atafuta192

 

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Vol.192 SAT 4 10 2014年 月号 WED 29 25 SAT 10 FRI 21 TUE THU 16 17 FRI

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※各日入場時に1ドリンク(¥500〜)別途オーダーいただきます。 Live Schedule 2014 October 1 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500 2 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500 7 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500 8 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500 9 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500 13 昼の部 夜の部 OPEN 18:30 / START 19:00 14 OPEN 18:00 / START 18:30 ¥4500 15 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500 16 OPEN 18:30 / START 19:20 ADV ¥2000 / DOOR ¥2300 ¥1500 20 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500 21 OPEN 18:30 / START 19:20 ADV ¥2000 / DOOR ¥2300 23 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500 27 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500 28 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500 29 OPEN 18:30 / START 19:30 ADV ¥2000 / DOOR ¥2300 30 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500

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3 OPEN 18:30/ START 19:20 ¥1500 4 昼の部 OPEN 13:30 / START 14:00 ¥1500 5 昼の部 OPEN 13:00 / START 13:30 大人(高校生以上)¥1500+drink 小人(小、中学生)¥1000+drink 幼児以下無料 夜の部 OPEN 18:30 / START 19:00 ADV ¥2500 / DOOR ¥3000 夜の部 OPEN 18:30 / START 19:00 ¥1500 10 OPEN 19:00 / START 19:30 ADV ¥2500 / DOOR ¥2800 11 昼の部 夜の部 OPEN 18:30 / START 19:00 12 昼の部 OPEN 13:30 / START 14:00 ¥1500 ¥1500 夜の部 OPEN 18:00 / START 18:30 ADV ¥2500 / DOOR ¥3000 17 OPEN 18:30 / START 19:30 ADV ¥3000 / DOOR ¥3500 18 昼の部 夜の部 OPEN 18:30 / START 19:00 19 昼の部 OPEN 13:30 / START 14:00 ¥1500 ¥1500 夜の部 OPEN 18:30 / START 19:00 ¥1500 24 OPEN 18:30 / START 19:00 ¥4000 25 昼の部 OPEN 12:30 / START 13:00 ¥1000 26 昼の部 OPEN 13:00 / START 13:30 ADV ¥3500 / DOOR ¥3700 (小学3年生以下¥2000) OPEN 18:30 / START 19:00 ¥1500 夜の部 OPEN 18:30 / START 19:00 ¥1500 31 OPEN 18:30 / START 19:20 ¥1500

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Serita Kaori “夏の続き” 2005 年 20 代最初の夏、 渋谷アピアに友川さんを聴きに行った 毎月毎月聴きに行った アピアで闘う友川さんに打ちのめされて “あたしもここで闘いたい” ユメが出来た 最高の夏に居た わたしは今やっとアピアで闘っている あの夏の続きを、 やっとやっている 2014 年 20 代最後の夏、 空の大三角形がまぶしい ざわざわして眠る暇がない ギターで想いを鳴らす冨士夫さんに撃ち抜かれ て “あたしの想いを、 あたしのギターでもっともっ と鳴らしたい” またユメが出来た 最高の夏に居る まだまだ終わらない 終わらせてたまるもんか もっと闘って、 もっと鳴らして、 ずっと続く夏なんだ 放たなきゃなんないんでしょ? 幾つの夏を、 ただ気だるく過ごしてきてしまった んだろう 本当はわかっていたくせに。 わたしは走って行く 走らなくちゃ 行ってしまう 夏が行ってしまう わたしは走って行く 終わらない夏が欲しいんだ。 溶けない眩しい夏が在る 寄り添う凍える冬が在る 誰にもあげない、 誰にもなれない、 走らなくちゃ、 加速するんだ。 幾つも星が降るのを見たんだよ 何時だって、 最初で最後だ。 終わらない夏はここに在るんだよ。 ここにしかないんだよ。 ずっと続けて行くんだよ。

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青 テケテン、 テケテン 井 天 青 的 花 はるか 青花 秋ですか?秋ですね!大好きな秋ですよ!!秋と いえば芋掘りです。 ゆったりと肥沃な地中でまどろ みながらムクムクと膨らんだ、 あの赤紫のグラマラ スボディがあなたに掘り起こされるのを待ってい る!そんな芋掘りに今年こそ行きたい青花です。 こ んにちわ。 今日のお題は、 実りの秋にちなんで、 土系 女子の土と仲良くなるススメってことで。 さっそくですが、 皆さんはどんな土がお好みです か?粘土質の重厚感溢れる粘り気が好きなあなた は正しく里芋、 ネットリとした歯触り、 煮ても揚げ ても美味いけど、 青花的には茹でたてに塩が一番漢 気を感じます。 はたまた、 もうそりゃあ粒つぶと塊 になって水捌けと風通しのいい赤玉土や、 イヤイヤ、 いっそもう土どころか岩でしょ!という苔みたい にハードボイルドな方もおいででしょう。 サラサラ と不可思議で、 心許ないのに、 ギッチギッチと刺激 する砂がイイわと言うコケティッシュなあなたは きっと瑞々しいスイカかラッキョウかもしれませ ん。 因みに青花は、 ご多聞に漏れず人気の腐葉土で す。 あのフカフカとして有機的な形状まで残したま まの、 何かの途中っぽさが堪りません。 なんだか とっても美味しい物が育ちそうじゃぁありません か!けどけど、 土の魅力は美味しい作物を与えてく れるだけではありません。 裸足で地面に触れたとき の、 始めは冷やっ、 そしてふにゃっ、 粒を交換するよ うにジワジワと皮膚に入り込んでくる質感と温度。 あぁ、 私も地球の作物なんだなぁと、 土や砂に足を 突っ込み、 風に吹かれてみましょう!岩が好きなら、 苔と一緒になって抱きしめてみるのも一興です。 あ なたもヤミツキになるに違いありません! ところでもし、 私が稲だったなら、 きっと雷は欠か せません。 稲妻ってくらいですもんねぇ。 轟く雷鳴 は凄く恐いけど、 沢山の電気で元気をくれる気がし ます。 してみると、 響きってのは電気的な躍動なん じゃないのか?そう、 音楽は雷なのだ!だって、 ラ イブ音楽って AED でも当てられたみたいに心臓を 動かすもの (いや、 当てられたこと無いケド) 。 ああ、 私も土も稲も同じなのね。 そんな感じで、 その場所 この場所、 この地面が好きな響きがある気がするわ けです。 肥料や農薬なんて欲しくない!全ての小さ な生きものが共生できて、 そこに水と光と響きがあ る。 そんなふうに実った自然農法的作物を、 口から も耳からも全身で摂ったら、 超健康になれそう ! 経皮吸収でダイレクト血流ですから!!ってなわ けで、 皆さんもたまには足や身体を大好きな場所の 地面に突っ込んで、 繋がってる作物感を味わってみ てください。 砂風呂よろしく、 デトックス効果が あったり無かったりするかもしれません。 なにより きっと、 そこにしかない響きが心臓をニギニギして くるはず!イェーイ

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山本慎太郎ファーストアルバム 『山本慎太郎』 遂に完成。 兄弟宅録ユニット “Windmill” でデビューしたシンガーソン グライター・山本慎太郎の 1st ソロアルバム。 ユニット解散か らおよそ 10 年を経て制作された本作は、 10 年の間に弾き語り 2014年 10月15日 発売 【品番】PMF-152 【本体価格】1,500円(税抜) 【レーベル名】ペルメージレコード によって披露されていた楽曲たちを、 近年活動をともにする ごとうはるか (per/ ホーミータイツ ) と二人だけで録音した、 多重録音バンドサウンド。 特筆すべきは一度耳にした人を即座に虜にする突出したメロ 【曲目】 1. 晴れるといいな 2. Young Lady 3. Bitter 4. 幻 5. 列車は走る 6. 愛してる 7. 青い鳥 8. 道の上 9. 草花ソング 10. 君といつまでも 11. Seagull Song 12. そして地球はまわる ディーセンス。 全編にわたり貫かれたポップネスは、 絶妙な言 葉選びによって “うた” に結実する。 60年代のサイケデリック・ ロック 70 年代のスワンプ・ロックをはじめとした古き良き ロックからの影響を強く感じさせるそのギタープレイやベー スラインはどこか野暮ったく、 その人柄がにじみ出るような 丸みを帯びたアンサンブルとなっている。 多重録音によって より凝縮された山本慎太郎ワールド全開の妥協なき 1 枚。 【山本慎太郎プロフィール】 1971 年 7 月 18 日生まれ。 愛媛県出身。 1997 年夏、 弟・征遠とともに宅録ユニット Windmill 結成。 2001年ミニアルバム 「Windmill」 (エンジニア : 小田真)にてCDデビュー。 ユニット解散後、 ソロシンガーソングライターとしての活動を開始。 2010 年 3 月、 川 崎マニアミュージック推薦で出演した 「川崎ストリートミュージックバトル III」 決勝 戦において、 審査員特別賞を受賞。 現在は、 ソロ弾き語り、 ごとうはるか (from ホー ミータイツ) とのユニット 「山本慎太郎&ごとうはるか」 を軸にして、 都内、 神奈川県 下を中心に精力的にライブ活動中。 ギター、 ベースのサポートミュージシャンとして も同時に活動中。 覚えやすいメロディーと明快な歌詞&ピリッとしたヒネリ (これ重 要) を心掛けて、 日々曲作りに励んでいる。 趣味は読書で常時2 3冊の文庫本を携 帯している。 最近は自己流で絵も描き始めた。 BLOG:山本慎太郎の頭の中 http://blog.goo.ne.jp/yamamotoshintaro

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フライングスプーン (3'34") 覚 和歌子 作詞 佐藤克彦 作曲 谺 ( こだま ) の舟 (3'14") 覚 和歌子 作詞 丸尾めぐみ 作曲 Ginger Girl(2'56") 覚 和歌子 作詞 木下弦二 作曲 タラマイカ (3'31") 覚 和歌子 作詞 鶴来正基 作曲 いつも何度でも (5'15") 覚 和歌子 作詞 木村弓 作曲 くすり指のターニャ (5'08") 覚 和歌子 作詞 吉田孝 作曲 crop circle ballad (5'23") 覚 和歌子 作詞・作曲 morning song ~ 朝焼けマニア (3'37") 覚 和歌子 作詞 岡田徹 作曲  レーベル : valb 商品番号 : VALB-1006 2014 年 7 月 9 日発売 価格 : 2,160 円 ( 税込)

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1969 年ー 1970 年はボクたちにとっても時代にとっても、 そして渋谷という街にとっても激動の時代だった。  元旦、目覚めるとそこは静まり返った灰色の工場街 の一画、サイケデリックな色彩で彩られた看板には 「DO-HOUSE」というロゴが踊っている、この街でこ こだけがパートカラーの映画の中にいるような空間 だった。  晴れているが人通りもなく特別に正月らしい風景も 見当たらない。空気が少し湿っぽいが工場が休止して いるせいか空の青さが冴え渡っている。摂氏五度、ひ んやりとして力が抜け落ちる朝だった。昨日までは、 世紀末を生きていた、いや生き延びてきたのかもしれ ないと思いながら、歯を磨く。鏡の中に映る窓の外の 青空と歯の白さが奇妙に生きている事を思い出させ る。昨日から今日へ、ページが一枚めくられただけで 何が変わったと言うわけではないのに、60年代末から 70年代の幕開け、世紀末から新世紀に変わったかのよ うな、淡い期待の感覚に包まれてる。  ボクが寝泊まりしているのは仲間6人と作った DO-HOUSEという広告プロダクションの事務所、目蒲 線の武蔵新田と矢口渡の中間にあった。中小企業の立 ち並ぶ工場地帯のど真ん中である。 元々は倒産して 使われていなかった工場の二階だった。メンバーの一 人マキイマサルの実家の所有するもので安く借りるこ とが出来、みんなでホコリを払い大掃除、暗室をつく り、壁から机から本棚まで塗れる物はみな白く塗り ビートルズの大きなポスターを4枚貼って我らの手造り のホワイトルームが完成。「白く塗れ」は僕らのマイ ブームだった。ストーンズの「黒く塗れ」を意識し て、じゃ僕らは「白」でと、まるでアンディウオー ホールがニューヨークに作ったファクトリーのように 「アートを生み出す白い工場」というイメージを抱い ていた。大田区だけど、、、。  白い部屋の原型はすでに元住吉にあった。親友のデ ザイナー・神山昇の部屋である。DO-HOUSEを始める 前は僕らはよくここにたむろしていたのだ。それは神 山の実家の建具店の三階にあった。いや、あってはい けない隠れ蓑のような部屋であった。木造造りの不法 隠れ家、というより天井裏に密かに造られた納戸だっ たのかも知れない。それがまだ社会的に何も認知され ない僕ら若者にとってはとても居心地のよい躰にピッ タリの空間だった。壁から天井から飲み干したコカ コーラの空き瓶まで白く塗りつぶされていた。音楽は ストーンズかビートルズ。口を開けば古田がドウシタ 秋田がドウノ芸闘委がドウノといった仲間達もいた。 神山とボクで初めて創った映画もこの白い部屋だっ た。白い壁を背景に、白い椅子を置いて、二人で交互 にナンセンスなパフーマンスを繰り広げた。そして映 画の中からそのまま抜け出た格好で新宿の街へと繰り 出していったりした。  神山は漫画が大好きでガロとかCOMとか二人で読み ふけっていた。中でもつげ義春や佐々木マキのシュー ルでナンセンスな実験漫画には夢中だった。特に佐々 木マキの「うみべのまち」にボクたちは感動!! 漫画の 神様・手塚治虫の「あれは狂っている、あの連載をす ぐにやめろ、載せるべきでない」と嫉妬の攻撃を受け た位である。日本の漫画は世界のと見比べるとまだま だの存在だったから無理もない。しかし、僕らは漫画 の表現に多くの可能性を感じていたので、単なる青春 漫画にはしたくなかったのだ。  DO-HOUSEの白い部屋はそんな元住吉の天井裏の隠 れ家のパワーを受け継ぎ、いつも色んな友達やクリ エーターが集まってくる場所になっていた。いつも誰 かがいて賑やかで良かったが、住人のボクとしてはプ ライベートがなく疲れるときもあった。  今日は正月、みなそれぞれの場所に戻りさすがに誰 もいない。ぶらりと散歩に出てみる事にした。     DO-HOUSEを出て武蔵新田の駅に向かうとすぐ左手

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アピア 40 マスター  伊東哲男 に小さなお肉屋がある。正月はさすがに休みだが、コ ロッケや天ぷらなどの揚げ物を中心としたお惣菜も 売っていてボクらの重要なタンパク源であった。店じ まいの頃を見計らって買いにいくと残り物の揚げ物等 を山ほどおまけしてくれるのだ。それを目当てに百円 玉一個を握りしめ買いに行くのを親爺さんも承知して いたのだ。  DO-HOUSEはゼロからのスタート。そこそこ仕事は 入っていたが、収入があると。写真乾燥機を買ったり 照明機材を揃えたりと機材に投資なかなか給料には回 らなかったので、ポケットの中はいつもコインだけ だった。ボクらはよそ者なのに親爺さんの下町の好意 に感謝の日々だった。  やがて古い家並みが残っている商店街にさしかかる。 このあたりは空襲で戦災を免れたのだろう。かなり古 い格子戸のある家も目にとまる。  あっ!正月なのに、お婆ちゃんお店開けてる。それは 昔ながらの懐かしさ溢れる駄菓子屋さんであった。 あそらくお年玉を手にして子供らが三人集っている。 ボクも時々ここに懐かしさを買いに立ち寄った事があ る。  「いいお正月ですね」「お婆ちゃん、向かいの家の 格子戸ってかなり古い感じですね?」 「ああ、あれはね、昔このあたりは宿場町でね、多摩 川を渡るのに増水すると足止めを食らうでしょ、、、 それでこのあたりには置屋があって女郎さんたちがい たんだよ。格子戸のある家はそのむかし置屋だった家 だよ。」 なんだ、今は灰色の工場地帯だけれど、昔は色町だっ たんだ。そうか、矢口の渡しは多摩川の渡し場だった んだ。そういえば、川向こうの川崎の南部線の駅に 「矢向」というのがあって、昔あのあたりは古戦場で 弓矢が飛んで向かって来たので「矢が向かう」が「矢 向かい」そして「矢向」となったと聞いた事がある。  人が作り出してきた町の歴史は実に味わい深い。最 近は駅前には丸井や養老の滝があってどこも似たよう な景色になっちゃって、町の個性がどんどん薄れてい くのが残念でならない。  線路際の道を進んで行くと東急目蒲線が通り過ぎて ゆく。この路線はまだ3000系が走っていて鉄道ファン が喜びそうなかなり古いのもたまに見かける。明治末 期から大正中期にかけて製造された初期の国電の払い 下げ車両も見かけた事がある。東急東横線はもうすっ かりステンレス製のシルバーメタリックのボディに ディスクブレーキを搭載した車両に入れ替わったのに 目蒲線はまだ3000系の木造電車、大半は太平洋戦争前 後に製造された、3扉のロングシート。製造は川崎造船、 川崎車両、東横車両碑文谷なんていうのも見かけたな。 これら3000系もやがては目蒲線からお払い箱になる時 がくるだろう。それで終わりかと思うと、こんどは地 方のとんでもないとこで走っていたりする。  マスコミ、マスプロ、マスセールで使い捨て文化が 主流となり高度経済成長まっしぐらの日本。これら電 車たちの根性には、ものつくり日本の神髄を感じる。  「イトウくん」呼び止められて振り向くとギターを 肩からぶら下げた甲斐敏夫さんだった。 「遊びに来ちゃった」早速、DO-HOUSEに戻り奇妙な 新年会の始まりであった。

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 彼はジャズの渡辺貞夫のグループでギターを弾いて いた事もあるギタリストで、会社もこの近くでパチン コ台を作っていた。ボクがインダストリアル・デザイ ナーじゃありませんか!というと、イヤー、パチンコ 屋さんよ、、、というだけであった。ボクの目の前で ギターを弾く彼の指の流れは素早くて惚れ惚れとする ものだった。「イトウくんも一緒に弾こうよ」冗談で はない、コードを押さえるのもやっとのボクにそれで もいいというのだ。「ボクはこの指が気持ちよりも余 計に動いてしまうんだ」「タ・タでいいのについタ・ タ・タ・タって動いてしまうのが駄目なんだ」 「今度、田舎の友達と、タ・タ・タ・タってならない ライブをするんだ。イトウくんも手伝ってよ?」 という事になり数日後、広島から出てきたばかりだと いういがぐり頭のサックス吹きの男が、甲斐さんの使 いでボクのところに現れた。坂田明であった。ライブ スペースは渋谷に昨年12月に衝撃的にOPENしたス テーション’70であった。オーナーは牧田吉明氏、知 る人ぞ知る伝説の持ち主だ。軍需産業で酷評の三菱重 工業の天皇と呼ばれた社長の四男に生まれ、全学連に 参加、アナーキストでフーテン、風月堂や芝居関係者 たちの溜まり場・どん底に入り浸り中上健次と交際し ていたり、東大本郷キャンバスの東大総長の銅像にペ ンキを塗ったり、ハプニングや革命闘争を展開する。 その牧田吉明氏が突然の転向宣言をしてOPENしたのが ステーション’70であった。  打ち合わせで初めて店内に入ると、壁も天井も鏡張 りで沢山のテレビモニターが壁に埋め込まれていてマ ルチな映像が流れている。驚くほどモダンな空間で あった。サイケデリックアーティストの宮井睦朗が設 計した「時代で最も新しい空間」と様々な雑誌で取り 上げられただけのことはある。  音響設備は日本ビクターが協力。天井から吊された 球形のスピーカーの目新しさに驚く。吉沢元治、高木 元輝、高柳昌行、そして若き阿部薫も週二 ~ 三回出演 していた。青森県から上京してきた無名の三上寛を起 用したのも牧田吉明氏だった。  甲斐さん達のやろうとしてるのはフリー・インプロ ヴィゼーションだった。しかしフリーはまだ芽生え立 ての頃、そこで僕らは二つの仕掛けを考えた。一つは 客席に様々な楽器、とくに誰でも使いやすい鳴り物を 中心に置いた。これで観客も自由に参加出来る仕掛け。 もう一つはちんどん屋さんを雇い入れた。彼らに対す る指示は、これから何事が起ころうとあくまでも君た ちはちんどん屋である事をやめないように、という指 示であった。 開演前、ちんどん屋を先頭に出演者が 渋谷の街へ繰り出す。ちんどん屋のおきまりのレパー トリーに続き坂田明がプー、ププーとかフリーな音を 出しながら練り歩き観客の待つステーションへと戻っ てくる。ちんどん屋を先頭にステージへ。ステージに 上がってもちんどん屋はちんどん屋のレパートリーを 続ける。やがてギターが唸り出す、サックスも叫び出す、 観客も参加してくる、会場全体がインプロの渦に包ま れ、気がつくとちんどん屋がちんどん屋である事が出 来なくなっているのだ。ちんどん屋のレパートリーが どんどん崩れていく。ちんどん屋の顔が引きつる、 「俺たちだって、音楽を志してたんだ。チンチンドン ドンばかりやってたい訳じゃないんだ!!とそんな気持ち だったのかも」最後は坂田明がちんどん屋に変わって 演歌を吹き始める、吹き終わってサックスをたたき壊 しステージから降りた。忘れられないライブであった。 その後しばらく坂田明は演奏から遠ざかっていたらし い。 (その後、山下洋輔トリオに加わり、1979年山下洋輔ト リオから独立、坂田明トリオを結成した時、渋谷アピ アに登場、そのライブは忘れられないほど凄かった。)

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 ステーション’ 70 は一年ほどで経営が行き詰まり閉店 してしまったが、 フリージャズの存在を広めた功績は大 きい。 その年の 5 月、 ボクらは渋谷にアピアの前身、 空間 実験室・SPACE LAB・HAIR を OPEN した。 22 歳だった ボクの頭の片隅にはステーション '70 で牧田吉明がやり たかった事がいつもあった。    楽器を渡せば誰でも自由に音を出すことは出来る。 し かし誰にも出せない音を出すのがミュージシャンだ。 今の時代、 自由を切実に願う者はいない。 自由が無けれ ば生きられない、 そのために命がけだった僕らの時代と は大違いだ。  誰でも自由に生きる事は出来る。 しかし誰にも真似の 出来ない生き方を出来ることが自由だと思うのだ。    牧田吉明がまさにその一人だ。 三菱財閥の御曹司に生 まれながら、 我が闘争を闘い抜き、 最後は生活保護を受 給して一間のアパートで孤独死。 ステーション’ 70 閉店 後の 「その後の牧田吉明」 の壮絶なプロフィールを最後 に載せて終わりにしよう。 1982 年、 生協で働いていた 29 歳の女性と再婚し、 「ぐゎらん洞」 に 復帰。 1985 年に 「ぐゎらん洞」 を売却して小樽郊外の原野を坪 1000 円で買い取り、 1 ヘクタールのブドウ園を開き、 「山猫農場」 を名乗って葡萄農家や養鶏業を営み、 自家製葡萄で作ったワイン を 1990 年から 「山猫ワイン」 のオリジナルブランドで販売してい た。 1985 年に長女が誕生。 このころ、 大繁殖したネズミにより自 らの畑のブドウが損害を受けたのは畑付近の小樽市のゴミ処理場 が原因であるとし、 1991 年 11 月、 小樽市の廃棄物焼却場建設とゴ ルフ場誘致に抗議して小樽市役所の玄関前にライトバンを停め、 ハンストを行う。  小樽での事業に失敗して離婚した後、 2001 年から札幌市琴似で 居酒屋 「KAZE」 を経営したがやはり失敗、 車上生活を経て大本教 に入信し、 京都に移住したこともある。 晩年は岐阜県白川郷付近の御母衣ダムのほとりに丸太小屋を借り て自炊生活を送っていた。 このころ 「1 カ月の生活費は 7 万円、 冬 場は灯油代がかかるので 10 万円です」 と言っていた。 2009 年 7 月から長野県の白樺湖畔の観光ホテルに勤務し、 ホテル の寮に住み、 月給手取り 6 万円程度で庭仕事を担当していたが、 2010 年 3 月に解雇され岐阜市内に転居、 一間のアパートで生活保 護を受給して暮らすようになった。 かねてより糖尿病と心臓病を 患い、 2010 年 5 月 15 日に心筋梗塞で緊急入院したが脱走して帰宅。 2010年6月1日、 自宅で病気により亡くなっているのが発見された。  テレビ朝日の番組で牧田にインタビューを行った田原総一朗は 「左翼というよりは、 むしろ民族派的な体質が感じられた。 彼は共 産主義でも社会主義でもなく、 アナーキスト的色彩はありながら、 日本について強く憂えていると、 私は感じ取った」 「あるいは三菱 の " 天皇 " だった父親への強烈な反発ということもあったのかも しれない」 と述べている。 ※甲斐敏夫:当時務めていたパチンコ台の製造会社はナムコで あった。 その後甲斐の手がけた F1 ゲーム機が世界で爆発的にヒッ トし、 一躍ゲームメーカーとして脚光を浴びる。 現在もゲーム音 楽の作曲家でその才を開花させている。 ※マキイマサル:ニューヨークより戻り一時、 DO-HOUSE に参加。 現在、 牧井ステンレス株式会社社長。 現代美術のギャラリー・マキ イファインアーツのオーナーでもある。 ※牧田吉明:1970 年秋、 「ステーション '70」 が赤字により閉店、 父 親のつてで三菱グループの PR 誌の製作を請負う広告会社を設立 し社長となったが、 1974 年 9 月、 大麻所持ならびに吸引で逮捕、 108 日間拘留される。 この間、 京都地方公安調査局爆破事件に絡む 爆発物取締罰則違反でも逮捕され、 懲役 1 年 10 月、 執行猶予 3 年の 有罪判決を受けて 1975 年に会社は解散となる。 裁判中 2 歳下の女 性活動家と結婚、 同年 11 月に長男誕生。 長野県北安曇郡小谷村千 国蕨に転居し、 父親の遺産で会員制の民宿 「ぐゎらん洞」 を経営し ていたが 1978 年に別居し、 1979 年暮に離婚。 その後しばらくして から山小屋の経営を他人に委ねて東京に移住し、 荻窪で自然食を 販売。 この間、 1980 年から 1981 年にかけて 「共産同遠方から派」 と交際。 1980 年代以降は新右翼に接近。 野村秋介との交友も知ら れており、 阿部勉や牛嶋徳太朗、 鈴木邦男とも交流があった。

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僕が、 気になるのは、 メロンソーダの指し示す、 もうひとつの 「メロン」 のことだ。 らしさや、 典型は、 ときどき、 歪んだまま 「リアル」 をつくってしまう。 なぜ、 絵になったタコは鉢巻をしてるのか、 なぜ、 美少女キャラは異常に目が大きいのか。 なぜ、 メロンソーダは、 バスクリンのようなエメラルド色をしているのか。 たぶん、 萌えるというのは、 メロンソーダの緑をみて、 「メロン!」 と分泌がおきるようにな るための、 パブロフの犬的な訓練だと思う。 秋葉原だけの話ではない。 兜町でも永田町でも汐留でも、 「現実的」 とは、 メロンそのものへの肉迫ではなく、 「メロン 風味」 に順応することを、 さしがちなのだ。 「現実」 とよばれているものは、 しばしば、 特権的な結びつきからできている。 それは融通の利かない回路だ。 たとえば、 検索エンジンのサジェスト (自動予測) 機能は、 その結びつきを反復し、 「現実」 というトラップをより意固地な回路として補強する装置に なりつつあると思う。 言葉が他の言葉と癒着する、 それは世界のとらえ方を偏狭にする。 「薔薇 きれい」 という陳腐な結合のせいで、 ぼくらは、 いまここにある、 一輪の薔薇へのア テンションを放棄しているかもしれない。 ぼくが、 ポエムパフォーマンスでやりたいのは、 言葉どうしの、 そんな硬直化した、 結びつきをほどき、 組み替えて、 薔薇そのものに少しで も近づこうと、 格闘する姿を、 さらすことなのだ。 詩などという試みは、 現実逃避なのかと自問もする。 けれど、 ぼくにとっては、 「現実」 「に」 こそ、 安易に、 逃避したくない、 という思いがある。 況んや 「仮想現実」 に、 をや。 今日も、 メロンとメロンソーダのあわいで、 絶句したり饒舌になったり、 忙しい。

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CD の所有枚数は 2000 枚を超える CD ジャンキーのマーブル後藤 (a.k.a. ごとうはる か / アピア 40 スタッフ / ホーミータイツ ) が、mp3 全盛のこの時代にさすがに整頓す るかとちょこちょこ処分を始めた折、これだけは手放すまい!と決めたマイ・ゴー ルド・ディスクを誰からも要望がないので自らご紹介。 税込価格 2,500 円 芸能人、 とりわけアイドルにはゴシップや スキャンダルがつきものです。 スキャンダ ルで失脚したアイドルは数多いますが、 尾 身和樹もその一人といえるでしょう。 ジャ ○ーズジュニアとして活躍していた彼でし たが、 1999 年にフラ○デーにスキャンダル 写真が掲載され、 ジャ○ーズ事務所を解雇 されてしまいます。 そんな彼が再起を図り ( ? )、 2002 年にインディーズでリリースし たのがこのミニアルバム。 特に話題にもな らず、 現在では当然のごとく廃盤となって い ま す が、 このアルバムのサウンドプロ デュースを担当したのは何故か戸城憲夫 (ZIGGY/THE SLUT BANKS/BAD SiX BABiES) で し た。 高 校 生 当 時 の 僕 は THE SLUT BANKS の大ファンで、 戸城サウンド ( なんといってもバキバキに歪んだウォー キングベースと泣きのメロディ ) の虜とな り、 そ こ か ら 遡 っ て、 LANCE OF THRILL、 ZIGGY を聴き、 そしてその後に結成される BAD SiX BABiES( 以下 B6B) までも熱心に 追いかけていました (B6B 解散あたりで熱 が 冷 め て し ま い、 そ の 後 の The DUST'N' BONEZ は未聴… )。 そしてこのミニアルバ ムリリース当時、 B6B はヴォーカル・高木 フトシ (ex.HATE HONEY) の脱退により自 然消滅状態となっていましたが、 その最後 の 清 算 を す る が ご と く、 こ の『re generation』 の楽曲はB6Bのメンバーによっ て演奏されているのです。 全曲の作曲と編 曲を戸城さんが担当していて、 楽曲といい 演 奏 と い い、 一聴してすぐそれとわかる B6B アンサンブルでした。 石井ヒトシのギ タ ー ワ ー ク も 光 っ て い ま す。 新美俊宏 (BOWWOW) の ド ラ ム も 冴 え て い ま す。 POP 風味を出すためか、 安っぽいシンセの 音が乗っかっていたりして、 若干薄味には なっているものの、 紛れもなく B6B サウン ドでした。 まとまった音源をリリースする ことなく解散してしまった B6B だったので ( 公式音源は 4 枚のシングルのみで、 しかも 通販限定、 雑誌 『ロッキン f』 の付録、 流通盤、 ライブ会場無料配布、 というバラバラの形 式 )、 こんな形でも演奏が聴けたことは嬉し かったものです。 肝心の尾身和樹のヴォー カルは、 それはそれはひどいですが、 これは 手放すわけにはいきません。 ちなみに、 近年 発売された B6B の新宿 LOFT でのライブ映 像には、 カート・コバーンの T シャツを着て 観客の頭上をサーフする若き日の僕が映っ ています ( 泣ける…)。

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