UrbanDesignLab Magazine #229

 

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UrbanDesignLab Magazine #229

Popular Pages


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S o m e t h i n g t o b e t a k e n o v e r

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 山や水に恵まれている松本はまさに「山水の郷」です。自然豊 かな環境の中で、人が集まり、技が生まれ、物ができるというご く普通の過程を経て、さらに何百年の時の試練を越え、 「粋」と なるものが誕生します。今、松本の工芸はまさに「粋」そのもの です。やがて、その工芸は松本のアイデンティティーとして世に 知らされ、まちという大きな環境の中に再び戻り、そこに暮らす 人々に潤いを齎します。それを失わないためにも、これから私た ち先人から何を受け継いでいくべきなのか、それをどうやって活 かしていくのか、真剣に考えることが必要かもしれません。 2

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受け継がれるべきもの あの先輩はいま、第二弾 今 回 の 特 集 は マ ガ ジ ン 二 〇 十 四 年 石 徹 白 号 に 続 き、 研 究 室 先 輩 特 集 の 第 二 弾 で す。 対 象 は 長 野 県 松 本 市 に 住 み、 「 都 市 計 画 家 」 と し て 活 動 し て い る 倉 澤 聡 さ ん で す。 倉 澤さんが関わっている松本のこと、そこで実施している工芸を中心としたイベント のこと、そして、倉澤さんの都市計画家という職能への熱い思いや考え方など、イ ンタビューと松本まちあるきを通して、迫っていきたいと思います。 松本を歩いていると、随所にみられる湧き水ですが、湧き口に工芸のまち・松本な ら で は の 情 趣 が あ っ て、 工 芸 品 の 壺 が 取 り 付 け ら れ て い ま す 。 江 戸 時 代 で は 、 松 本 は日本中から集められた名匠たちがたくさん居住する城下町として栄えました。そ の時代から、地域と工芸の深い繋がりがすでに芽吹き、今や空高くそびえる大樹と なって松本を支えていると実感しました。 松本を育んできたアルプスの山々とそれによってもたらされた豊富な地下水資源が 松本の顔となり、そこに住む数多くの名匠によって生み出された工芸品と倉澤さん のような故郷に強い愛着を持つ人々が松本に魂を宿しました。その地の環境とその 環境によって育てられた人々の精神と技、これらのものこそ、今の時代に生きる私 たちが受け継いでいくべきものだと私は思います。 3

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Stroll thorgh the MATSUMOTO 4

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The Works of Mr.Satoru Kurasawa  5/2、倉澤さんの案内のもと松本でまちあ るきをした後、工芸の五月の会場の一つでも ある池上邸蔵にて、倉澤さんにインタビュー しました。倉澤さんには、今の仕事やその意 義、進路選択に関して詳しくお話いただきま した。倉澤さんの松本や仕事に懸ける情熱に 圧倒されていると、瞬く間に時間は過ぎてい き、インタビューが終わった頃にはすっかり 日も沈んでいました。( 編集:M2 今川 ) * ーそれではさっそくですが、携わった仕事に ついて教えてください  まちづくりの構想を作ったり、学習の場を 設けたり、実際に街に仕掛けたりと、都市計 画や都市デザインを行うために必要な環境を 創っています。今は松本市の都市デザイン戦 略支援アドバイザーや都市政策の仕事、イベ ントでは工芸の五月全体の企画・交通対策・ 運営などをしています。他にも物産展の改革 や地域デザイン産品講座、都市計画や都市デ ザインの講師、ワークショップをしてたり、 一杯やっていて何だかよくわかんない(笑) ―いろいろやっていますが、職業は?  自分では都市デザイナーではなく都市計画 家と名乗っています。制度的な都市計画だけ じゃなくて、まちを意図して、まちに暮らす 人や働く人が主体的にいいまちを創ってい く、それが成り立つ環境を創ることが都市計 画だと思っています。その意味で、まちの人 がまちのことを考える土壌づくりがまず重要 だと捉えていて、地元の人々の中に入ってコ ミュニケーションをとりながら、将来を構想 し考える人たちを今まで増やしてきました。  NPO 法人松本クラフト推進協会の理事も やっています。クラフトやものづくりの環境 をどう良くしていけるか、使い手・受け手を どう結び付けるのかといったことを、松本と いう場を意識しながらクラフトフェアや工芸 の五月を通して行っています。  松本には、民芸運動があったし、クラフト フェアも30年以上続いているし、ギャラ リーもいっぱいある。でも、横の繋がりがあ まりなかったので、そこをつなげて松本のま ちの力に工芸を使っていこうと7年前から携 わっています。 ―工芸の五月とクラフトフェアの意義は? クラフトマンと使い手の二つのコミュニケー ションを作るという目的があって、ただ単に 賑やかになればいいとは思っていない。見た り買ったりするだけではなく、コミュニケー ションのきっかけになって、それがものづく りに反映されればいいなと。  クラフトフェアはクラフトマンが始めた ある種のお祭りだけど、工芸の五月はギャラ リーとか工芸のお店の思いを繋げるように、 横の繋がりを作って、工芸を通してまちを面 白くすることを意識して始まりました。  クラフトフェアの渋滞問題が深刻になっ て、以前は迷惑だからまちを出て行って空 港近くの公園でやれといわれていた。でも 7 年くらい前から松本市も少し変わってきて、 まちなかだからこそ泊まったりまちを楽しん でくれるので、そのためのインフラを考える べきだということで渋滞対策を一緒に考える ことになり、この危機をきっかけにマイナス 志向ではなく工芸のまちづくりにつなげるよ う、 松本市も一緒にやっていくことになった。 ―結果として行政は良いまちづくりを目指す ―松本市の方で都市デザイン室に近いものが 出来そうってききました  都市政策課の中に都市デザイン係が出来 た。松本都市デザイン学習会をつくって数年 間講座やまち歩きをして色々な人が関わりな がら、市に対して提案してきたことも一因と なって、都市デザインが大事だと思ってくれ る行政の人たちがまずはということででき た。景観係はあったけど、都市デザインは景 観だけでは語れないから、それとアクティビ ティをセットで考えていく。行政の中でもや る気がある人がいて、 「松本での都市デザイ ン」がなんとなくわかり始めた時期。これか ことに積極的になったということですか?  プラスの効果は非常にあった。ただ賑わい を作って人が来るようにするということだけ じゃなくてより本質的に都市やまちとは何 か問うようになった。工芸の五月がコミュニ ケーションのツールになって行政の中でも面 白い動きがちらほらでてきたり、まちの人た ちの意識も変わり始めたところがある。 6  クラフトフェアは、クラフトマン同士と、

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ら都市デザインの動きを着実に育てていきた い。 ―アートをまちづくりにどう活かせる?  僕はアートでも景観でも受け手の感性が大 事だと思っています。作り手側の質の向上、 アーティストの価値を生み出す能力も大事だ けど、キャッチボールしても良い受け手がい ないと、アーティストが刺激を得て創造する ことが難しくなってしまう。良い町並みを作 るときも同じで、良い受け手がいないとで きっこない。今は受け手の感性が弱いと感じ ていて、作る側だけじゃなくて受け取る側の 感性や価値観をどう育成していくかが都市デ ザインや都市計画にとってすごく大事だなと 思っています。そのためには投げかける方も やっぱりいいものを作らないと次を見てもら えない。それが都市デザイナーや都市計画の アートだと思っています。 ー学生時代はどんなことをしていましたか?  デザイン研にいるときは研究室のプロジェ クトはそんなにやってなくて、活動を外に見 出していきました。日本設計でバイトして 色々な調査を実践的に学ぶことでインターン みたいに勉強してました。そのうちに長野の コンサルの人に松本で街並み環境整備事業を やらないかと誘われて、地元にフィールドが 出来ました。馴染みがある所で、でも実際に 調査してみると色々なことが見えて来て、そ ういう中で学んだことが大きかった。僕自身 は都市工のプロジェクトにそれほど関わらな かったけど、横でみながらすごい刺激を受け ていました。 ーその後なぜパリに行かれたんですか?  高校の時にフランス人の親友がいたり、ク ラシック音楽や向こうの文化に興味があった のでパリで暮らしてみたかったし、色々な国 の人と出会いたかった。それに日本に比べて まちが魅力的だと感じていたし、都市計画を 勉強するうちに、フランスの都市計画がしっ かりしていると思ったことも大きな理由。 ―学生時代やパリ留学が、倉澤さんの今にど うつながっている?  デザイン演習はプランニングの基礎が学べ て凄い勉強になった。そこで初めて都市的な プロジェクトを仲間と考える経験をしたんだ けど、西村先生や日建設計の人から指導を受 けながら、紙の上や模型として表現していく 中で、街を見る目が変わったのだと思う。都 市のユーザー的な感覚から、都市を構想し創 る側の視点を持てたのが大きかった。都市 工や建築の授業はあまりとっていなかったけ ど、いろいろな分野に対して興味があって美 術史や仏文などの授業を受けてて、単位とし てはそっちの方が多いかもしれない ( 笑 )。  パリでは交通と持続可能な発展というパリ 土木学校やポリテクニックのマスタープログ ラムに入って、ロジスティクス、広域交通、 都市交通、自動車など交通に関する幅広いこ とを学びました。都市計画関連の授業はごく 一部だったけれど、様々な分野の教授や、行 政の責任者などが授業してくれて、授業の後 や市役所で話を聞いたりと、カリキュラムの 外で都市計画や都市デザインを学びました。  あとはまちの人がパリをどう楽しんでいて どう働いているかを直に感じたり、色々な国 の人と対話することで、自分の頭の中の世界 観や想像力に反映させていくことが大事だと 思いました。生きた都市というものをちゃん と読み解いたり構想したりする力を養うの に、 パリにいた時代はすごい役立っています。 ーその後なぜ松本へ?  東京を出てパリに一年半暮らして、本当は あと三年は居たかった。フランスの都市計画 エージェンシー、シンクタンクで勉強したく て。各地の都市圏にあるんだけど、結局イン ターンの空きがなくて帰ってきた。  じゃあなんで松本かっていうと、生まれ故 郷というのが一つかな。松本で生まれて松本 で育った。お世話になった人もいるし。今日 は山が見えたと思うんだけど、都市から見る 山が綺麗で、そういう都市があったらいいな と思っていた。マンションが建って山並みを 失ってみて初めて、意図して綺麗にデザイン するのって大事だなと思った。それが都市デ ザイン研に入った一つのきっかけだったし、 松本だったらそういうことができるんじゃな いかなと思った。 ここでパリでも東京でもない、松本っ ていう都市デザインが出来るんじゃ ないかなと思った。そこに暮らしている 人が誇りを持てる、他のまちの人も松本でな んかやってみたいよねっていう都市にできる んじゃないかな思って。 日本でやるなら松本だなと。 7

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―シンクタンクとかコンサルとか職能がある なかでなぜ確立していない分野に?  今は、都市デザインや都市計画を本質的に 考えて実践する人が日本にはすごく少ない。 それで色々と考えていた時に、コンサルの人 が松本のプランニングの仕事を投げてくれる ようになって、僕は毎回かなり時間かけてリ サーチしたり、行政の人と協議しながら、プ ランを立てていた。だけど、そんなに時間を かけるとコストが掛りすぎるし、プランニン グの価値を理解し、そこに見合うお金を出す 行政もほとんど無い。時間やコストの面で、 会社でできることって限られていて、コンサ ルではいい仕事が出来ないと思った。 「本当 は社会の役に立ちたいのに、いい仕事ができ ていないな」と経営層も現場のコンサルもも どかしい想いをもっていることも多い。  それでレールの上に乗るのではなく、 違 なって構想したりすると思うんだけど、簡単 に出来そうなことも、そこにいきつくまでの プロセスが実に難しいけど大事。ちょっとず つ仕掛けながら一歩一歩実績積んでいけるプ ロセスを自分でデザインできると結果的に社 会の人にも認められるビジネスや仕事になっ ていくと思っています。  松本市は去年、都市デザインアドバイザー として初めて予算つけてくれて、個人に委託 を出すというのは非常に珍しいことだと思う けど、幹部の人たちが都市デザインの可能性 を理解して相当頑張ってくれたのだと思う。 そういう事例が増えるほどみんなが活躍する 場が広がると思う。まだ今は都市デザインや 都市計画の職能自体が認められていないの で、これは僕が頑張んなきゃいけないことだ と思っています。学生が卒業して、活躍 し、商業者でもない。敷地を与えられ求めら れる機能や要素から形を作るためにお施主さ んとやりとりする人材ではなくて。建築家は 敷地の空間を価値あるものにする立場だけれ ど、都市デザイナーは面的にシナジーを生む ような良い相互作用を及ぼしてまちや都市を 価値あるものとすることを考える。そういう 意味で、建築家がモチベーションをもって取 り組める環境をどう作るか、それも都市デザ インじゃないかな。 ー発注する側の能力も問われている ?  まさにその通りで、例えば行政は、コンサ ルタントにいい仕事をしてもらう能力をいか に持てるかが問題。良いコンサルは、互いの 頭の中を掘り起こしながら、良い仕事をした がっている。ただ、そういうことを発注でき る人、マネージメントできる人がいないと良 い仕事はできない。これは行政の組織・意識 改革も必要だから、 一筋縄ではいかないけど、 そういった組織力を鍛えること自体、僕らの 仕事かもしれない。コンサルに仕事をしても らう目的(なんのため、なぜか)を深く意 識して、いい仕事に導くためにコンサルを うやり方を模索した方がいいんじゃ ないかと思って、市の委員会に参加して みたり、コンサルの仕事でも、力不足なこと も多いんだけどなんとか出来る範囲でいいも のを作ろうと本気で取り組んでいた。そうし ていると、いろんな人が見てくれて、工芸の 五月やクラフトフェアの渋滞問題の相談とか が飛び込むようになった。そんな風に自分で 仕掛けていくとチャンスが飛び込むように なって、それで実績を積んでいくと、こうい うことは大事だからと、お金を払って仕事に しようという流れになってくる。こんなこと を繰り返していくと、都市計画とか都市デザ インの分野で何をすべきかがちょっとずつ見 えてくるんじゃないかなと思って。  あと、みんなも魅力的なまちってこうだ できる、成長できる仕事を作るのは 大事な僕のミッションの一つです。 ―最初に都市デザイナーではなく都市計画家 というふうにいったのはなんでですか?  僕は大学で経営システム工学を専攻して、 数値解析やシステムダイナミクスを学んだの で、統計を扱ったり、データを見ながら中長 期を考えたりもするから、デザインもするけ どプランナーだと思っている。都市計画は中 長期的に都市を良くすることに軸足をおいて いて、そのための都市やまちを意識したアク ティビティづくりと空間形成は都市デザイ ンだと考えていて、互いに相補関係にあると 思っている。  僕たちは、都市デザインとか都市計画って いう職能を持つのであって、建築家ではない マネジメントできる能力が本当に大 事だと思う。  とはいえ、都市のプランニング経験を相当 積まないとそういう発注者になれない。行政 は3〜4年で異動するし、幅広い専門性を鍛 えたプロフェッショナル的な人も少ない。都 市デザインについても教育環境や素養を鍛え る機会がなかなかないので、分からない中で 頑張って勉強して仕事をしているのが実情。 これから根本的にキャリア形成や人材育成の 8

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方針を変えない限り、良いと思われる仕事が スタンダードに出来ない。今は行政がこれで はいけないと気付き始めている時期。  ー行政の組織を変えるにはボトムアップがい いか、枠組みの中で活動するのがいいのか。  両方必要。システム思考という言葉がある んだけど、構造やパターンを読み解きながら 因果関係やそのフィードバック関係を把握 し、システムとして捉える。システム思考で 考えると、システムの挙動を考えられるよう になる。そういう風に組織と組織の関係して いる外の環境をシステムとして考えてみれ ば、両方が必要だと思う。  行政の中だけで考えれば、国、住民に近い 市、町のような基礎自治体レベル,それぞれ にしかできないこともある。基礎自治体を見 れば、地域の人、民間企業との関係、議会と の関係、内部にも縦や横の関係がそれぞれに あって、それぞれの関係性や構造を読み解い て、やりたいことややるべきことに対して、 行政でも民間でも個人でもいいからシステム におけるリバレッジになり得ると感じたとこ ろで活動していけばいいと思う。  行政の仕事の質を高めるには、シンクタン クも大切だと思う。日本には、都市政策のた めに役に立つ継続的なリサーチをしたり、分 析や検証をしているところがほとんどない。 個人的に出来る限りはやっているが、それに は限界がある。都市政策には、様々な領域で 専門的なリサーチや分析、検証を継続的に やっていくことが必要で、そういうことがで きると都市を魅力的にするための制度や施策 について、行政や議会、市民の間でも健全な 議論ができるわけだけど,今の松本にはない 1. 二日目見学 - 松本城にて 2. 二日目見学 - 黒瀬助教とその家族 3. 二日目見学 - 水そばの会で国吉先生や水めぐり姫も交えて 4. 工芸の五月の一会場にて 1 2 4 3 9

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からまずはそのようなシンクタンクに必要な 役割を担える人を集めたい。今あるデータで さえ、活用されていないのが松本の現状だけ ど。  TMO というと失敗事例が多いけど、行政 が機能するためにも本質的にはまちづくりの マネジメントの会社は必要だし、本当の意味 でのコンサルティングができるところも必 要。足りないことが多すぎてどこから手をつ ければ良いのかということもあるけど、今の 地方都市にはどれも必要で、これらは着実に 作っていく必要があると思う。  シンクタンク機能を外に置くか中に置く かという問題もあるんだけど、行政がプロ フェッショナルを育てずに3, 4年で異動さ せることを基本とするなら外に作る必要があ るし、そうじゃなくて、専任として例えば5 年や10年契約で、そういう職能をもった人 を雇えるようにして、行政の中に作るという 考え方もある。フランスの行政には、例えば 都市政策や交通政策のスペシャリストがい て、任期付きで民間から入れることもある。  これから本当に地方として自立して政策を 作るということを大事に考えるとしたら、事 務屋、技術屋だけじゃダメで、行政の中にも 政策屋、計画屋と呼ばれるような人たちも絶 対必要で、松本でもそんな人たちを行政の中 でも育てるのが大事だと投げかけています。 ー官僚組織の縦割りに少し疑問があります。  たしかにそうだけど、 大きい組織になる程、 縦のラインがしっかりしてないと混乱してし まう。でも、意思決定は縦が大事だけど、意 思決定にのせるシナリオ作りや、プランを出 すとき、選択肢をつくるときは横のつながり や外の人の力を連携させることが必要。そこ は国も地方も民間企業もうまくいっていない ところが多くて、組織のスタッフとラインの 役割をあまり認識していないんだと思う。組 織ってなにか目的があるから人が集まって連 携する場だけれど、硬直化すると目的が深く 共有されなかったり、本当の目的よりも組織 の決まり自体が目的化してしまう、だから疑 問に感じてしまうんじゃないかな。  最後の意思決定はもちろんトップが下さな いといけないけれど、そのプランをつくる前 の段階が大事。計画を作るとき、例えば、都 市マスを作らなければならないことが前提と なってしまって、そもそものなぜつくる けていると、 来てくれることもあったりして、 いろいろとアドバイスしてくれる。  昨日も、京都の人から神戸のこの行政マン とつながった方がいいから連絡するよとか、 そういうふうに他都市の行政の人とつながっ て、勉強させてもらって、アイディアを互い に掘り起こせる関係になれたら良いなと。 で、 なんで大事かというと、行政マンはやっぱり 行政マン同士だと反応が違うんですよ。民間 だと、自分たちと違うように見えてしまって 民間でいいことやっているねというくらいだ けど、 同じ行政のひとが色々やってる と、結構刺激があって動く部分があ るから、そういう関係性を作りたい。  あとは海外の人とももっと行政同士で繋が りをもってもらいたいなとおもいます。ヨー ロッパだと、都市間でどんどん情報交換し あっているから、調査の質も高いし都市のリ サーチのプレゼンテーションなんかもすごく うまいし、都市のデータなんかも職員の人み んなかなり読み解いて共有している。日本で はあまりそれができていない。都市マスなん かも結局コンサルが5年毎に基礎調査をやる だけで、計画にしっかり活かせているとは言 い難い。本当は調査や分析は意思決定やプラ ンニングや施策に活かすためにやってるの に、活かされてない。そういう基本的なとこ ろはなんとか変えたいなと、市の中の人とも 話しています。 ーまちに対する受け手の感性を具体的にどう やって育てていくのですか?  動きが必要だね。ワークショップ・講座と のかという目的は深く語られないこと が多い。つくるという意思決定をする以前の 議論をしっかりとやるべきだということ。プ ランを立てる前の事前準備こそが、今のプラ ンニングに一番欠けてる部分だと思います。 それとは別にシンクタンクもちゃんとある。   ー松本市以外の自治体の方との情報交換など のやりとりはあるのですか?  まだ沢山ではないが、 いろいろやってると、 やっぱりいろいろ繋がりができてきます。横 浜の国吉さんも、はじめは講師として、都市 デザイン学習会の講座に来てくれて、ちょっ と市役所の若手に刺激を受けてほしいなと 思って横浜へ連れて行ったりすると案内して くれて。工芸の五月のようなイベントを仕掛 10

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