ス ポ ッ ト を 当 て て、 じっくりと北沢猛という人物に迫ってみることにし ました。   初回のインタビューに伺ったのは横浜市立大学の 鈴木伸治先生です。鈴木先生は北沢先生が助教授と して大学に戻ってこられた際に研究室の助手を務め られており、その後も横浜市で北沢先生と幾つもの お 仕 事 を 共 に さ れ て き ま し た。 そ ん な 鈴 木 先 生 は 北 沢 先 生 に つ い て 何 を 語 っ て く だ さ る の で し ょ う か。 今回は横浜市立大学にお邪魔し、鈴木先生にお話を うかがってきました。

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鈴木伸治先生を訪ねて —北沢猛先生特集 第1弾— The Interview of Nobuharu SUZUKI in Yokohama City University - The Feature of Prof.KITAZAWA Takeru 1st  インタビュー当日は、午前中に横浜市 大の方々に黄金町や金沢シーサイドタウ ンの鈴木先生が関わっておられるプロ ジ ェ ク ト を 案 内 していただきました。  午後から始まったインタビューは梅雨 晴 れ の 1 日 だ っ た こ と も あ り、 屋 外 で 行 い ま し た。 イ ン タ ビ ュ ー で は 鈴 木 先 生 の学生時代のお話から北沢先生との関わ り、 ま た 今 後 の 都 市 デ ザ イ ン の 在 り 方 に わたるまで多くのお話を伺ってきまし た。 (編集:M2 高橋 ) * ー紹介も兼ねて先生の学生時代のお話を お 伺 い し た い。 な ぜ 京 都 大 学 の 建 築 か ら 都 市 工 に 進 学 さ れたのか。  学部の時は都市史が専門の西川幸治先 生の研究室でしたが、大学院入試の年に 西川先生が退官でした。そこで、都市工 の知人に勧められて受験しました。事前 に訪問したところ、渡辺定夫先生に「受 4 —院生の こ ろ は 何 を さ れ て い た の か 。  9 2 年 に 進 学 し ま し た が 、 M 1 の 時 に は浦安の景観条例の調査を手伝ったりし ま し た。 こ の 時 が 渡 辺 先 生 の 時 代 で す 。 ー学生時代はアメフトをされていたとの ことだが 。   そ う、 ほ と ん ど 勉 強 し ま せ ん で し た 。 そ の 時 は、 い ま 神 戸 大 学 の 槻 橋 修( 准 教 授 ) が キ ャ プ テ ン を や っ て い て、 今 で も 震災復興支援のプロジェクトを一緒に や っ て い ま す。 因 み に 、 最 初 に 言 っ た 院 進学時の都市工の知人というのがいま芝 浦 工 大 に い る 桑 田 さ ん で、 彼 も ア メ フ ト をやって い ま し た 。 — そ の 後 、 助 手 に な ら れ た のか 。   95 年 に 山 田 先 生 が 亡 く な ら れ て 、 西 村 先 生 一 人 に な り、 そ の 後 助 手 に 採 用 さ れ ま し た。 一 時 期、 原・ 西 村 研 究 室 だ っ た 時 代 も あ り、 そ の 時 に は 原 広 司 先 生 が 学部演習の住宅地計画とか見に来ていま し た。 演 習 で 原 さ ん に エ ス キ ス を 受 け た の は 松 田 達 さ ん。 彼 は 確 か そ れ が き っ か け で、 大 学 院 で 原 研 究 室 に 行 っ た は ず で す。 期 間 と し て は D 2 の 6 月 か ら 99 年 度まで 5 年弱助手をやっていました。助 手 に な っ た 当 時 は、 学 園 紛 争 の 影 響 か、 外部からの委託研究をやらなかった時期 験 し て も い い け ど( 部 屋 が 狭 い の で ) 席 は 無 い ぞ 」 と 言 わ れ ま し た が、 合 格 し、 進 学 す る こ と に な り ま し た。 で も 進 学 が 決まった直後に布野修司先生が京都大学 に 赴 任 さ れ て、 正 直 少 し 迷 う 部 分 も あ り ました。 M1 の途中で西村先生が東大に戻ってこ ら れ て、 修 士 論 文 は 西 村 先 生 に 指 導 し て も ら い、 そ の ま ま 博 士 課 程 に 進 学 し ま し た。 博 士 課 程 の 頃 は ミ ャ ン マ ー の 調 査 を し て い て、 そ の 後 助 手 時 代 も 含 め て 、 カ ン ボ ジ ア、 タ イ な ど で 大 規 模 遺 跡 の 保 存と都市計画の研究を一時期していまし た。

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大 変 だ ぞ。 暴 力 団 が 絡 ん で い て 、 ち ょ っ と や そ っ と じ ゃ 進 ま な い。 相 当 に 時 間 を 使 わ な く て は い け な い し、 ほ か に も や れ ることがあるんじゃないか」と言われま し た。 た だ 相 談 と い っ て も や り は じ め て か ら 相 談 に 行 っ た の で、 結 局 そ の ま ま 続 け て い っ た。 最 終 的 に は 応 援 し て く れ ま した。 ▲午前中、市大の学生さんに黄金町を案内していただきました で し た。 学 生 も な か な か 都 市 デ ザ イ ン を 実践する機会がなく、西村先生と相談し て、外部での実践の機会を求めることに な り、 千 代 田 区 の 美 観 地 区 や 、 岩 手 の プ ロジェクトが始まりました。西村先生は 明治大学にいらした時から地域での調査 な ど さ れ て い て、 実 際 に 現 場 を 見 な い と 学生の力も伸びて来ないと判断されたの で し ょ う 。 そ の 後 、 僕 は 二 戸、 久 慈、 釜 石などに参加した後、美観地区で博士論 文 を書 い て 関 東 学 院に移りました。 — 北沢 先 生 と の 出 会いは?   ま だ 工 学 部 8 号 館 に 都 市 工 が あ り、 当 時院生として演習の手伝いをしていたの で す が、 講 評 会 の 時 に ゲ ス ト 講 師 と し て 招かれた北沢先生に初めてお会いしまし た。その時の先生の格好が、からし色の シャツに、黒い細いネクタイ。サングラ ス を か け て い て、 公 務 員 ら し か ら ぬ 格 好 で驚きました。その後、西村先生が北沢 先生を呼ぶことになるのですが、印象的 だ っ た の が、 「 海 外 だ と、 大 学 に 行 政 の 実務家の人が来たり、大学から行政や民 間に転身したりする。日本もそういった 形 で 人 が 動 い て い か な い と 行 け な い し、 そういうことは東大が最初にやるべき だ」と西村先生に言われたことです。そ の 後、 97 年 4 月 に 北 沢 先 生 が 研 究 室 に 赴 任さ れ ま し た 。 ー助手時代に北沢先生が関わったプロ ジ ェク ト 活 動 に つ いて。  赴任された直後にコンペをやったりし て い ま し た。 岩 手 を は じ め と し て 国 内 の 研究室の調査はほとんど北沢先生と一緒 に行っていました。海外では、ブータン の 調査 な ど も 一 緒 に行きました。 ープロジェクトでの北沢先生の様子につ い て。  地元の人と飲み会をやって宿舎に帰っ て き て か ら、 い き な り 図 面 を 拡 げ だ し た りして、さあこれからだといって飲みな が ら 作 業 す る。 物 凄 い タ フ な 人 だ と 思 い ま し た 。 あ と か ら 聞 く と、 市 役 所 の 時 も そ う だ っ た ら し く、 と に か く 帰 ら な い、 猛 烈 に 仕 事 を す る 人 だ っ た ら し い で す。 逆にそこが身体には良くなかったのでは ないかなと も 思 い ま す 。 ー北沢先生と共にプロジェクトをやられ ていて印象 に 残 っ て い た こ と は ?   北 沢 先 生 は「 ア ー バ ン デ ザ イ ン を 実 践 す る 人 間 が 大 学 に い な い の は 問 題 だ。 研 究だけしていても新しいものは生まれな い。研究は起こったことを評価すること が 中 心 に な っ て し ま う の で、 何 か 起 こ っ たことを後付け的に評価しても新しいも の は 生 ま れ な い 」 と い う 趣 旨 の こ と を、 大学に移ってからずっと言われていまし た。 ー 実 践 と い う 意 味 で は、 先 生 が 黄 金 町 の プロジェクトを始める際には北沢先生の 言葉の影響 が け っ こ う 大 き か っ た ?   黄 金 町 に つ い て は、 当 初 北 沢 先 生 は 心 配してあんまりすすめていなかったで す 。 北 沢 先 生 に 相 談 に い っ た ら「 あ れ は 現場のアーバンデザイナー で あ っ た だ け で は な く、 ポリシーメイカーの資質が あった ー北沢先生の都市に対する見方はどのよ う な も の で あ っ た と 考 え て い る か?  ものの見方が西村先生と少し違いまし た。 わ か り や す い 例 だ と、 以 前 丸 ビ ル の 建て替えを巡る反対運動がありました が、 西 村 先 生 は 180m の 超 高 層 が 経 つ こ と に 対 し て 景 観 の 面 か ら 問 題 提起 を し た。 一 方 の 北 沢 先 生 は と い う と 「 反 対 を してそこから何を得るのか考えなきゃい け な い 」 と い う 現 実 的 ス タ ン ス で し た。 先生はみなとみらいの時に三菱と一緒に 仕 事 を し て い た こ と も あ り、 個 人 的 に 三 菱の人とコンタクトをとるなど、少し違 う 見 方 を し て い た と 思 い ま す。 実 践 的 に も の ご と を 進 め て い く に は、 現 実 的 な ア プ ロ ー チ が 必 要 に な る。 な ん だ か ん だ 影 響を受けていると思います。   ま た、 先 生 は 戦 略 的 な 動 き が で き る 人 で あ っ た と 思 い ま す。 ゲ リ ラ 的 な 動 き だ け で な く、 市 の 政 策 と し て 組 み 立 て て 動 く。 単 に 現 場 の ア ー バ ン デ ザ イ ナ ー で あ っ た だ け で な く、 ポ リ シ ー メ イ カ ー の 資 質 が あ っ た の だ と 思 い ま す。 フ ィ ジ カ ル な デ ザ イ ン だ け で な く、 政 策 の デ ザ イ ンまでカバーできる人でした。 ▲アーバンデザインセンター並木 (UDCN) の外観 5

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ー ア ー バ ン デ ザ イ ン セ ン タ ー に つ い て、 北 沢 先 生 と そ う いう話はあったか?  その頃は既に横浜にいたのであんまり 聞いていないですね。その頃になると会 うのはもっぱら横浜で、会議の後にバー に連れて行ってもらったりしたが、柏の 話 は 出 な か っ た し、 あ ん ま り 印 象 に 残 っ ていない。 ー北沢先生と田村明さんの関係につい て。  以前横浜の都市デザイン史の研究をや り、その関係で田村明さんに連続インタ ビ ュ ー を 行 っ た こ と が あ り ま し た。 こ の 辺 り の 作 業 を や っ て い て 思 っ た の は、 北 沢先生は田村さんの影響が大きいのでは な い か と 思 い ま す。 役 所 で は 少 し し か か ぶ っ て い な い け れ ど も、 イ ン タ ビ ュ ー を通して北沢先生が入庁する以前のこと についても理解を深めていったと思いま す。  大学に来て色々考えることが変わった と 思 い ま す。 役 所 は 部 署 が あ っ て す べ き 業務や予算が決まっています。その中で も都市デザイン室は新しいことをやって い る 部 署 で は あ っ た が、 そ う し た 環 境 か ら 大 学 に 来 た 途 端、 制 約 条 件 が ま っ た く 無くなったという点が大きいと思いま す。 東 大 に 来 て か ら は 旧 大 野 村 、 喜 多 方 な ど、 そ れ ま で の フ ィ ー ル ド だ っ た 大 都 市とは違う文脈で仕事をするようになっ て い き ま し た し。 あ と 、 北 沢 先 生 は 人 の 話 を よ く 聞 い て い て、 そ れ を い ろ い ろ な カ タ チ で 取 り 入 れ て い ま し た。 都 市 計 画 学 会 の 50 周 年 の 時、 北 沢 先 生 が 中 心 となっていろいろ話を聞きにいく企画が あったが、その時なんかもいろいろな人 の話を聞いて自分の考え方をブラッシュ アップしていく人でした。 北 沢 先 生 自 身 は、 そ こ で 食 え る の か ど う か、 そ こ が プ ロの受け皿になるかどうか を考えていた ー横浜市大が現在やられているアーバン デ ザ イ ン セ ン タ ー 並 木 (UDC N) に つ い て、 北 沢 先 生 の ア ー バ ン デ ザ イ ン 構 想 が 活 か さ れ て い る 部分が大きいのか。  特にアーバンデザインセンターに拘っ て い る わ け で は な い で す。UDCK に つ いて言えば東大だからできる組織の強さ があるけれども、財政的、人材的に恵ま れ な い 場 合 は、 違 っ た 作 戦 が 必 要 に な る。市大で言えば医学部があり、それと の 協 働 が 必 要 だ っ た り し ま す 。 UDCN は別のゼミが主体的に動いており、自分 のところのゼミとは分けて活動してい る 。 U D CK に は 常勤の職員がいて、それ が継続して張り付いていられるのは強み だと思います。北沢先生自身は、そこで 食 え る の か ど う か、 そ こ が プ ロ の 受 け 皿 になるかどうかを考えていたと思います し、 プ ロ フ ェ ッ シ ョ ナ ル な ア ー バ ン デ ザ イナーが継続的に関わっていく、そうい う仕組みを模索していたのではないかと 思います。 単純に 時 代 の 先 が 読 め て い た だ け で は な く、 今 時 の 言い方をすればイノベー ターだ っ た ーインタビュー自体はそれで終わってし まった?   北 沢 先 生 が 亡 く な ら れ た 後、 横 浜 の 都 市デザインに関わった人たちに手伝って も ら っ て、 イ ン タ ビ ュ ー 集 を ま と め ま し た 。 残 念 な が ら、 北 沢 先 生 に 話 し て い た だ く こ と は で き ま せ ん で し た が 、 80 年 代から始まる歴史を活かしたまちづくり なんかは北沢先生が中心に立ち上げたプ ロ ジ ェ ク ト で す。 そ の 周 辺 に い た 人 へ の イ ン タ ビ ュ ー を 通 し て み る と、 先 生 の 理 念 に 共 感 し た 人 た ち が、 集 ま っ て き て、 ひとつの大きなうねりになっていったこ と が わ か り ま す。 単 純 に 時 代 の 先 が 読 め て い た だ け で は な く、 今 時 の 言 い 方 を す ればイノ ベ ー タ ー だ っ た と 思 い ま す 。 ー 行 政 か ら 大 学 に 移 り、 北 沢 先 生 に 何 か 大きな変 化 は あ っ た の か 。 ー市大のまちづくりコースについて、ど のように構想されたのか?  横浜市立大学には建築学科もないです し、 デ ザ イ ン 教 育 の 基 盤 も な い で す 。 ま た、 人 口 減 少 時 代 に つ く る ト レ ー ニ ン グ を 積 ん で も し ょ う が な い。 今 や そ ん な に 工学的なハードを作る人材ニーズがある と も 思 え な い で す。 一 方、 ま ち づ く り の ソフトの部分を考えられる人材ニーズは あ る と 思 い ま す。 文 系 な の で 役 所 に 行 っ た ら 事 務 職 に な り ま す が、 ま ち づ く り の ことがわかっている事務職が大切だと思 い ま す。 工 学 部 で は 不 動 産 の マ ネ ジ メ ン トや福祉のことを学ぶ機会は無いです が、 文 系 で は、 資 格 に 関 係 な い の で 、 そ ういった教育を行うことができます。市 大 に は 地 方 公 務 員 に な っ た り、 田 舎 に 戻って仕事をする学生が多いので、そう 6

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いう人たちに役に立つ教育をしようとい う 意図 が あ り ま す 。 ー 現 在、 学 生 を 育 て る 立 場 と し て 、 学 生 に どう い う こ と を 求 めているか。   何 で も い い の で、 実 践 を す る と い う こ とをやって欲しいです。学部のレベルで も、少しでもいいから現場を見るような ことをして欲しいです。社会の方が求め て い る 人 材 は、 講 義 室 に い て 本 ば か り 読 んでいるような人ではないので、社会に 出て接点を持って何かを感じることので き る人 を 育 て た い で す。 ー今後の横浜の都市デザイン・まちづく り につ い て 。  北沢先生みたいな求心力がある人がい る か ら 物 事 が 動 く と 考 え ら れ が ち だ が、 役所にもいろいろな人がいるし、横浜の 場 合 は 民 間 プ ラ ン ナ ー の レ ベ ル が 高 く、 地域のことを熟知している専門家が多 い。北沢先生も元を辿ると田村スクール とも言うべき人たちのネットワークの中 で仕事をしていたと思います。次は北沢 先 生 や 国 吉 先 生( 元 横 浜 市 都 市 デ ザ イ ン 室 長、 現 横 浜 市 立 大 学 特 別 契 約 教 授 ) に 影 響 を う け た 世 代 が、 い ろ い ろ な モ ノ を 動かしていくようになると思います。あ と民間プランナーの話ですが、彼らは影 の 功 労 者。 縁 の 下 の 力 持 ち と し て 支 え て い ま す。 一 方 で 彼 ら の 高 齢 化 が 始 ま っ て き て い て、 世 代 交 代 が 始 ま っ た と き に ど う なる の か が 課 題 で す。 ー今後の都市デザインに求められる役割 に つい て 。  人口が減っていく時代に都市をつくる ことばっかりやっていてはいけないと思 い ま す。 都 市 計 画 の 存 在 価 値 が 問 わ れ て い て、 一 部 に は 不 要 論 な ん て も の も あ る。そうした中では、都市のマネジメン トを考えなくてはいけないのではないか と思います。北沢先生も 2002 年に「都 市のデザインマネジメントーアメリカの 都市を再編する新しい公共体」という本 を 出 さ れ て お り、 都 市 デ ザ イ ン で は な く てマネジメントが重要だという話をして い る。 作 ら な い 時 代 の 都 市 デ ザ イ ン を 考 え な く て は い け な い。 パ ソ コ ン で 言 う と 、 OS を 書 き 換 え る 作 業 と で も 言 え る で しょ う 。 その時代に必要とされる都 市の有り様を考えなければ な ら な い。 空 間 の デ ザ イ ン か ら 離 れ て し ま う け ど、 生 活の質やソフトを考えるこ とが必要 ー マ ネ ジ メ ン ト と い う 意 味 で は、 ど う いったテー マ が 具 体 的 に あ る か 。   例 え ば 福 祉 と の 関 係 。 横 浜 だ と 2025 年 問 題 と い う の が 大 き な 課 題 で、 団 塊 の 世 代 が 後 期 高 齢 者 に な る 2025 年 に 65 歳 以 上 が 100 万 人、75 歳 以 上 が 60 万 人 と い う 時 代 に な る。 そ の 時 代 に 必 要 と される都市の有り様を考えなければなら ない。空間のデザインから離れてしまう けど、生活の質やソフトを考える必要が あると思い ま す 。 そういうことが大学に求められている?     東工大の真野さんが対談した時おっ し ゃ ら れ て い た の で す が、 立 場 は 変 わ る がカタチを変えて関わっていくというや り 方 が あ る 。地 域 に ど う 介 入 し てい く か 、 東 大 だ か ら あ り 得 る ス タ ン ス、 市 大 だ か らできるスタンスがそれぞれあると思い ます。 ー次の人を紹介していただきたい。 工学院大学の遠藤新さんはどうでしょう か。 ア メ リ カ の 都 市 デ ザ イ ン マ ネ ジ メ ン トなどは遠藤先生とかなり関わりが深い で す し、 北 沢 先 生 と 一 緒 に サ ン フ ラ ン シ ス コ に も 行 っ て い た。 東 北 の プ ロ ジ ェ ク ト も 実 質 的 に や っ た の が 遠 藤 さ ん で す。 北沢先生との直接的な関わりも遠藤さん はかなり長かったと思います。 * ー 福 祉 の 話 と い う と、 現 在 並 木 で 健 康 ま ちづくりをテーマにしたまちづくりに取 り組まれて い る が 。  並木は北沢先生が市役所に入って最初 に や っ た 仕 事 で す。 当 時 は ア ー バ ン デ ザ イ ン の 傑 作 と 言 わ れ て い た が、 現 在 は あ ま り 人 気 が な い の が 現 状 で す。 金 沢 シ ー サイドタウンは新耐震以降の建物という こ と も あ り、 ハ ー ド は い じ れ な い。 そ う なると使い方を変えていくしかないので す。ハードな空間を変えれば良いという 問 題 じ ゃ な い。 ハ ー ド を 変 え て 提 案 で き れ ば ハ ッ ピ ー で す が。 大 都 市 が 抱 え て い る 状 況 は そ こ。 空 間 を つ く る こ と あ り き の都市デザ イ ン は 厳 し い と 思 い ま す 。 ー ソ フ ト な 話 の 場 合、 ず っ と そ こ と 付 き 合 っ て い く こ と が 重 要 に な っ て く る が、   鈴 木 先 生、 お 忙 し い と こ ろ 貴 重 な は お 話 を 聞 か せ て い た だ き、 誠 に あ り が と う ございました。   ま た 今 回、 鈴 木 先 生 が 手 が け て い る 黄 金 町 と UD CN を 案 内 し て く だ さ っ た 、 横 浜 市 大 の 中 西 正 彦 先 生、 鈴 木 ゼ ミ の 大 滝 さ ん、 島 原 さ ん 、 砂 川 さ ん に も お 礼 申 し上げます。  第 2 回は、鈴木先生にご紹介いただい た工学院大学の遠藤新先生に話を伺いま す。次回もどうぞご期待ください。■   ▲鈴木先生から研究室に本を寄贈していただきました ! 7

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黒瀬助教インタビュー −ブラウンフィールド研究の軌跡を紐解く− Interview of Assistant Prof. Kurose, Tracing Back to The Research of Brownfield  2014 年の日本都市計画学会の年間優 秀論文賞に選ばれたことに始まり、今年 2 月には博士論文審査を無事通過された 黒瀬助教。  黒瀬助教の研究の概要をごく簡単に述 べると、工業跡地など、土壌汚染の存在 や存在の可能性によって、再利用が困難 と な っ て い る 土 地 ( ブラウンフィールド ) の再生の実態を米国を事例に整理し、米 国では都市計画・経済開発と、環境行政 が連携して取り組まれるようになったこ と を 明 ら か に し て い ま す。 自 治 体 の 戦 略は明文化されていないものもあり、論 文 化 す る の が 難 し い な か で、2006 年、 2012 年 の 2 度 に 渡 っ て ヒ ア リ ン グ や 現 地調査を行いながら、自治体の取り組み の戦略性を明らかにし、日本のブラウン フィールド地域の再生に寄与している点 が 評 価 さ れ て、 年 間 優 秀 論 文 賞 に 選 ば れ ました。   今 回 の イ ン タ ビ ュ ー で は、 ブ ラ ウ ン フィールド研究のきっかけに始まり、日 本の都市計画や都市工学科のあり方にま で 話 は 広 が り ま した。   ( 編 集 : M 1 富田 ) 8 * −ブラウンフィールドの研究をしようと 思ったきっかけについて教えてくださ い。  僕が修士の時に北沢先生が横浜市の参 与 を や ら れ て い て、 東 大 の C OE の 一 環 で横浜市内の京浜臨海部再生のプロジェ ク ト が 始 ま っ た。 範 囲 と し て は 横 浜 の 西 区 か ら 川 崎 と の 境 界 ま で か な。 こ の 時 に 初 め て、 工 業 地 帯 の 再 生・ 工 場 跡 地 を 真 剣 に 考 え る 機 会 を 得 た。 そ れ と こ の プ ロ ジ ェ ク ト の 一 環 で、M2 の 夏 に 北 欧 と ド イツへヨーロッパの工場跡地の再生の調 査にも行かせてもらった ( その成果の一 部は S S D 100 に 掲 載 )。元 々 国 や 大 き な 機関が地方自治体をサポートする時にど う い う 方 法 が あ る の か に 興 味 が あ っ た。 M1 の 時 に、 岡 部 明 子 先 生 の「 サ ス テ イ ナ ブ ル シ テ ィ ー EU の 地 域・ 環 境 戦 略 」 を 読 ん で、E U が 構 造 基 金 で バ ス ク 地 方 のような国境地域や炭坑など工業が衰退 地域を支援していることに興味を持って い て た。 そ う い う こ と も あ っ て、M2 の 夏まではアメリカというよりもヨーロッ パ の 方 に 関 心 が あ っ た と 思 う。 国 の 補 助 金頼みは問題だと国内では言われていた け れ ど、 本 当 に 厳 し い 状 況 に 置 か れ た 地 域 に は、 も う 一 度 自 立 す る た め の 支 援 も 必 要 だ と 思 う。 国 や 連 邦 政 府 と い っ た 大 きな機関が地方自治体をサポートする時 に ど う い う 方 法 が あ る の か、 考 え た い と 思っていた。 −ヨーロッパからアメリカに関心がう つ っ て い っ た の は な ぜ で す か?  M2 の 夏 の 調 査 で 訪 れ た ス ト ッ ク ホ ル ム や ハ ン ブ ル グ な ど、 ヨ ー ロ ッ パ の ブ ラ ウンフィールド再生事例はすごくきれい でアーバンデザインとしても優れてい た。 で も 話 を 聞 い て み る と、 自 治 体 や 開 発公社の権限が強くて民間事業者を細か くコントロールできるから実現できたこ と だ と 分 か っ た。 自 治 体 や 開 発 公 社 が ほ とんどの土地を一旦買い上げて、土壌汚 染も浄化して道路など基盤整備して民間 に定期借地したり売却したりするという や り 方 。出 来 た あ と の 形 は 格 好 良 い け ど 、 これは日本ではできないと思った。自治 体 の 力 も 強 く な い し。 そ れ で ア メ リ カ の こ と を 調 べ 始 め た 。 ア メ リ カ は 2 0 00 年

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頃に法制度の整備も進み、補助金も拡充 されてブラウンフィールド業界も盛り上 が っ て い た 。M 2 の 秋 に マ サ チ ュ ー セ ッ ツ州の再生事例を調査したが、工場の建 物を住宅に再生したり、工業用の運河沿 いに遊歩道を設けたり、小さな中学校を 作ったりという非常に地味なプロジェク トだった。でももちろん、ヨーロッパの 事例と都市の規模も違うのだが、中小の 工業都市が生き残りをかけて努力してい る様子が伝わってきた。廃墟のような工 場跡地を再生するために、連邦・州と自 治体が泥臭く協力している様子を見聞き し、その仕組みが面白いなと思った。今 思えば、北沢先生の「都市のデザインマ ネ ジ メ ン ト 」 の 内 容 に も 影 響 を 受 け て、 多主体が協力して進める都市デザインに 興味を持っていたのだが、なかでも環境 行 政 の 担 当 者 が、 地 域 の 再 生 を 熱 く 語 る 姿 が印 象 に 残 っ た 。 −インターンでモンゴルへ行くことに な っ た の で、 モ ン ゴ ル に つ い て 研 究 し よ うと思っていますが、海外の事例を研究 対象とすることについてどう考えていま す か? ( 砂 塚 )  やりがいはあると思うが、苦労も多い と 思 う。 例 え ば 、 ア メ リ カ と 日 本 で は、 人々の土地に対する考え方や人口密度が 全然違う。そもそもの前提条件が違うの に、その研究は日本や他の地域で応用可 能 な の か と 常 に 問 わ れ る 。 仮 に、 モ ン ゴ ルが、日本のような廃棄物処理技術の水 準 に 至 っ て な い だ け で、 日 本 の 技 術 を 導 入 す れ ば 解 決 す る の だ と す れ ば、 研 究 に す る の は 難 し い 気 が す る。 で も 恐 ら く 技 術 導 入 だ け で は 解 決 し な く て、 そ の 地 域 の 住 民 の 価 値 観 や、 地 形 な ど、 色 々 な 要 因 を 前 提 に 議 論 し な い と い け な い。 そ の 地 域 の 人 間 で は な い か ら こ そ、 見 え る こ と も あ る と 思 う。 難 し い け れ ど、 外 国 人 が研究することで見える視点もあるので はないか。 −米国について日本人が研究することで、 どういう視点が与えられるのでしょう か?  制度の違いの背景にある物事の考え方 の違いが見えやすくなるのかもしれな い 。 外 国 か ら 見 る こ と で、 対 象 と す る 事 象を相対化しやすいことも利点かもしれ な い。 日 本 だ と 再 開 発 促 進 区 の よ う に 、 民 間 の 工 場 跡 地 の 再 開 発 に あ わ せ て、 基 盤整備を民間資金を活用して進める方法 が 制 度 化 さ れ て い る が、 ア メ リ カ で は プ ロジェクトごとに様々な省庁の補助金を 組 み 合 わ せ て、 事 業 化 し て い た 。 環 境 法 が 厳 し か っ た 分、 環 境 規 制 と 都 市 計 画 の 関 係 は、 ア メ リ カ の 方 が 進 ん で い る が、 工場跡地再生の都市計画からのアプロー チ と い う 面 で は、 日 本 に も 優 れ た 事 業 制 度 が あ る よ う に 感 じ た。 産 業 が 転 出 し た あ と、 地 域 再 生 を 前 面 に 押 し 出 す 欧 州 の や り 方 と、 環 境 保 護 と 都 市 計 画 の 調 整 を 進めてきたアメリカの方法は随分違うと 思 っ て い た が 、ア メ リ カ の 近 年 の 取 組 は 、 地 域 全 体 の 再 生 を 強 く 意 識 し て いる 。 − 海 外 よ り も む し ろ 国 内 の、 例 え ば 伝 統 的な集落や街に関心は持たなかったので すか?  プロジェクトで喜多方や大野村に参加 し て い て、 日 本 の 伝 統 的 な ま ち に 興 味 が な か っ た わ け で は な い 。 た だ、 所 謂 文 化 財 の よ う に、 多 く の 人 が 大 切 だ と 考 え て い る 場 所 で は な く、 あ ま り 関 心 を 持 た れ て い な い 場 所 に 興 味 が あ っ た。 ブ ラ ウ ン フ ィ ー ル ド は ま さ に そ う。 日 本 よ り も 海 外の方が環境リスクと明示的に向き合う 状 況 に あ っ た の で 海 外 に 関 心 を 持っ た 。   今 か ら 思 い 返 す と、 自 分 の 出 身 が 熊 本 ▲ NY 州 Buffalo 市の Union Ship Canal(1910 年頃の稼働時 : 左 , Buffalo 市所蔵 ) と公園として再生した様子 (2014 年 : 右 ) ▲マサチューセッツ州 Lowell 市の JAM 地区の再生事例 ( 廃墟化していた繊維工場 2005 年 : 左 ) とロフト型住宅として再生した様子 (2014 年 : 右 ) 9

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県の八代市という工業都市であることも 影響しているのかもしれない。駅の裏側 に大きな製紙工場があって、思い描くま ちの風景のどこかには煙突があるような ま ち だ っ た。 小 学 校 6 年 生 ま で こ の ま ち で過ごした。あと、喜多方プロジェクト では、郡山や会津若松を通って、喜多方 に 行 く の だ け れ ど、 ど の 駅 の 裏 側 に も の 工 場 が あ っ た 。 だから、 自分にとっては、 都市と工場は切り離して考えられないも の だ っ た し、 海 外 の 事 例 を 見 て い て も、 常に日本の中小都市が頭にあった。工場 は 市 場 原 理 で 建 設され、稼働する。  規模が大きいことが有利であれば、ど んどん大きくなって、それとともに街が 大きくなっていく。でも、この街ではダ メ だ と な れ ば、 簡 単 に 移 転 し て し ま う。 工場がなくなった時に土壌汚染の問題だ けでなく、 そ の 街は、 どうやって生き残っ て い け る か、 そ う い う 状 況 で 街 を ど う や っ て 再 生 す る かに関心あった。 −その後、博士研究においてどのような 困 難 が あ っ て、 ど う 乗 り 越 え て き た か に つ い て 教 え て く ださい。   正 直 に 言 っ て、 な に か テ ー マ を 決 め て 書き出すのは結構勇気がいることだっ た。 ブ ラ ウ ン フ ィ ー ル ド 再 生 の 現 地 調 査 に は 2011 年 頃 か ら 行 っ て い る が、 テ ー マがしっかり決まっていたわけではな かった。研究では、三都市しか取り上げ なかったが、 実 は 2 0 都市以上調査に行っ た。 最 初 の 2、3 年 は 何 を 研 究 し た い の か ぼ ん や り し て い て、 ひ た す ら 事 例 を 追 っ て い た。 題 材 は ブ ラ ウ ン フ ィ ー ル ド で あ っ た が、 大 き な 枠 組 み と し て は 東 日 本大震災や考古学遺跡と向き合ったルン ビニプロジェクトを通して土地リスクと い う 新 し い 概 念 に た ど り 着 け た と 思 う。 本格的に書き出したのは 2013 年の終わ り頃かな。  修士論文の時はブラウンフィールドだ けの研究でよかった。ブラウンフィール ドの再生の経緯を多少抽象化はするもの の、ありのまま述べていった。だけど博 論になると1章分にしかならない。とて も く だ け た 言 い 方 を す る と、 マ ン ゴ ー ジュースとヨーグルトを混ぜたら美味し いという発見が修論だとすると、少なく と も、 乳 製 品 と 果 物 の 相 性 を 論 じ る こ と が 求 め ら れ る( 笑 ) 。いちごと練乳もい ける、チーズと干しぶどうも合う、でも パ イ ナ ッ プ ル と 牛乳は・・。 10   今 回 の 論 文 で は、 土 地 リ ス ク と い う 概 念 を 新 た に 導 入 し た。 土 地 に は 土 壌 汚 染 以 外 に も 自 然 由 来、 人 為 由 来 の 様 々 な リ ス ク が あ る。 不 安 要 素 が 全 く な い 土 地 な ん て な く て、 な ん ら か の リ ス ク と つ き 合 い な が ら や っ て い か な け れ ば い け な い。 そういうリスクを都市計画も取り扱わな け れ ば な ら な い。 米 国 の ブ ラ ウ ン フ ィ ー ル ド 再 生 で 用 い ら れ た 手 法 を、 都 市 計 画 が土地リスクの概念をどのように吸収し ていったのかというプロセスとして捉え て 、 論 を 進 め た。 土 壌 汚 染 や ブ ラ ウ ン フ ィ ー ル ド だ け で は 適 用 範 囲 が 狭 い。 ブ ラウンフィールド再生で得られた知見 は、土地リスクへの都市計画の対応とい う 意 味 で は ど う い う こ と な の か。 修 論 の よ う な 固 ま り が い く つ か あ っ て、 そ れ ら を抽象化してまとめることで議論を広げ ていくこ と が 求 め ら れ る 。   他 に 大 変 だ っ た の は、 助 教 の 仕 事 を し な が ら 研 究 を 進 め た こ と だ っ た。 平 日 は 時間が細切れになるので作業はできる が、 じ っ く り と 考 え る こ と は で き な い 。 そういう意味でじっくり考えることがで きる土日 は 貴 重 だ っ た 。 −米国のブラウンフィールド研究の日本 への応用 に つ い て ど う お 考 え で す か ?   実 は、 日 建 設 計 で 働 い て い た 時 に、 日 本のブラウンフィールドの調査の仕事も 希 望 し て や ら せ て も ら っ て い た。 こ れ ま で 、 日 本 で は、 土 壌 汚 染 は 顕 在 化 さ せ る と 地 価 が 下 が る し、 ま た 責 任 の 追 求 も 難 し い こ と か ら、 土 壌 汚 染 の 浄 化 に 含 め て 実 施 し 穏 便 に 済 ま せ て い た。 米 国 で は、 州法に基づいて汚染が出たら軽微なもの も 含 め て、 環 境 当 局 へ 報 告 さ れ 公 開 さ れ る 。 結 果 と し て、 工 業 都 市 で は 市 街 地 に 土 壌 汚 染 が あ る こ と も、 市 民 に 受 け 入 れ ら れ て お り、 土 地 利 用 規 制 を 併 用 す る と 土壌汚染対策も認められている。どちら がよいかはっきりとは言えないが、土壌 汚染の情報があまり公になっていないこ とは長い目で見るとリスクなのではない かと思う。土壌汚染がある = 危ないと思 わ れ が ち だ が、 ど う い う 場 所 に ど う い う リスクがあるかを知っている方が、土壌 汚染がないと思っていたのに実はそこか しこにあるという状況よりも安心なので はないか。  また、日本は土壌汚染のリスクを 0 か 1 かで判断している状況がいまだにあ る。 定 量 的 と か 段 階 的 に 考 え る と い う の が 国 民 レ ベ ル で 受 け 入 れ ら れ て い な い。 そういう考え方を受け入れていくことが で き る か ど う か。 身 近 に 汚 染 が あ る こ と が 分 か る と、 そ こ で ど う 自 分 が 生 活 す る か を 考 え る。 あ る 程 度 の 量 の 土 壌 汚 染 が あるという認識があった上で、どう安全 に 暮 ら し て い く か、 そ れ を 反 映 し た 計 画 が 大 事 だ と 思 う。 土 地 リ ス ク に 対 す る 考 え 方 は、 今 後 変 わ っ て い く と 思 う し 、 変 わっていくべきだと思う。  すぐに研究を日本に応用するというよ り は、 ま ず は そ の 土 地 に ど う い う リ ス ク あるのかを共有していく必要があると考 えている。最近は洪水のリスクや地震の リスクといった土地に関するリスクマッ プ は 公 開 さ れ、 そ の 土 地 が ど う い う リ ス クを持っているのかをみんなで認識しあ う、 そ う い う 状 況 が だ い ぶ で き て い る の で は。 そ う し て、 土 地 に 対 す る リ ス ク が 広 く 受 け 入 れ ら れ る よ う に な っ た 時 に、 土壌汚染のリスクに対する理解も広がっ て 欲 し い と 思 っ て い る。 土 地 リ ス ク と、 開 発 し た い、 緑 地 が 欲 し い な ど の 社 会 的 な ニ ー ズ を 調 整 す る の は、 や っ ぱ り 都 市 計画の分野が得意とすることではないか ▲出身地、八代の街並みについて懐かしげに話す黒瀬助教

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と 思う 。   当 初 は、 都 市 計 画 と 環 境 行 政 が ど う 連 携してきたかという視点で論文を書いて き た。 で も 、 環 境 の ニ ー ズ も 社 会 の ニ ー ズも取り込むのが都市計画の仕事。最近 の 都 市 計 画 が、 狭 い 意 味 の 都 市 計 画 や 開 発事業のためのものになっているのでは ないかという危機感がある。都市計画基 礎 調 査 に、 土 地 リ ス ク を 把 握 す る よ う な 調査も組み込まれているのだが、実際は 形 骸 化 し て い る。 ブ ラ ウ ン フ ィ ー ル ド や 土壌汚染だけというより、土地に関する リ ス ク に 枠 を 広 げ て、 そ れ を 都 市 計 画 に どう包含できるか、そういうことを、こ れ から や れ る と よ い なと思う。 割 だ と 思 う。 都 市 計 画 事 業 を 論 理 付 け す る た め の 都 市 計 画 か ら 脱 却 し、 そ も そ も 都 市 計 画 が 持 っ て い る、 総 合 性 み た い な ものをもう一回再確認しなければいけな い と 思 う。 例 え ば 、 立 地 適 正 化 計 画 は 、 環境もその 1 つだが、は福祉的なニーズ や社会的なサービスとその圏域を空間計 画と統合で き る か が 問 わ れ て い る 。   都 市 工 学 科 に つ い て 言 え ば、 計 画 コ ー スと環境コースの演習を一緒にやりた い。 演 習 は 都 市 計 画 の 中 で も、 交 通、 土 地利用、都市デザイン、緑地計画など色 んな分野の論理をある場所に落とし込ん だときにどういう方向性を出すかという 訓 練 だ と 思 っ て い る。 そ の 中 に は 当 然、 水 や 資 源、 特 に 廃 棄 物 も 入 る だ ろ う し 、 都市環境全体のことを考えないといけな い 。 河 川 沿 い に 遊 歩 道 を つ く っ て も、 環 境 の こ と を 考 慮 し な け れ ば、 水 が く さ い ままという当たり前のことが起きてしま う。都市計画という井戸の中では全然足 りないことがたくさんあるという当たり 前の認識が 大 切 だ と 自 戒 も 込 め て 思 う 。  だから博士論文を環境系の先生にも査 読 し て い た だ き た い と 思 い、 森 口 先 生 に 副 査 を お 願 い し た。 森 口 先 生 は、 一 時 期 環 境 省 に も 在 籍 し て い ら し て、 僕 は、 ア メリカの環境保護庁がどう都市に対する 目線を変えたかをテーマにしていたの で、日本の環境行政に詳しい人に意見を い た だ き た い と 思 っ て い た 。 実 際 に、 環 境 保 護 に 限 ら ず、 な ぜ 国 と 自 治 体 で 政 策 がうまくい っ た の か 、い か な か っ た の か 、 と い う リ ア ル な 意 見 を 頂 け た。 計 画 系 の 論文を環境系の先生に審査頂いた事自体 が 珍 し い と 聞 い て た の で、 こ れ か ら も っ と増えるといいなと思っている。   *  今回インタビューさせていただくにあ たって、黒瀬先生のブラウンフィールド 研究に関する論文を整理するだけでも大 変で、先生がこれまで1つ1つ積み上げ てきたブラウンフィールド研究の重みを 感じるとともに、米国のブラウンフィー ルド政策の変遷および、具体的な取り組 みの事例を知る、よいきっかけとなりま した。  インタビューで特に印象に残ったの は、都市工学科について言及されていた ことです。私が学部時代に在籍してい た 機 械 工 学 科 は 、 ハ ー ド (4 力 学 ) か ら 、 ソフト ( プログラミング ) までまんべん なく学ぶので、機械情報工学科との垣根 は低いと思います。そう考えると、計画 系と環境系の壁はまだまだ高く、もっと お互いが何を学んでいるのかを把握すべ きなのではないでしょうか。黒瀬先生に は是非、計画コースと環境コースが一緒 になって、都市の問題解決に取り組むよ うな演習を今後実現させていただきたい と思っています !  お忙しいところ貴重なお話を聞かせて いただき、ありがとうございました ! ■ 都市計画という井戸の中で は全然足りないことがたく さんあるという当たり前の 認識が大切 −都市工学の中に計画の他に環境という 分 野 が あ っ て、 ど う 協 力 あ る い は 住 み 分 け てい く べ き で し ょ うか?  論文では環境行政と都市計画の連携を 取り上げたが、都市計画は、環境とだけ 連携していればいいわけじゃない。福祉 や様々な産業などそれぞれの分野で、比 べられない要素、優先順位、論理が各分 野に独立してあると思うが、そういう全 然 違 う 要 素 、 優 先 順 位、 論 理 を、 特 定 の 空 間 に 落 と し 込 ん で、 各 分 野 の 考 え 方 を 整理して統合していくのが都市計画の役 6 月のウェブ記事 産業跡地に思いを馳せる 2 0 1 4 年 度 報 告 書 つ い に 完 成 !& 新 年 度 ス タ ー ト へ 浦安オムニバス演習、中間ジュリーを終えました ! オムニバス演習神田編 ! 学部 4 年生歓迎会開催 ! 三国祭調査 その 2 是非ご覧下さい:http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/ja/blog/ 7 月の予定 7/2 研究室会議 7/22,23,24 卒業研究中間発表 7 / 2 3 暑 気 払 い (B B Q) 編集後記 高橋 舜  今月のインタビューでは、鈴木先生にお会いするにあたって約1年ぶりに 母校を訪れました。先月の倉澤さん特集に登場した国吉先生など、学部のと れます。今月から北沢先生特集が始まりました。この特集を通してこれから どのような出会いがあるのか、今から非常に楽しみです。2015 年も既に半 出会いを大切にして過ごしていきたいと思います。 きにお世話になった方にお会いすると、改めて人間関係の大切さに気づかさ 年が過ぎようとしており、時の早さを実感せずにはいられませんが、日々の ▲これまで積み上げてきた BF 研究 11

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